サッカーだけでなく、様々なスポーツには、背番号があると思いますが、皆さんは、拘りの背番号ってありますか?
サッカーでいえば、本田圭佑は、代表では4番を好んで?付けていますが。セスク・ファブレガスを意識したのかな?

確か、本当は、10番が欲しかったはず。主張はしたと思うが、アディダスの力が働いたかも?その可能性が高い。
私は、11番が欲しかった。やはり、三浦知良に憧れていたからだ。ちょうど、小学生の時、Jリーグが開幕したことも大きい。
吉田麻也は、現在、サウサンプトンでは、3番を、代表では、22番を付けている。
何か拘りがあるのかな?それとも関係ないとか?結構、選手は、背番号を気にする人は多いですよね。
では、吉田麻也のJリーグデビューからの背番号を見てみましょう。
吉田麻也は、背番号何番で、デビューしたのか?
2007年、Jリーグ、名古屋グランパスに入団。背番号は、34番。まあ、新人であれば、このくらい大きな背番号になるであろう。
しかも19試合に出場。ルーキーで、この試合数は、立派です。しかも、サポーターに挨拶のシーンですが、楢崎正剛のとなりとは!豪華な一枚ですね。

2008年も変わらずに、背番号34番。それでも、22試合に出場した。2年目も安定した出場試合数。
あれだけの高さがあると、空中戦は強いですし、さらに足元も上手かったので、現代的なCBでした。
ルーキーから、通算して、これだけ出場した選手は、珍しい。
2009年、引退した大森から背番号4を受け継ぎ、30試合に出場。吉田麻也も一桁の背番号になりました。

吉田麻也への期待の表れですね。この頃から、グランパスの守備の要になったんですね。Jリーグだったら、空中戦なら負けなかったのでは?
その活躍で、オランダのVVVフェンロに移籍。初の海外移籍。オランダで、その高さが通じるかが、ポイントだった。
順調に、ステップアップしていきます。しかし、ここで、アクシデントが…。まさかの…。
海外移籍して、吉田麻也は背番号何番だったのか?
2009年、VVVフェンロに移籍。背番号は、28番。意外と大きい番号だなと思ったが、海外リーグは、大きい数字の人はいますからね。
移籍後、練習試合で左足首を骨折し、2009~2010シーズンは、試合に出場できませんでした。そのため写真が見つかりません。すみません。
移籍して、すぐのアクシデント。プロになってから、初めての大きな怪我ではなかったでしょうか?
2010~2012年は、背番号3番になりました。前年度、試合に出場していないのに、一桁の背番号に変更。

空いていたからなのか?どうなのか?わからないが。空いてたんだろう。
吉田麻也は、VVVフェンロに、2010~2012まで所属していました。確か、この期間、カレン・ロバートもいましたよね。
結構長くいたんですね。世界屈指の長身を誇るオランダで揉まれて、さらに空中戦の強さを身につけて来たのでしょう。
初海外移籍で、少し上手くいかないこともありましたが、2012年に、プレミアリーグのサウサンプトンに移籍。
フィジカル重視のリーグだからこそ、潰されないようにしてもらいたかったですね。潰されなかったですけどね。
2012~2017までは、背番号3番。今年の吉田麻也の誕生日に契約延長の話があり、来シーズン以降もサウサンプトンでプレーすることになった。

来シーズンも、同じ背番号でプレーするのでしょうか?それか、変更するのか?楽しみですね。
では、代表ではどうだったのでしょうか?代表は、変わりやすいので。
五輪、アジアカップ、Wカップでは、背番号は何番だったのでしょうか?
吉田麻也、代表では、何番を背負っていたのでしょうか?
まずは、五輪からいきましょう。懐かしいですね?
北京五輪代表の時は、背番号3番。まだ、U23の時ですね。この時は、あまり印象に残っていませんでした。すみません。

ロンドン五輪の時は、背番号5番。この時は、オーバーエイジ枠で、出場し、最終ラインを統率した。

メダル獲得まで、あと一歩と迫ったが、韓国に敗戦。ベスト4まで進出。初戦のスペイン撃破で、勢いに乗りました。
吉田麻也の五輪は、ここで終幕を迎えた。これ以上は、五輪でなくA代表で、頑張ってください。
2009年に、A代表に初招集、イエメン戦で、初出場で、フルタイム。
この時の吉田麻也の背番号は、48番。この時の写真が見つからなかったので、すみません。
2013年以降は、すべて背番号22でいる。何故?22番で固定されているのだろうか?

もう代表の常連だからなのか?それとも、吉田麻也が自ら志願しているのか?
どうなんでしょうかね?調べても拘りがあるのわけではなさそう。
まあ、背番号で、サッカーするわけではないのでね。
過去に、日本代表の背番号22番って誰が付けてたんでしょうかね?
結構、凄い選手が付けていましたね。調べてみると!
少数ですが、紹介したいと思います。
歴代日本代表の22番は、誰が付けていたのか?
サッカーの背番号は基本的に、数字が低い方が後方のポジションで、高い番号は前線のポジションの選手が多かった。
今では、そんなことは、関係なくはある程度大きな番号でも、ポジションは関係なくなった。
では、誰が背番号22番を背負っていたのか?
福西崇史。

福西崇史は、コパ・アメリカ大会で、日本代表の背番号22を背負っていたようだ。
意外だった。福西崇史といえば、15番のイメージだったから余計にビックリした。
アジア最終予選のイラン戦でのボレーシュートは、今でも覚えている。FW顔負けのプレーだった。
あとは、バランスを取ることが、非常に上手い印象がある。あとは、当たり負けないフィジカルの強さかな。
余談ではあるが、愛知県出身で、初のWカップ出場した選手らしい。愛知県から、「文化・スポーツ賞」が贈られたらしい。
中澤佑二。

サッカー日本代表の『背番号22』といえば、中澤佑二しか思い浮かばない。
長く日本代表のDFの中心として活躍をみせた。南アフリカWカップでは、闘莉王とともに鉄壁の守備で、後ろからチームを支えた。
FIFAの関係者も、日本代表の躍進は、この二人の貢献が大きいと賞賛した。
中澤佑二が背番号22を選び続けた理由は、”プロになって初めてもらった番号”だったからだという。
ブラジルに留学し、練習生として東京ヴェルディの練習に参加。実力が認められ、見事入団。
入団までの様々な苦労があったからこそ、プロ入り後に初めて渡された22番には思い入れがあるという。
2001年日本代表に初召集された鈴木隆行。
日本で開催されたコンフェデレーションズカップ。来年のWカップに向けての試金石となる大会。
トルシエ監督に認められ、初のスタメンに抜擢。これが、見事にハマる。召集されるまで無名の選手だったのが不思議なくらいだ。
2得点を挙げて、日本中が騒いだ。そして”シンデレラボーイ“と名付けられ、一躍有名になる。
初招集された時に背負っていたのが、22番である。
その後は、11番を背負うこととなり、Wカップ初戦のベルギー戦で、日本代表を救う同点ゴールを決める。
また、金髪での試合出場で、世間の注目を浴びた。その後は、ベルギーリーグに移籍した。
まだ、いるとは思いますが、今回はここらへんで。
背番号22の重みとは?
南アフリカWカップ後、「4番&22番」の新CBコンビが誕生した。
背番号4を任されたDF槙野智章。闘莉王の付けていたのか背番号。

アジア杯に続いて背番号22を付けるDF吉田麻也。中澤佑二が付けていた背番号。

南アフリカW杯で、日本の壁となり16強進出に貢献した、DF田中マルクス闘莉王、DF中澤佑二から4番と22番を受け継ぐことになった。
二人とも、大きなプレッシャーになったに違いないが、それは期待の表れでもある。
槙野智章は、タイプが、闘莉王に似てるからといった理由らしいが、吉田麻也は、理由はわからなかった。
長きに渡って、日本代表のDFの中心にいた中澤佑二の背番号を受け継ぐのは、中澤佑二並みに活躍できるだろうという、サッカー協会の期待でしょう。
吉田麻也と中澤佑二を比較すると、高さは同じくらい。足元は、吉田麻也の方が良いかなといった感じだ。
これからも、中澤佑二と比較されることは多いと思うが、らしさを忘れずにやっていってほしいですね。
そして、22番が、日本代表のCBの象徴になるといいですね。
こちらの記事も読まれています↓
・昌子源、鹿島の伝統の背番号3を背負う重みを、どのように感じていたのか?
日本代表から、アルゼンチンのレアなクラブまで!
フットボールマックスは3000種以上の
サッカーユニフォームをお届けいたします!