中島翔哉は、高校(ユース)時代に得た大切なものとは?

ようやく、各国で、リーグ戦、カップ戦が再開されますね。

ポルトガルの「タッサ・デ・ポルトガル」の4回戦が行なわれた。

中島翔哉は、強豪ポルトと対戦。リーグ戦では、ポルトに、5-2で破れている。

その時は、中島翔哉が活躍し、1ゴールを記録し、話題になった。

今回は、リベンジなるかと期待はしていたが、試合は2-3で敗れた。

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しかし、中島翔哉は、ポルティモネンセの1点目に絡む活躍をする。

開始5分で、ポルトに先制を許したが、前半の半ばに、中島翔哉が得意のドリブルから、シュートを放つが、DFに当たりゴール前に落ちる。

味方がつめていて、カシージャスに当たりながらも、ゴールに吸い込まれる。

いつもの左サイドで、いつも通りの切れ味抜群のドリブルと精度の高いシュートで、カシージャスを脅かした。

一時は、逆転に成功したが、アディショナルタイムに逆転される。

試合は、そのまま終了して、ポルティモネンセは敗れたが、次に繋がる良い試合をしたと思われる。

いつもいい仕事しますね。中島翔哉。また、カシージャスからですか!相性がいいのかな?強豪相手の方が燃えるのかも。

やはり、その方が中島翔哉には、向いているのかもしれないですね。

そんな中島翔哉、いつ頃から、ドリブルを磨き始めたのか?

相手DFが嫌がるドリブルを仕掛けるようになった原点とは、なんなんであろうか?

サッカーを始めた時期から振り返ってみようと思います。

中島翔哉が、サッカーを始めたきっかけは?

中島翔哉は、八王子の別所小学校に入った小1で、サッカーを始める。

最初は、サッカーは、遊び程度でやっていたら、夢中になったようだ。

母親に相談して、「松が谷FC」に入団することになったようだ。

普通のサッカークラブで、友人の父親がコーチをしていたようだ。

人数は、そこそこいたらしく、練習は、土日だけだったそうだ。

ドリブルや、ミニゲームが中心で、みんなでやる感じの練習。コーチは自由にやらせてくれたそうだ。

この時期から形にはめるような練習をすると、クセになってしまいますからね。

さらに、フットサル教室に通っていたらしく、ここで、ボールコントロールを磨いていったのですね!

何か、この辺りからブラジルの選手みたいなこともやっていたんですね!

小3~4の頃は、八王子市のフットサル大会で優勝した経験もあるらしい。

さらに、もう一つ、小2~4までは、東京ヴェルディのスクールにも通っていたらしい。

よく体がもったなと思う。3つも掛け持ちとは!それほど、サッカーが好きだったんでしょう。

だから、疲れなんか知らなかったのかな?そうで無ければ、できませんよね?

また、学校から帰ってからは、公園でドリブルの練習をしていたようだ。

中島少年は、とにかくサッカーが好きで、学校の授業中もボールを足元に置いていたようだ。

もちろん、先生にボールを取られたらしいですが…。当たり前だ(笑)

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もはや、漫画の世界ですね(笑)言ってみれば、すべてをサッカーに捧げている感じですね!

それ以外、目に入らないといった感じですね。その頃から、プロを目指していたのかもしれないですね。

中島翔哉曰く、

まあ、負けず嫌いでワガママだったのかな(笑)。ボールを持ったらパスをしなかった。それでもコーチには怒られなかった。気持ちよくサッカーをしていました。

と言っていた。それが、正解だったのかもしれませんね。

気持ち良くできていたからこそ、サッカーに打ち込めていたのでしょう。

そして、良いコーチに恵まれましたね。そして、転機の時を迎える。

中島翔哉は、東京ヴェルディのセレクションを受けることにした。

東京ヴェルディのジュニアのセレクションを受けて…。

小4の時に、ヴェルディジュニアと試合をして、相手が上手かったようで、ここに入りたいと思い、受けたらしい。

無事に、合格し、練習には電車で通っていたらしい。やっぱり、プロになりたいと思う人は違いますね。

ここでも、中島翔哉は、全然辛いとは思わずに通っていた。

監督に

『ボールを触われ』、『うまい選手が触わらないとゲームにならない』

と言われ、なるべくボールに触れる場所にいるように意識していたようです。

ボールのもらい方やコントロールを身につけていったのでしょうね!これも、フットサルの経験が生きてきたのでしょう。

当時の笑える?エピソードがありました。

ロナウジーニョが好きで、ロナウジーニョの真似をしていたようだ。ここまでは、普通の話。

何を考えたのか?ロナウジーニョが家でボールを蹴っていた話を聞き、中島翔哉は、ボールと一緒に寝ていたらしい(笑)

寝ている時も、サッカーを考えていたようですね。サッカーの夢でも見ていたのかな?

そして、ジュニアユースに昇格。中学も、八王子市立別所中学校に進学し、学校に通いながら、ジュニアユースで腕を磨いていった。

ジュニアユースでも、相変わらずの「練習の虫」であった。

練習前は1人でリフティングや、壁打ちで、キック練習をして、練習後はシュートをしていたらしい。

うーん。つくづく、サッカー小僧ですね!もう、サッカーしか考えていないようですね。

もう、「練習の虫」とかいうレベルではないですね。全身全霊、サッカーですね。

そんな中島翔哉も高校へ進学し、ユースに昇格。

東京ヴェルディユースに昇格し、様々な経験をしてくる。

ユース(高校)の時に得たものとは?

高校に進学し、東京都立調布南高校へ通いながら、ユースでサッカーをしていた。

高校に通いながら、ユースの練習だったので、高校の課題とか、かなりきつかったはず。どのくらいのランクの高校かは、わかりませんが…。

私の友人にも、高校に通いながら、ユースの練習に参加していた友人がいるが、やはり高校の課題がきついと言っていた。

最終的には、ユースを辞めて、高校の部活動で、サッカーを続けていたが…。高校の部活のほうでは、レベルが合わなかったようだった。

中島翔哉は、東京都立調布南高校から第一学院高校(通信制)に切り替えている。

同じく通信制の高校に通っていた選手の記事はこちらです→酒井宏樹の出身高校は、凄い卒業生が多い?。どんな人がいるの?

中島翔哉の場合は、ユースだけでなく、U-17代表の活動やオランダのアヤックスに練習参加とかあったので、普通の高校よりも通信制の高校の方が都合が良かったからであろう。

高校に通いながらのこの日程は、こなせないであろうし、普通の高校だったら、単位とかが絡んでくるので、高校を変えて正解であったかもしれない。

通信制の高校に変えて、今よりサッカーに集中するために。

高校時代に、アディダスカップでベストプレーヤー賞をもらって、オランダのアヤックスに練習参加させてもらったことがあるらしい。

その時に、オランダの選手は他の技術は大差はないが、シュートだけは凄かったようだ。

よく、海外移籍した選手も口にしますよね?シュートの意識が高いと。

中島翔哉は、それに気づいて練習するようになった。

意識してやってきた結果、シュートが入るようになったそうだ。

そして、高校3年で、トップチームで試合に出場し、プロ契約をした。

高校生Jリーガーの誕生!今では、高校生でプロ契約をする高校生は、当たり前だが、高校卒業前に、契約できることは、凄いと思う。

高校卒業後は、Jリーグで揉まれ、今シーズン、ポルトガルのポルティモネンセに期限付き移籍。

ポルトガルリーグの注目選手の一人となった。

中島翔哉自身、

日本人は体が小さいし、身体能力が低くて、海外の選手にどうしても勝てない部分が多いですよね。

でもヨーロッパでは頭を使える選手があまり多くないと感じた。自分はそこで上回らないとその先には行けない。

今の自分がちゃんと頭を使ってやれてれば、日本代表にも選ばれるくらいの技術はあると思うけれど、うまく使えていない。それはもったいないと思うし、早いうちからもっとそういうことを考えてやったほうがいいと思います。

と、日本人の良さと体格差の克服の方法を考えてました。

夢であるW杯へ向けて、中島翔哉の武器を磨いていってほしいですね!

まずは、ポルティモネンセで活躍を期待してますよ!

8月19日に追記しました。

まとめ。

今回は、中島翔哉の高校時代について書かせていただきました。高校でのサッカーを選ばずに、ユースでのサッカーを選んだ。

高校サッカーよりもプロになれる確率が高い方を選んだ結果でしょう。高校よりもユースは狭き門ですし、エリートの集まりですからね。

昔は、高校サッカー選手権大会に出たくて、高校サッカーを選ぶ人が多かったですが、今は、ユースの方が多いでしょうね。

高校サッカーと違って、プロになるための場所ですから、通信制の高校でないと厳しいと思います。

実際に多くの選手が、通信制の高校に通いながらサッカーをやっていたわけですから。

高校サッカーを選ばずに、ユースに入ったとこで、中島翔哉の持ち味である個人技が磨かれたのでしょうね。

それが、今、ポルトガルでの活躍につながっていると思います。

中島翔哉は、今シーズンポルティモネンセで10番を背負いプレーしています。

チームは、2連敗と流れが良くないので、次節は、中島翔哉のゴールでチームを救ってほしいですね。

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