本田圭佑の年俸推移が凄すぎる!最高年俸はACミラン時代の約5億4000万円!

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ピッチ内外で注目される本田圭佑選手。

サッカー選手、監督、起業家と様々な顔を持つ、今までのサッカー選手とは違った一面を持っていますね。

名古屋グランパスエイトでデビューしてから、様々なクラブを渡り歩いてきました。

これまで所属してきたクラブでの年俸は、どのくらいであったのでしょうか?

今回は、本田圭佑選手の年俸推移について書いていきたいと思います。


本田圭佑の年俸推移が凄すぎる!最高年俸はACミラン時代の約5億4000万円!

本田圭佑選手の写真10枚並べた画像

本田圭佑選手の写真

名古屋グランパスエイトでプロデビュー後、様々なクラブを渡り歩いてきた本田圭佑選手。

皆がうらやむACミランに加入し、背番号10を背負ってプレーしていましたね。

様々なクラブに所属してきた本田圭佑選手ですが、年俸推移はどうだったのでしょうか?

見てみましょう↓

シーズン所属クラブ年俸
2005名古屋グランパスエイト450万円
2006名古屋グランパスエイト1000万円
2007名古屋グランパスエイト1800万円
2007-2008VVVフェンロ6500万円
2008-2009VVVフェンロ6500万円
2009-2010VVVフェンロ6500万円
2009-2010CSKAモスクワ3億円
2010-2011CSKAモスクワ3億円
2011-2012CSKAモスクワ3億円
2012-2013CSKAモスクワ3億円
2013-2014CSKAモスクワ3億円
2013-2014ACミラン258万8000ユーロ
(約3億4000万円)
2014-2015ACミラン391万2000ユーロ
(約5億1000万円)
2014-2015ACミラン348万1000ユーロ
(約4億5000万円)
2016-2017ACミラン418万3000ユーロ
(約5億4000万円)
2017-2018パチューカ448万1000ドル
(約5億2000万円)
2018-2019メルボルン・ヴィクトリー290万ドル
(約3億3000万円)
2019-2020フィテッセ3億3000万円
2019-2020ボタフォゴ約340万レアル
(約6600万円)
2020-2021ネフチ・バクー1000万円
(3カ月で)
2021-2022スードゥヴァ・マリヤンポレ非公開

ACミラン時代の418万3000ユーロ(約5億4000万円)が過去最高額!

それ以降は、クラブ規模や年齢の関係で年俸は下がっていきました。

まだ、現役引退されていませんし、次のクラブが決まってほしいですね。

次は、どこの大陸でプレーするのか?

今後の本田圭佑選手の動向に注目です。

名古屋グランパスエイト

名古屋グランパスエイト時代の本田圭佑選手の写真

名古屋グランパスエイト時代の本田圭佑選手の写真

引用:Twitter

名古屋グランパスエイト時代の年俸推移です↓

シーズン年俸
2005450万円
20061000万円
20071800万円

石川県の名門星陵高校を卒業後、名古屋グランパスエイトに入団!

「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が契約に組み込まれたいたようです。

このころから海外でプレーすることを考えていたのですね。

高卒ルーキーでスタメンを勝ち取り、主力としてチームを支え続けました。

プロデビューから大物と感じさせるプレーで注目を集めていたと思われます。

名古屋グランパスエイト時代の本田圭佑選手です↓

ニアをぶち抜くシュートは見ていて気持ちがいいですね!

その前のまた抜きも素晴らしいですし。

VVVフェンロ

VVVフェンロ時代の本田圭佑選手の写真

VVVフェンロ時代の本田圭佑選手の写真

引用:Twitter

VVVフェンロでの年俸の推移です↓

シーズン年俸
2007-20086500万円
2008-20096500万円
2009-20106500万円

即戦力として、シーズン途中に加入するもクラブの期待に応えられず、クラブは2部に降格・・・。

2部に降格したクラブに残った本田圭佑選手は、チームのエースとして攻撃をけん引。

公式戦37試合16得点14アシストを記録し、昇格に大きく貢献!

自身も2部リーグのMVPに輝き、充実した1年を過ごしました。

VVVフェンロ時代には、こんなスーパーゴールを決めていました↓

豪快な1発でしたね。

シュートの意識が強くなった本田圭佑選手は怖い存在へと変貌しました。

この意識の変化が1番大きかったのではないでしょうか?

CSKAモスクワ

CSKAモスクワ時代の本田圭佑選手の写真

CSKAモスクワ時代の本田圭佑選手の写真

引用:football-zone

CSKAモスクワ時代の年俸推移です↓

シーズン年俸
2009-20103億円
2010-20113億円
2011-20123億円
2012-20133億円
2013-20143億円

移籍金900万ユーロ(約12億円)で、CSKAモスクワに加入。

加入1年目から、公式戦33試合5得点6アシストを記録。

このシーズンには、UEFAチャンピオンズリーグに出場し、セビージャ戦のセカンドレグで初得点初アシストを記録。

UEFAチャンピオンズリーグの週間ベストイレブンに選出されました!

2年目は不慣れなボランチでのプレーでしたが、素晴らしい活躍をし、公式戦39試合9得点12アシスト。

3年目は、右サイドでプレーする機会が多く、好調をキープしていましたが、右膝半月板損傷で長期離脱することに。

このシーズンは負傷に悩まされ、思うようにプレーができずに終わりました。

CSKAモスクワの残りのシーズンも怪我で離脱をし、2013年の冬に退団することに。

CSKAモスクワ時代の伝説のフリーキックの動画です↓

本田圭佑選手らしいフリーキックでした。

早くCSKAモスクワから移籍できていたら、もっと違ったサッカー人生になっていたかもしれませんね。

ACミラン

ACミラン時代の本田圭佑選手の写真

ACミラン時代の本田圭佑選手の写真

引用:goal

ACミランでの年俸推移です↓

シーズン年俸週給
2013-2014258万8000ユーロ
(約3億4000万円)
4万9769ユーロ
(約650万円)
2014-2015391万2000ユーロ
(約5億1000万円)
7万5231ユーロ
(約980万円)
2015-2016348万1000ユーロ
(約4億5000万円)
6万6942ユーロ
(約870万円)
2016-2017418万3000ユーロ
(約5億4000万円)
8万442ユーロ
(約1050万円)

1ユーロ=130.16円で計算しています。

少年時代からの夢であったACミランに移籍し、背番号10。

日本人選手が名門クラブで背番号10を背負うなんて夢のような出来事でしたね!

加入1年目は、シーズン途中ということもあり、公式戦16試合2得点2アシストと上々の出来でした。

2年目は開幕から連続ゴールで良い滑り出しでしたが、後が続かず・・・。

それでも、公式戦30試合6得点5アシストは記録しました。

出だしが良かっただけにもったいなかったですね。

3年目は前半戦は出来が良くなく、後半戦は素晴らしかった!

右サイドでレギュラーを勝ち取り、公式戦37試合2得点8アシストを記録しましたが、翌年は散々な目にあいましたね。

スソにポジションを奪われ、出場機会が大幅減・・・。

シーズン終了後にミランを退団しました。

ミラン時代の本田圭佑選手のゴールシーンです↓

引用:(79) 【全ゴール】本田圭佑 ACミランでの全ゴール【確定版】~Keisuke Honda All Goals In AC Milan~ – YouTube

もっと、ACミランで活躍する姿が見たかったですね。

長友佑都選手とのミラノダービーは、多くの日本人が注目していたと思われます。

パチューカ

パチューカ時代の本田圭佑選手の写真

パチューカ時代の本田圭佑選手の写真

引用:theworldmagazine

パチューカでの年俸です↓

シーズン年俸週給
2017-2018448万1000ドル
(約5億2000万円)
8万6173ドル
(約990万円)

1ドル=115.13円で計算しています。

2017年の夏に、メキシコのパチューカに移籍。クラブワールドカップを狙ったのでしょう。

レベルは落ちたかもしれませんが、本田圭佑選手は復活し、公式戦36試合13得点8アシストと好成績を収めました。

クラブワールドカップも経験し、パチューカ移籍は成功であったと思っています。

パチューカ時代の本田圭佑選手のスーパーゴールです↓

メルボルン・ヴィクトリー

メルボルン・ヴィクトリー時代の本田圭佑選手の写真

メルボルン・ヴィクトリー時代の本田圭佑選手の写真

引用:football-zone

メルボルン・ヴィクトリーでの年俸です↓

シーズン年俸週給
2018-2019290万ドル
(約3億3000万円)
約5万5770ドル
(約640万円)

1ドル=115.13円で計算しています。

※週給に関しては、年俸を52で割った計算で出しています。

本田圭佑選手は、オーストラリアリーグの特例である各クラブにつき一人だけ認められる「マーキープレーヤー」として扱われました。

オーストラリアでは、チーム全員の年俸合計が210万豪ドル(約1億7200万円)以下に制限されているが本田圭佑選手には関係なく年俸が支払われました。

年俸の推移は下降していますが、年齢を考えれば高額です。

それほど、本田圭佑選手の加入は大きいと判断してくれたのでしょう。

成績は、公式戦24試合8得点7アシストでした。物足りないような気もしますが、どうだったのでしょうか?

フィテッセ

フィテッセ時代の本田圭佑選手の写真

フィテッセ時代の本田圭佑選手の写真

引用:football-zone

フィテッセでの年俸は3億3000万円だったようです。

本田圭佑選手の年齢を考えれば、出しすぎでしょう。

CSKAモスクワでの恩師スルツキ監督がいたからではないか?と言われていましたが、監督が求めてということでしたね。

監督が退任され、本田圭佑選手も退団するという悪い流れになってしまいました・・・。

ボタフォゴ

ボタフォゴ時代の本田圭佑選手の写真

ボタフォゴ時代の本田圭佑選手の写真

引用:footballista

ボタフォゴでの年俸は、約340万レアル(約6600万円※当時のレート)。

2020年の冬に、ブラジルのボタフォゴに移籍。

リオデジャネイロ州選手権の第3節バングー戦に出場し、PKでゴールを記録!

この得点でクラブキャリア通算100得点と5大陸(アジア・ヨーロッパ・北アメリカ・オーストラリア・南アメリカ)のプロリーグで得点を記録した史上初の選手となりました。

ゲームキャプテンも務めるなどチームの中心選手として活躍していましたが、チーム状況が良くなく、退団を決意。

ボタフォゴを退団後、ネフチ(アゼルバイジャン)に移籍することに。

ネフチ・バクー

ネフチ・バクー時代の本田圭佑選手の写真

ネフチ・バクー時代の本田圭佑選手の写真

引用:Twitter

ネフチ・バクーでの年俸?報酬は、約3か月で1000万円のようですね。

2020-2021シーズン終了までということなので、ありがたいと言えばありがたいはず。

シーズン終了後、契約が切れるわけですが、どうするのでしょうか?

まだまだ話題を提供してくれそうな気がします。次の移籍先はどこの国になるのか?

オフシーズンの本田圭佑選手の動向に注目ですね。

そんな本田圭佑選手は、リトアニア1部のスードゥヴァ・マリヤンポレに加入しました。

スードゥヴァ・マリヤンポレ

スードゥヴァ・マリヤンポレ時代の本田圭佑選手の写真

スードゥヴァ・マリヤンポレ時代の本田圭佑選手の写真

引用:goal

スードゥヴァ・マリヤンポレでの年俸は公表されていないようです。

ただ、本田圭佑選手曰く、

「ストレートに聞いてくるな(笑)。年俸は言えないですけれど、なんとか生活していけるお金をいただいているので、移籍することに大して迷わなかったです。ただ皆さんが思っている以上に安いかもしれないです」

引用:ズバリ年俸は?リトアニア移籍の本田圭佑が答える「生活していけるお金。皆さんが思っている以上に…」 | サカノワ (sakanowa.jp)

生活していける金額ということですが、どのくらいなのでしょうか?

調べてみると、こんな記事がありました↓

「リトアニア1部の上位クラブでも、助っ人選手の年俸相場は400万円ほど。W杯3大会連続出場、3大会連続ゴールという勲章を最大限に評価されたとしても、本田の年俸は600万円前後」(前出の関係者)

引用:リトアニア移籍した本田圭佑 激安年俸を補うスパイク契約のヒミツ – ライブドアニュース (livedoor.com)

このほかに、スポンサーから入ってくるお金もあると思うので余裕で暮らしていけるのではないでしょうか?

様々な事業もあるので、問題はないでしょう。

そんな本田圭佑選手は、スードゥヴァ・マリヤンポレでのデビュー戦で得点を挙げ、”持っている男”っぷりを見せてくれましたね↓

シュートはボテボテでしたが、それが良かったのではないでしょうか?

これ以降は目立った活躍が見られず、契約満了で退団しました。




まとめ

今回は、本田圭佑選手の年俸推移について書いてみました。

凄い勢いで年俸が上がっていきましたので、下がり方も凄いのかなと思っていたら、そうでもない。

今では急激に落ちましたが、リーグのレベル、クラブ規模を考えれば仕方がないですね。

今後も違う大陸でプレーする可能性が高いと思われます。

次は、どこへ行くのか?

本田圭佑選手の動向に注目しましょう!

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参考サイト

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