宇佐美貴史がバイエルン移籍での挫折と得た大きなものとは何か?

最近は、移籍市場の情も賑わってきましたね。鹿島の植田直通がベルギーのセルクル・ブルージュへ完全移籍するなど、Jの選手たちも何人か移籍の噂が立っております。

同じ鹿島の昌子源もブレーメン、ストラスブールへの移籍があるのではないかともいわれています。


どんどん海外に移籍をし、パワーアップしてきてほしいですよね?恐らく、最近の海外移籍をする選手たちは、出場機会を求めて移籍をする傾向が強いので、それに関しては大賛成です。

最近と言えば最近ですが、浅野拓磨がアーセナルに完全移籍、井手口陽介はリーズに期限付き移籍をしましたが、労働ビザの関係で、すぐにレンタル移籍などあまりよろしくない方向に行っているので、海外移籍をする際にはちゃんと考えてやってほしいですね。

以前、宇佐美貴史は、19、20歳でドイツの名門バイエルンに買取オプション付きで移籍を果たしましたが、バイエルンという名門にいきなり移籍をしたことで失敗をしてしまいましたね。

バイエルンのある選手は、宇佐美貴史の才能は認めていましたが、経験不足と指摘されていたこともありました。バイエルン側も才能は認めての獲得であったと思いますが。

バイエルンと言えば、世界有数のビッククラブであり、選手層も厚く、出番などほとんどないに等しいのに、なぜ移籍してしまったのか?

バイエルンのようなとこでなく、中堅クラスのクラブで、出番があるようなところからはなかったのか?と今でも思ってしまいます。

宇佐美貴史は、バイエルンに移籍をし、もしかしたら初めて挫折というものを味わったのかもしれません。

そこで、今日は、宇佐美貴史がバイエルンに移籍した時のことについて書いていこうと思います。

バイエルンに移籍した宇佐美貴史に待っていたものはどんなものだったのでしょうか?

初めての挫折を味わった宇佐美貴史のバイエルンの日々は、どのような感じだったのか?

バイエルンに移籍するまでは、宇佐美貴史は自信をもってプレーをしていたに違いない。自信があったからこそ、バイエルンに移籍をしたのだと思う。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。今まで順調なサッカー人生を歩んでいた宇佐美貴史にとって、バイエルンに移籍して、初めての挫折だったに違いないと思う。

宇佐美貴史の才能は、だれも疑うことはなかった。疑う人の方がおかしいと言われるような感じであったと思う。

だから、宇佐美貴史の周りもバイエルンに移籍することを進める人が多かったんじゃないのかなと思います。

今なら、バイエルン移籍を止める人の方が多いかもしれませんね。

今もそうですけど、バイエルンのメンバーは、ドイツ代表のようなもので、あとは世界レベルの選手が多く集まっている名門クラブ。

宇佐美貴史がバイエルンに移籍した際は、ラーム、リベリー、ロッベンなど世界的スター選手が名を連ねていた。

ガンバ大阪では、それなりに出場機会も与えられていましたし、言語の問題や生活する分でもストレスは溜めずにいれたかもしれません。

覚悟していたとはいえ、バイエルンの選手層を考えてみれば、宇佐美貴史の出番はほとんどあるわけでもなく、ベンチ入りですらギリギリという状態であった。

バイエルンだったら、ベンチに入ることでもすごいことだと思いますが。

試合に出れないストレスと私生活からくるストレスで宇佐美貴史は、そうとう苦しんでいたに違いないと思います。

ここまで、サッカーで苦しんだことは初めてではないでしょうか?しかし、まだ若かった宇佐美貴史は、バイエルンに移籍したことをプラスに考えていた。

バイエルン移籍は、サッカー人生が悪い方へ転がろうとしている時に、なぜプラスに捉えることが出来たのでしょうか?

そこについて書いていこうと思います。ドイツの名門バイエルンが教えてくれたものとは何でしょうかね?

初めての挫折の中で、宇佐美貴史がバイエルンで得てきたものとは何か?

世界各国の代表、スターが集まるバイエルン。宇佐美貴史は、当初、その選手たちに追いつきたい、一緒に練習していれば自分もレベルアップできると思っていたのでしょう。

宇佐美貴史自身も、成長できている実感があったと語っていた。

まあ、あれだけのメンバーと練習をやるだけでもレベルは上がるとは思いますが、それを披露する場所のことまでは考えていなかったのかな?

結局は、バイエルンでは、ベンチに入れるかどうかのギリギリのところ。しかも、ベンチに入っても試合に出られる保証もないわけである。

ただ、、凄い選手たちの中に入れることで、素晴らしいサッカーが見れるといったポジティブな発言もしていたようだ。そこらへんは、宇佐美貴史らしい一面だなと思う。

試合に出れなくて、苦しい時期が続いたが、そういった楽しみを見出したことで宇佐美貴史にとっては、良い時間だったと語っていた。

宇佐美貴史にとって、バイエルンに移籍して、本当の意味で大きなものを得てきたことと言えば、プロフェッショナルな姿勢だと思いますね。

恐らく、ガンバ大阪にいた時は、多少手を抜いたとしても、周囲はそこまで反応しなかったはず。

しかし、バイエルンでは、そうはいかない。練習からの姿勢など日本では見られなかったことを体験してきたことが大きかったと思いますね。

監督や世界レベルの選手たちに、

「ハングリーになれ!!」

かなり言われていたようだが、監督や世界レベルの選手たちに言われ続けて、本当の意味を知ったようだった。宇佐美貴史は、こんなことを言っていた。

「ハングリーになれっていうのは、単純に貪欲にプレーしろということだけではなく、見られ方の問題でもあると思うんです。」

「自分が100%でやったなと思っても、監督やチームメートがあいつはやっていないと思ったら、それは100%じゃない。」

「でも、80%でやっても、見ている人があいつは120%や、貪欲やなって思われれば評価される。評価されるためには、常に自分が思っている以上の良いプレーや変化を人に見せていかないといけない。自分はそういう意味のハングリーだと捉えていました」

このような心の変化があったことが、宇佐美貴史を一回り成長させたのではないでしょうかね?

それからは、上の引用のような気持ちで、バイエルンでの練習に励めていたのかなと思います。

試合に出れない悔しさ、辛さは、もちろんあったと思いますが、サッカー選手として大きくなったのかなとも思います。

バイエルン退団後も、期限付き移籍で、転々としてますが宇佐美貴史は、まず、運動量を増やすことと守備力を向上させないといけませんね。

運動量は増えてきているらしいのですが、ワールドカップを見ている限り、そうは思えないので!

身近にいた原口元気のプレーをよく思い出して、トレーニングに励んでほしいですね。

なぜ、同じデュッセルドルフにいて、原口元気はハノーファーに完全移籍できて、宇佐美貴史はデュッセルドルフからしかオファーがないのかを。

まとめ。

今回は、宇佐美貴史が若い時期のバイエルンに移籍をして、挫折と得たモノについて書かせていただきました。

経験もろくにない中で、初の海外移籍をバイエルンという名門に移籍をすること自体凄い度胸だったと思いますが、そこで初めて味わった挫折を糧に出場機会の得られるクラブでプレをしてほしいですね。

宇佐美貴史が得たモノに関しては、サッカーだけでなく、普通の生活の中でも通づるものがあるので、自分も新たな気持ちを持って、ブログに取り組みたいと思います。

バイエルンに移籍する前は、世界でも注目される若手の一人でしたが、バイエルンに移籍をし、世界の壁にぶち当たり、バイエルンが獲得した史上最悪の一人などと言われてしまいました。

その後もホッフェンハイム、アウクスブルクでも活躍できずに苦しみましたが、デュッセルドルフでの活躍で再び輝きを取り戻してきました。

ただ、2部リーグでの話と言われてしまうので、1部で結果を残して、周りの雑音をシャットアウトしてほしいですね。

よろしければこちらの記事もどうぞ→デュッセルドルフで輝きを取り戻した宇佐美貴史。その大きな理由とは?



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