昌子源の才能を開花させた、米子北高校での出来事とは?

ワールドカップも残すところ、あとわずかですが、ここからが本当の意味で面白い試合が多くなりそうですね。

ワールドカップのラウンド16で、原口元気のゴールが、「W杯16強ベストゴール5傑」に選出され、特別枠で、乾貴士の無回転ミドルシュートが選出された。

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ワールドカップが終わっても、様々な形へ、評価されていることは良いことですね。ゴールもそうですが、昌子源、柴崎岳の移籍の方も気になりますね。

2人は、どのリーグに行きたいのか?柴崎岳は、CLに出たいと言っていたこともあり、ミランではなく、ドルトムントに傾くのではないでしょうか?香川真司と共演か?

そんなワールドカップで注目を集めた昌子源のサッカー歴について、今回は書いていこうと思います。

昌子源が、サッカーを始めた頃は、いつ頃なのか?

小学生時代に「フレスカ神戸」に入団し、サッカーを本格的に始める。入団した時のポジションは、FWだったそうです。

中学に上がるときに、ガンバ大阪のジュニアユースに入団し、大きな衝撃を受けたようだ。

その理由は、同期入団に、宇佐美貴史や大森晃太郎がいたことが大きな衝撃だったそうです。

しかも、ガンバ大阪のジュニアユースとなれば、他の選手もレベル高いので、競争は、かなり厳しかったでしょうね。

点の取れる選手を目指して、入団したが、宇佐美貴史のプレーを見て、一度プロの夢を諦めたそうだ。

その時は、昌子源は、こう思ったらしい。

「全てがスーパー。逆立ちしてもかなわないと思った」

宇佐美貴史は、アンダー世代の代表にも召集され、さらには、飛び級でユースに交じっていることなど実力の差は開く一方。

さらに、昌子源は、中学2年の時に、膝を故障して、満足にプレーできない日々が続いてたそうだ。

そして、中学3年の時に、ガンバ大阪のジュニアユースを辞めることにした。

中学卒業時には、「サッカーはやりたくない」とまで言っていたようだが、両親の説得もあってサッカー継続の決断をすることを決めた。

しかし、サッカーを継続したことで、運命の出会いがあった。米子北高校を見学しにいった時のことである。米子北高校は、全国でも有名なサッカーの強豪校だ。

米子北高校への見学が、昌子源のサッカー人生を変えた?

昌子源が、米子北高校に見学に行った際に、中村コーチに練習に誘われたことが、きっかけだった。

一度は、嫌で辞めたサッカーだったが、米子北高校のグラウンドで、サッカーをしていたら、やりたくなったんでしょうね!

ブランクがあったと思うので、体力やカンを取り戻すのには時間がかかったと思いますが、大したことはなかったのでしょうね。

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米子北高校に入学して、サッカー部に入部。高校1年の夏に、昌子源にとって大きな転機が訪れた。

高校でもFWとしてプレーを続けていたが、ある日、米子北は当時JFLのガイナーレ鳥取(現J3)との練習試合と練習試合を行っていた。

米子北のCBの選手が負傷してしまい、たまたま、米子北の監督の隣に座っていた昌子源に声がかかり、急遽CBで出場。

相手は、外国人選手、CBはやったことがなかったであろう昌子源は、その活躍が評価され、FWからCBにコンバートすることになってしまった。

米子北の監督が、そう思うのも無理はないと思う。だって、マークしていた相手が、コートジボワールの世代別代表経験を持つ5歳上のFWコン・ハメドという選手だったから。

中村コーチから、こんな言葉が、

「明日からDFな」。

翌日、FWのグループで練習しようとした昌子源は、米子北の首脳陣から、

「センターバックか、(ずっと)走るか。どっちだ」。

と言われ、昌子源は、

「センターバックやります…」

と答えた。米子北CB、昌子源が誕生した。しかし、「NO」と言わせない、米子北の首脳陣も凄い。

昌子源の気持ちは、複雑だったと思います。自分も高校の時にFWからDFにコンバートされましたからね。

しかし、昌子源は覚悟を決めて本気で、CBに取り組むことにしました。言っても、米子北の首脳陣にFWはやらせてもらえないということを悟ったからでしょうね。

米子北の首脳陣、恐るべし。

米子北で、CBとして鍛えられた昌子源は、インターハイで、準優勝、3年時には、ベスト8まで進出するなど、米子北の中心選手として活躍。

そして、U-19代表にの招集され、昌子源は、超高校級のCBとして米子北を引っ張ってきました。

米子北の監督はじめ、首脳陣は、凄いですよね。昌子源の適性ポジションを見抜いて、コンバートさせたんですから。

もし、昌子源が、米子北に入学していなかったら、プロサッカー選手ではなかったかもしれませんね!

そして、もう一つの大きな転機を迎えた昌子源。インターハイで準優勝した時に、米子北に面白いCBがいると噂になり、あるクラブのスカウトの目に留まりました。そう、鹿島アントラーズのスカウトです。

では、昌子源のどのようなところが良かったのでしょうか?

米子北CBの昌子源の魅力は何だったのか?

インターハイで、慣れないポジションでサッカーをしていた昌子源。そこにたまたま対戦校の視察に来ていた鹿島アントラーズのスカウトの目に留まった。

椎本邦一スカウト部長さん曰く、

「速くて足元がうまかった。元FWだと聞いてなるほど、と。1対1が強くて身体能力が高かった」

と昌子源を高評価!

これがきっかけとなり、昌子源は、鹿島アントラーズに入団することとなった。

昌子源は、

「FWだったら間違いなくプロになっていなかった。あの時DFになったから今がある」

と語っていたらしい。

米子北高校に入学して、最高の恩師に恵まれましたね。

米子北高校を卒業後は、鹿島アントラーズ一筋でプレーしています。やはり、1対1の強さやカバーリングの広さなどを評価され、2014年に日本代表に召集される。

その後も順調にCBとして成長し、サッカーワールドカップロシア大会のメンバーに入り、国内組で、唯一レギュラーとして出場するなど大活躍。

その活躍が認められて、海外からも注目を集めている。フランスの1部リーグのストラスブールが獲得に動くのではないかといった報道も出ている。

今後の昌子源の動向に注目ですね!

まとめ。

今回は、昌子源のサッカーを始めた頃から、米子北での出来事について書かせていただきました。

米子北に行ってなかったら、日本代表のCB昌子源はなかったと言っても過言ではありませんね。

米子北の監督、首脳陣のコンバートをさせた判断と、CBとしての能力の高さを見極める目は流石だと思います。米子北も自慢の教え子として、話とかしてるんじゃないんですか?

鹿島アントラーズのスカウトも、攻撃を跳ね返すところだけではなく、足元のうまさも見ているところは、流石、プロのスカウトマンだなと思います。

現代サッカーで、必要なものをある程度、備えている昌子源は、今後も日本代表のCBとして活躍してくれるでしょう!

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