帰化をして、サッカー日本代表で活躍してきた選手は凄い選手ばかり!

サッカー日本代表でも帰化された選手が多く活躍をしてくれました。

帰化した選手は、サッカーの歴史を変える節目に登場をし、大きなものを残してくれた選手という印象が強いです。

現在は、サッカー日本代表に帰化した選手はいませんが、今後は出てくるかもしれませんね。

帰化した選手と言えば、カタール代表が有名ですが、自国開催のW杯のためであると同時に、自国のリーグ戦の強化のためであると思われます。

帰化した選手が増えるようですと、Jリーグのレべルは上がってくるかもしれませんね。

そこで、今回は、サッカー日本代表で帰化をされた選手について書いていきたいと思います。


元サッカー日本代表で帰化をされた選手は?~前半~。

現在のサッカー日本代表で帰化した選手はいませんが、そのうち出てくると思われます。

では、今までで帰化した選手で、サッカー日本代表に選ばれた選手について振り返っていきたいと思います。

ずいぶん昔にさかのぼりますが、吉村大志郎という方が、初めて帰化したサッカー日本代表になったようです。

日系二世としてサンパウロ州アダマンチーナ出身の方のようで、1967年6月に日本サッカーリーグで初の外国人選手として注目を浴びたようです。

早い段階で帰化をする予定だったようですが、1970年に帰化し、サッカー日本代表に選出され、活躍をしたそうです。

結構、昔から帰化され達選手がいたのですね。当時は、メキシコオリンピックの影響もあり、強い印象があったからなのでしょうか?

ちなみに、国際Aマッチ46試合7得点を挙げる活躍を見せました。

続いては、与那城ジョージ。この方は知っています。

沖縄県で生まれ、ブラジルに移民した両親のもとで生まれたことは有名な話。

ブラジルでプロを目指していたが夢は叶わず・・・。その時に、読売が声をかけて、来日することとなった。

これが、大当たりをし、10年以上に渡り活躍をする。ブラジルとではレベルが違いますからね。ブラジルで通用しなくても日本でなら通用したということでしょう。

帰化した理由としては、クラブ側が他の外国人選手を起用したいというので帰化をしたようです。

望まない帰化であったのでしょうか?最近は、外国人枠を空けるために国籍を取得する選手もいますが、クラブの都合もありますし、自分のために取得する選手もいますね。

国際Aマッチ2試合に出場した記録が残っています。

帰化したサッカー日本代表でインパクトがあり、日本サッカーを変えてくれたと言っても過言でないラモス瑠偉!

ジョージ与那城に声を掛けられ、来日したという経歴の持ち主。

来たばかりの時は問題行動が目立ってしまいましたが、落ち着いてからは素晴らしい活躍を見せてくれました。

攻撃的なポジションであれば、どこでもできましたし、技術は高く、さらに遊び心を持ったプレーで観客を魅了してくれました。

また、サッカー日本代表でも背番号10を背負い、日本の心臓として活躍。日本人より国を愛している印象が強く、国を愛する心や戦う気持ちを日本人に伝えてくれた選手であったと思われます。

様々なところで、大きく貢献をしてくれたラモス瑠偉には感謝ですね!

国際Aマッチ32試合に出場し、1得点を記録。記録よりも記憶に残る名選手でした。

帰化した選手の紹介を3人させていただきましたが、やはり、ラモス瑠偉の存在はズバ抜けていますね!

ドーハの悲劇があったころですし、日本サッカーが大きく変わっていった時でもありましたので、私の中では帰化した選手の中で一番印象に残っています。

続いては、サッカー日本代表で帰化した選手の後半編を書いていきたいと思います。

元サッカー日本代表で帰化をされた選手は?~後半~。

帰化した選手で、多くの人の記憶に残っているのが、後半に紹介させていただく選手たちだと思います。

まずは、呂比須ワグナー。この方もブラジル生まれの方です。

ブラジルでプロ契約したにもかかわらず、出番がない状況が続いていたところ、オスカーに誘われ来日。

日産でプレーをし、その後は日立に移籍を果たす。湘南(現)で、プレーをしていた時に?帰化をし、サッカー日本代表に選出される。

しかも、W杯フランス大会の予選の最中に帰化をし、約2週間後のW杯予選で日本代表デビューを果たす。

呂比須ワグナーの活躍もあり、日本代表は初のW杯出場を勝ち取ることに成功。呂比須ワグナーの貢献度は抜群であった!

国際Aマッチ20試合に出場し、5得点を記録。

続いては、三都主アレサンドロ。独特のリズムで繰り出されるドリブルは止めることは難しい。

三都主アレサンドロは高校から日本に在住。明徳義塾高校で、サッカーに打ち込んでいました。

プロ入り後、わずか22歳で、JリーグのMVPに輝き、日本に帰化をすることを決断。これが、サッカー日本代表にとって大きかったかもしれませんね。

サッカー日本代表には少ないドリブラーであり、独特のリズムがあるので止めにくい。さらに、左利きであり、キックの精度も抜群。

サッカー日本代表では、不慣れな左サイドバックを務めていましたが、もっと攻撃的なポジションで起用して上げれば輝いていたかもしれませんね。

国際Aマッチ82試合に出場し、7得点を記録。

3人目に紹介するのが、田中マルクス闘莉王。

渋谷幕張高校サッカー部で活躍をし、プロの道へ。ポジションは、センターバックですが得点力が高いことで有名になった田中マルクス闘莉王。

ブラジルで鍛えた足元の技術もあるので、ディフェンダーらしからぬゴールを決めることもある。

空中戦に強く、守備では簡単に相手を抜かせない。攻守ともに揃った選手でしたね。W杯南アフリカ大会では、中澤佑二とセンターバックを組み、ベスト16進出に大きく貢献。

この時の中澤佑二と田中マルクス闘莉王の守備には、FIFAも称賛されていました。

戦う姿勢を前面に出したプレーは見る者を魅了してくれましたね!この人も日本人よりも日本人なのかもしれません。

国際Aマッチ43試合に出場し、8得点を記録。

最後に紹介するのが、李忠成。

韓国国籍の在日韓国人4世の方。上手いか下手かを問われると下手な方ではあるかもしれませんが、闘志むき出しのプレーや機敏な動きで、ゴールを決めるストライカー。

オリンピックの辺りの時に、反町監督に勧誘されたことがあり帰化をすることに決めたようです。

そんな李忠成は、2011年アジア杯で大仕事をやってくれましたね。決勝のオーストラリア戦で美しいボレーシュートを決め、サッカー日本代表を優勝に導きました。

大会ベストゴールかもしれないゴールは見事!時が止まったかのような瞬間でしたね。

現在は、横浜Fマリノスでプレーしていますが、怪我をしてしまい治療中。早い復帰を祈っています。

帰化をして、サッカー日本代表になった選手について紹介させていただきましたが、その時代で日本サッカーに大きな影響をもたらせてくれた選手が多いですね。

今後は、トットナムのユースでプレーするサイ・ゴダードなど若い選手が帰化をして、サッカー日本代表に大きな影響をもたらせてくれると思いますし、どんな変化が起こるのか?楽しみですね。

帰化した選手ばかりに頼るのではなく、日本人選手も頑張っていかなければなりませんね!

日本人選手、帰化される選手が上手く融合し、強いサッカー日本代表になってくれることを期待しています。

まとめ。

今回は、サッカー日本代表選手で帰化された選手の紹介をさせていただきました。

ずいぶん昔から帰化した選手が、サッカー日本代表でプレーをされていて、ビックリしましたが、帰化された選手が大きな影響を股らせてくれたのは確かです。

サッカー弱小国であった日本に帰化するのは難しい決断であったと思われますが、帰化してくれて有難うと言いたいですね。

日本サッカーが大きく成長する時に表れる帰化した選手。今後も日本サッカーが大きく変わる瞬間は帰化した選手が出てきた時なのでしょうか?

帰化した選手に頼らずに強い日本を世界にアピールしていってもらいたいものです。




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