現在の大迫勇也の土台を作った高校サッカー。何をしたのか?

未だに破られていない。高校サッカー選手権大会の最多得点記録を持つ大迫勇也。

高校サッカーのレベルでは、本当に、止めようが無かったと思う。それを証明してくれたのは、中西氏の「大迫半端ないって」の一言だと思う。

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高校生とは思えない正確な足元の技術、冷静な判断から多くのゴールに絡むオールラウンドプレーヤー。

身体の使い方が上手い。一旦、大迫勇也にボールを預けても奪われないので、味方は安心して、ボールを預けられる。

そこから、様々な展開が出来るので、攻撃の厚みができる。

実際にTVで、試合を見たが、これが高校生?と思えたのは、よく覚えている。サッカーセンスの塊のような感じであった。

今は、ブンデスリーガ1部のケルン、日本代表で活躍しているが、大迫勇也を大きく変えたのは、高校サッカーでの日々があったからのようだ。

いったい、高校サッカーでどのようなことがあって、大迫勇也は、どう変わったのか?

高校のレベルでは、十分であるが…。

大迫勇也の悪い癖とは?

大迫勇也は、高校生の時から変わらないサッカーに対する意識がある。

ストライカーとして、ゴールに直結するプレーをしないと存在感を示していくことが出来ない。

鹿児島城西高校サッカー部に入部した時は、周りを上手く活かすのが上手い選手であったそうだ。

高校時代から、その点は優れていたようですね。所謂、天性のものだったのでしょう。

ただ、貪欲に得点を奪いに行くFWではなかったらしい。よく日本人に言われる言葉ですよね?

よくも悪くも日本人らしいプレーヤーだったようだ。

身体の強さ、懐の深さ、キープ力、状況判断の良さなど、FWとして必要な能力を持ち合わせていた。サッカーセンスは、抜群だった!

ただ、ゴールに向かう姿勢、シュートへの意欲といったところは、欠けていたようであった。

何でもこなせることが、逆に悪い方向にいってしまった。

サッカーセンスは、光るものがあった。ポストプレーや、反転してからのシュートは、逸品だったそうだ。

この時から、ある程度完成されていたのですね!すぐにでも、高校サッカーレベルでやれていたわけですね。

しかし、得意のポストプレー、相手DFを背負ったプレーが多く目立ち、肝心なゴール前のプレーがあまり出来ていなかったようだ。

要は、簡単にいけばゴールに直結するところを、簡単にさばかずに、手数をかけてしまい、チャンスがチャンスにならなくなる場面もあったそうだ。

自分の得意の形に持っていこうとするあまり、簡単に仕掛けていく姿勢が薄れてきてしまったのだ。無意識に、そういうサッカーをしていた。

相手DFが、そのことに気づいてしまえば、高校生の大迫勇也を止めることは楽になるだろう。

サッカーセンスはあるのだが、埋もれていく可能性が高かった。

そんな状況の大迫勇也のサッカーを変えたのが高校時代の恩師であった。

高校時代の恩師が、大迫勇也に求めたモノとは?

高校生の大迫勇也の悪い癖に気が付いたのは、鹿児島城西高校サッカー部の小久保監督でした。

小久保監督は、起用していくうちに、

「彼をもっと得点の取れる選手にしなければいけない」

と考えるようになったらしい。同時に教育方法も考え始めたという。

小久保監督曰く、

「勇也はシュートがうまい。タイミング、ボールを捉える技術などが非常に高いので、そこを伸ばしていくために、高校3年間はセンターフォワードとして育てようと思った」

と決めたらしい。

やることは、一つ。常にゴールという結果を求め続けることに決めた。そういうサッカーを植えつけることだった。

まず手始めに、特徴である周りを活かすことに関してはあまり言わず、相手DFを背負って、後ろ向きになるプレーをすることにかんしては、厳しく指摘をしたそうだ。

小久保監督の貪欲なストライカーになってほしいという願いからであった。

その頃、大迫勇也のサッカー観が変わる出来事があった。

今までのサッカー観と違うサッカー観を生み出した。

どんなサッカー観だったのだろうか?

大迫勇也が、変わったきっかけは?

ある時、度々呼ばれていた年代別の日本代表からの落選であった。

U-17W杯を控えたU-17日本代表に招集された。

しかし、最終メンバーに残ることが出来なかった。

その1年前のアジア最終予選直前にも落選していた。

この2度の屈辱は、高校生の大迫勇也にとって、大きな転換期となった。

「自分にはシュートが足りないこと。もっと積極的に相手をかわしてシュートを打ったり、ゴール前で怖い選手にならないと上にはいけない」

と自分で、気づいたのだ。

高校サッカー漫画の「シュート」の平松みたいだなと思った。本当に、そっくりだ。

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相手DFに与える恐怖心が足りなかったのだ。これに気づいてからの彼のサッカーは、変わっていった。

大迫勇也の中で見えてきた変化とは?

何で見たかは覚えてないが、何かしらの大会でのゴールで変化が見られたようだ。

Jリーグのスカウトも集まってくるような大会だったらしい。結果は、鹿児島城西高校は3位になった。

しかし、大迫勇也が挙げたゴールは、僅か1ゴールだったようだ。

その時、大迫勇也は、全然力を出せずに悔しがっていたそうだ。

自分に対する怒り、不甲斐なさを抑えきれなかった。

小久保監督は、この1ゴールを凄く喜んだ。これこそ、小久保監督が日々大迫勇也と共に積み重ねて来たモノであった。

どこの高校との対戦かも、私にはわかりませんが…。

中盤にボールが入った時に、どちらかのサイドに流れて、パスを受け取った瞬間に前を向きマークを2人を振り切り、豪快にゴールを決めたらしい。

今までに、見られなかった形でのゴール。大迫勇也の中で起き始めた変化の象徴だった!

大迫勇也の中で着実に変化が生まれていたのが見て取れたシーンであったそうだ。

進化した大迫勇也のサッカーとは?

ここから彼のサッカーの進化が加速していった。まさに、サッカースタジアムが、大迫劇場になった。

まずは、高校3年に進級すると、プリンスリーグ九州で得点王に輝く。

高校、ユースで争う、高円宮杯全日本ユースでは、宇佐美貴史率いるG大阪ユースを相手にハットトリックを達成。

G大阪ユースと言えば、ユースの中でも強豪チーム。その相手に、ハットトリックは凄い。

結局この大会で、4ゴールをマークした。チームは、ベスト8まで勝ち進んだ。

そして冬の高校サッカー選手権大会では、個人最多ゴール記録となる10ゴールをマーク。

高校サッカー選手権大会では、大迫勇也は、注目選手であったため、対戦相手に厳しいマークにあっていた中での記録。

中々、自分のサッカーをさせてもらえない状況でだ。

これは、本当に凄いと言うしかない。決勝では、破れはしたが、高校サッカー選手権大会で準優勝。

進化したサッカーを見せつけられたであろう。

小久保監督は、

「これまでは周囲から『いい』と言われていてもそれほど点を取っていなかったし、点を取れる選手に生まれ変わった。それが凄く嬉しかった」

とコメントしている。

小久保監督の日々の指導により、高校サッカーで、新しいサッカースタイルで、プロ入りをした。

2009年に鹿島に入団して、高卒ルーキーで、開幕ベンチ入りを果たした。

第5節のFC東京戦で、J初ゴールを挙げる。

その後、順調に成長し、鹿島のストライカーとしてチームを救っていった。

そして、2013年には、キャリアハイの19得点を挙げる。

その活躍もあり、サッカーの本場、ドイツ2部の1860ミュンヘンへの完全移籍を果たした。

そして、ドイツ1部に復帰が決まったケルンと3年契約での移籍。

さらに、2014年ブラジルW杯に出場し、第1戦のコートジボワールと第2戦のギリシャ戦は、スタメン起用であったが、何も出来ずに途中交代。第3戦は、出場せずチームも敗退。

その後も、ケルンで活躍をし、2020年までの契約延長を勝ち取った。

現在は、ブンデスリーガで最下位にいるが、大迫勇也の調子が上向いてくれば、チームの順位も上がっていくでしょう。

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