乾貴士が起点。野洲高校、高校サッカー史上最高のゴール

相変わらず、華麗なドリブル、テクニックで観衆を魅了する乾貴士。高校生の時から、ずば抜けた存在であった。

Jリーグの横浜Fマリノスに入団したが、選手層の厚さで、不遇の時間を過ごしていた。
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テクニックでは、負けていなかったが、フィジカル、横浜Fマリノスのサッカーに合わず、セレッソ大阪に期限付き移籍。

翌年、セレッソ大阪に完全移籍し、本来の輝きを取り戻す。

セレッソ大阪での活躍ぶりが認められ、ブンデスリーガの2部のボーフムに移籍。

移籍したばかりだったが、すぐに試合に出場。存在感を見せた。乾貴士。

その後、ブンデスリーガの1部のフランクフルトに移籍。

2部から、1部への移籍で、ステップアップしたのだが、適応できるのか?と心配したが、余計な心配だった。

フランクフルトでも、存在感を見せ、チームの中心として活躍。

そして、昔からの夢。リーガエスパニョーラのエイバルに移籍。

1年目は、スペイン特有のサッカーになれることで、精一杯だったと思う。

しかし、2年目は、慣れてきたのか、本来の乾貴士のプレーを披露。

今では、エイバルの中心として攻撃のタクトを振っている。

日本人にとっては、鬼門と言われるリーガエスパニョーラ。

なぜ、乾貴士は、ここまで活躍できたのか?

その理由について書いていきたいと思います。

乾貴士が、リーガエスパニョーラで活躍出来ている理由とは?

まず、乾貴士がリーガエスパニョーラで活躍出来ている理由の一つは、小学生、中学生の時が、大きかったと思われる。

セゾンFCというクラブチームに所属していたことが、大きかった。

セゾンFCとは、滋賀県の地元クラブチーム。1984年に滋賀県内初のクラブチームとして設立。

出身のプロ選手を多く輩出している名門クラブだ。

乾貴士本人も、セゾンFCに所属していたことが、大きかったと言っていた。セゾンFCは、ドリブルに拘りを持ったチームとイメージする人が多い。

練習も、ドリブル中心のメニューが多い。ドリブル好きな選手が集まるからなのだろうか?

ドリブル中心の練習ばかりではないらしく、監督の信念としては、

あくまでサッカーはパスゲーム。パスを活かすためのドリブルを選手にはやってもらっています。

ドリブルは試合の中での武器のひとつ。パスを生かすためにドリブルを武器として使うのです。

と練習の多くの時間をドリブルに割く理由について説明しています。

さらに、練習は120%で、試合は70%の力でやるそうです。

不思議ですよね?練習は120%は、わかります。でも、試合は70%ってどんな意味があるのだろうか?

その理由は、練習を120%でやることで、技術の向上を目指すことである。

試合は、発表の場として考えている。

緊張していたら、実力も出せないので、リラックスさせるためにも、試合では、70%の力と言っているようです。

なるほど、70%の力でということで、リラックスさせて、普段のプレーを引き出させていたんですね。

この監督、心理学でも学んでいたのかな?

この選手とのやりとりは、非常に上手い。参考にさせてもらおう(笑)

このような指導を、小学生、中学生で受けてきたからこそ、今の乾貴士がいるんですね。

そして、滋賀県立野洲高校へ進学する。私は、まだ野洲高校の存在を知らなかった。

ここから、乾貴士、野洲高校は脚光を浴びることになる。

乾貴士、野洲高校へ進学

鳴り物入りだったのか?どうなのか?わからないが、野洲高校サッカー部に入部。

1年の時のことは、わからないが、2年でスタメンを獲得する。

当時の野洲高校のスタイルと言えば、ボールポゼッションが高い。

さらに、豊富なアイディア、連動した攻撃。しかも、パターンが決まってないので、中々止められない。

また、一人一人の技術が高く、ドリブルの上手さは、他のチームと比べると本当に群を抜いていた。

静岡学園も個人の技術が高く野洲高校に似ている部分は多い。

だが、ある記事でこのようなことが書いてあった。

静岡学園は、確かに個人の技術は、優れている。

しかし、大きな欠点があると。

その欠点とは、

1.組織力がない

2.ハードワーク不足

3.メンタル面が安定していない

など、様々な欠点があった。

確かに、技術は高く魅力的なサッカーが見れるかもしれない。

しかし、勝負弱かったことが大きかったと書いてあった。

野洲高校には 連動した攻撃や組織力があったし、賢さもあった。

また、激しいプレスやハードワークもあり、他の高校とのレベルの差がありすぎました。

野洲高校は、技術だけでなく、肉体的、精神的にも強かった。

では、なぜこれだけの連動した攻撃、組織力が野洲高校には出来たのか?

そこには、ある秘密がありました。

その秘密に迫りたいと思います。

野洲高校の連動した攻撃、組織力はどうやって生まれたのか?

その秘密は、セゾンFCにありました。

このクラブチームの出身者が揃って 野洲高校へ入学。

FWの青木など 優勝した主力メンバーは このセゾンFC出身者でした。

普通の高校は、小・中・高と進学先が変われば、チームメートも変わる。

監督のサッカースタイルも変わってくるので、どうしても結果を出す為のサッカーになってしまう。

そういった意味で、連動、組織力といったところが強化できない。

一方、野洲高校は、セゾンFCからの入学者が多いため、Jリーグのユースチームのように、選手を育てることができる。

脱落者もいると思いますが、長年同じチームで、同じ信念を持って練習をしているので、必然的に連動、組織力、意思統一、戦術などが浸透して強いチームになったのでしょう。

また、野洲高校は、県立なので私立、または、Jリーグのユースにスカウトされ、そちらに選手を採られてしまう可能性が高い。

それでも、野洲高校に優秀な選手が集まる。野洲高校の、サッカーが魅力的なんだろう。

本当のことを言えば、サッカーが凄く盛んな所ではないはず。全国で見ても、滋賀県は真ん中ぐらいだと思います。

だけど、野洲高校に選手が集まる。それは、何故なのか?野洲高校のサッカーに惹かれてしまったのか?

セゾンFCから、野洲高校へ入学するみたいなパイプとかあるのか?

そこのところを調べてみました。実は、セゾンFCと野洲高校には、…ができたのです。

なぜ、セゾンFCの選手は、野洲高校に進学するのか?

その大きな理由は、野洲高校の監督にありました。

野洲高校、山本佳司監督の存在であった。

元アマチュアレスリングの選手。レスリングやってた方がなぜサッカーに?

大学卒業後の1986年、ドイツ人・ケルン体育留学し、そこでサッカーと出会った。

そこから、サッカー部の監督となる。

一応、中学時代は、サッカー部だったらしい。

あまり、サッカーとの関わりがなかったのですね。

あの魅力的なサッカーをするチームを作り上げたのだから、ヨーロッパでコーチの勉強とかされてきたのかと思いました。

日本の高校のサッカースタイルと全くちがうので。この監督は、他の監督と違うとすぐに感じました。

その山本佳司監督ともう一人の方の存在が重要であった。

それが、セゾンFC代表 兼 監督の岩谷 篤人氏。

この岩谷氏がコーチとして野洲高校へ加わることになった。

それと同時に青木らセゾンFCの選手も野洲高校へ進学した。

セゾンFCで下地を作り上げ、野洲高校でプラスアルファをしていく。

本当にJリーグの下部組織のような感じだ。一貫した育成スタイルがはまった。

これがあるから、セゾンFCの選手は、野洲高校に進学するのであろう。

さらに調べてみると、以前は、セゾンFCから静岡学園に。といったルートがあったようだ。

元々、静岡学園は、技術が高い選手が集まり、さらにセゾンFCの選手が進学してくる。

静岡学園が、技術が高くて、個性的なチームだったのもうなずけます。確かに一人一人の技術が高かった。

しかし、セゾンFCから静岡学園へのルートを変えたのは、他ならぬ山本佳司監督。

岩谷氏のところへ何度もお願いにいったそうです。セゾンFCから、野洲高校へと。

山本佳司監督の熱い思いが伝わり、セゾンFCから野洲高校というルートができたようです。

さらに、セゾンFCの体制が、変わる時に、なんと岩谷氏も野洲高校へ加わることになったのです。

もちろんセゾンFCがメインなので、野洲高校のコーチみたいな形で、加わったのでしょう。

これは、大きな意味があった。

山本佳司監督が、まだ監督としてのキャリアがあまりないなか、岩谷氏が補う。

岩谷氏のセゾンFCから野洲高校のルートがあるため一貫した育成ができる。

育成方針、理念など、長年に渡って刷り込ませることができる。

これが、野洲高校の強さに繋がっているし、セゾンFCの選手が野洲高校に進学してくる理由であった。

しかし、本当の強さの秘密は、これだけではなかった。

野洲高校の本当の強さの理由は?

先ほど、書いたところとも繋がるのですが、実は、セゾンFC、岩谷氏の信念だったんですね。

今、勝つにこしたことはないけれど

負けても、いいから魅力ある選手を育てよう

この信念のもとに、セゾンFC、野洲高校の選手は成長してゆく。

そして、個々の能力を伸ばし、魅力的な選手になっていく。

このような関係があって、野洲高校は、全国制覇を成し遂げたんですね。

やはり、岩谷氏の招聘が一番でしょう。

それを実現させた山本桂司監督、並大抵の努力では、できなかったでしょう。

サッカー経験のない山本監督と経験豊富な岩谷氏。

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出来ないのであれば、出来る人を連れてくる、一番効率的で良い方法だったと思います。

野洲高校を強くしたいという思い

その信念でセゾンFCにお願いにいった。何度も。

静岡学園とのルートがあったにも関わらず 。

その熱意で岩谷氏人を説得することができた。

高校サッカーを変えたい

山本桂司監督の思いであった。野洲高校の活躍で、高校サッカーのベースが変わってきた。

地元クラブと高校の部活の連携スタイル。今までにあまりないやり方だったが、上手くはまり、全国でも広まっただろう。

目先の勝利に拘らず、魅力的な選手を育てようといった信念の結果である。

そして、今までとは違う新しい形の指導方法も、野洲高校が見せたものである。

サッカー経験のない山本監督と経験豊富な岩谷氏。

真逆の二人だったからこそ、野洲高校の基盤ができたのではないでしょうか?

野洲高校の自由なアイディアを引き出したのは、二人の絶妙なバランスがあったからでしょう。

そして、第84回全国高校サッカー選手権大会で、野洲高校は全国制覇をなし遂げる。

野洲高校が見せたセクシーフットボール

今でも、覚えてらっしゃる人は、多いだろう。

第84回全国高校サッカー選手権大会。

乾貴士は、当時2年生だったが、スタメンを勝ちとっていた。

乾貴士が、高2の時の第84回全国高校サッカー選手権大会でのこと。

乾貴士はじめ、野洲高校は、選手全員が高い技術を持ち合わせ、ドリブルとトリッキーなプレーを駆使した個性豊かなチームであった。

さらには、攻撃は流動的で、守備はハードワークをする、組織力と個人の能力を上手くミックスさせたサッカーをしていた。

1回戦から快進撃を続け、次第に注目のチームとして、賞賛されていた。

そして、決勝まで駒を進め、一気に全国制覇を成し遂げたのだった。

野洲高校のサッカーが、あまりにも美しく、華麗なサッカーをしていた。

そこで、世間からは、セクシーフットボールと呼ばれるようになった。

本当にプロ顔負けのプレーだった。あの連動したパスワークは、日本代表がオランダ代表とやった時のように感じた。

それくらい、インパクトのあるプレーだった。

乾貴士のヒールパスなんか絶妙。相手を上手く引きつけてサイドの選手にパス。

これこそが、セゾンFCの教えなんだろう。

私は、まだ乾貴士の凄さを知らなかった頃、ある雑誌?ネット?の記事を見て、乾貴士という存在を知った。

あまりにも衝撃的だった。

記者の方が感じた乾貴士の凄さとは?

選手権に出れなかったチームで集まる大会?サッカーフェスティバル?があったそうだ。

別名、裏選手権と呼ばれているらしい。何か嫌な呼び方ですね。

記者の方が、見た野洲高校の華麗なパスとドリブルサッカーに魅了されてしまったらしい。

その年は、野洲高校を注目チームとして、よく観戦に行かれたようだ。記者の方が見て、そう思うなら、よほどのものだったんだろう。

月日が経つごとに、より華麗なサッカーになっていく。ドリブルにしろ、パスにしろ完成度が高い。

そんな魅力的なサッカーをやっているチームの中心についていたのが、2年生の乾貴士だった。

乾貴士のプレーに虜になった記者

その記者は、乾貴士のプレーを見ることが楽しみになっていった。

その気持ちは、よくわかる。何かをしてくれるんじゃないか?といった期待が持てる。

彼のプレーは、まさに、見る者を虜にする何かがある。

高校生では、真似できない足下の技術。ボールタッチの細かさ。

変幻自在のドリブル、そして、見方に優しい正確なスルーパス、そしてヒールキックなどのトリッキーなプレ-。

観衆は、乾貴士を見に来ているような感じだ。野洲高校というよりは乾貴士だった。

それだけ、乾貴士のプレーは、エンターテインメントに溢れるものだった。本当に楽しいサッカーをしている。

そんな乾貴士、実は調子がいいのか?どうなのか?のバロメーターがあるらしい。

プレーの切れ目の時に笑顔をしているかだそうだ。

笑顔を見せている時は、自分の想い描いたプレーが出来ている証拠なんだそうだ。

ということは、笑顔を見せてない時は、調子が悪く、想い描いたプレーが出来ていない証拠になる。

ある意味、分かり易いな。でも、みんな、そんなもんだよね。

乾貴士も人間だったんだな(笑)

そして、2年生で、挑んだ第84回高校サッカー選手権大会。

危なげなく決勝戦まで駒を進める。決勝戦の相手は、鹿児島実業高校。

ゲームは、拮抗した展開で、1対1のまま時間が過ぎていく。

しかし、最後にはドラマが待っていた。

高校史上最高のゴールと言われたゴールだ。

野洲高校が、ボールを奪うと、左サイドから右サイドにサイドチェンジ。

このサイドチェンジも良かった。山なりのボールでなく、ストレートのボールのサイドチェンジ。

しかも、ピンポイントで、乾貴士の足元に。

乾貴士は、中央に向かってドリブル。相手を引き寄せ、サイドの選手にヒールでパス。

受け取った選手は、ダイレクトで、後ろから上がってきた選手にパス。

その選手も、ダイレクトで中に折り返し、中央で待っていた選手が押し込みゴール。

これが、決勝ゴールとなり、野洲高校は初優勝を飾った。

このゴールは今も高校サッカーファンの間では伝説となっている。

この一連の流れはあまりにも美しく、観客は、乾貴士のプレーに釘付け。ピッチ上はまさに乾貴士劇場となっていた。

当時の高校サッカーといえば練習の大半を走りこみに当てる(特に1年生は)。

激しいプレスからボールを奪い、ロングボールか、ショートカウンターを仕掛けるチームが多かった気がする。

今は、ポゼッションサッカーがまだ流行っているのかな?

しかし、野洲高校の華麗なプレーには、明るい日本代表のイメージが沸きました。

10日に、ハイチとの試合がありますが、ハリルホジッチ監督、乾貴士を先発で使ってください。

華麗なドリブル、トリッキーなプレー期待してます。

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