【画像81枚】サッカー日本代表歴代キャプテン図鑑1968~2022年まで21人をまとめてみた

サッカー日本代表のキャプテンというと真面目な方が多い印象がありますが、どうなのでしょうか?

直近では、長谷部誠選手が長い間、サッカー日本代表のキャプテンを務めていたので、そのような印象があるかもしれません。

今は、吉田麻也選手が務めていますが、歴代のサッカー日本代表のキャプテンはどんな方が務めていたのでしょうか?

今回は、サッカー日本代表の歴代キャプテンについて書いていきたいと思います。


サッカー日本代表歴代キャプテン図鑑1968~2022年まで21人をまとめてみた

引用:goal.com

サッカー日本代表歴代キャプテンは、どんな方が務めていたのでしょうか?

その時代のサッカー日本代表を象徴するような人物がキャプテンだったのでしょうか?

それでは見ていきましょう↓

吉田麻也(2018~)

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吉田麻也選手の写真

吉田麻也選手をキャプテンに指名したのは、森保一監督。

長谷部誠選手の後を引き継いだ吉田麻也選手。

海外で長年プレーし、様々な経験をされているので心強いですね。

キャプテン就任後、長谷部誠選手にはなれないと弱気な発言をしていましたが、今では素晴らしいキャプテンシーを発揮してくれています。

W杯カタール大会が集大成になる可能性が高いので、吉田麻也選手には本大会への切符を勝ち取ってほしいものです。

そして、ベスト8以上の成績を収めてほしいですね。

長谷部誠(2010~2018)

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長谷部誠選手の写真

長谷部誠選手をキャプテンに選出したのは、岡田武史監督、ハビエル・アギーレ監督、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督、西野朗監督。

監督が変わっても信頼されている長谷部誠選手。

人間性が素晴らしいからこそでしょう!

2010年から2018年W杯ロシア大会までサッカー日本代表キャプテンを務めた長谷部誠選手。

リーダーシップ、的確なコーチング、中盤でのバランスのとり方など派手さはないがキャプテンとして必要な能力を兼ね備えていたと思われます。

サッカー日本代表を引退してしまいましたが、現役は続行しています。

何歳まで現役続行されるのでしょうか?

今後の長谷部誠選手の活躍、動向に注目しましょう!

中澤佑二(2008~2010)

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中澤佑二氏の写真

中澤佑二氏をキャプテンに選出したのは、岡田武史監督。

空中戦に絶対の自信を持ち、対人守備も凄かった選手。

W杯南アフリカ大会では、闘莉王氏と共に鉄壁なディフェンスを披露し、ベスト16進出に大きく貢献。

ファンサービスにも定評があり、選手、ファンから愛された選手。歴代最高のCBの一人として評価されています。

川口能活(2006~2008)

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川口能活氏の写真

川口能活氏をキャプテンに選出したのは、イビチャ・オシム監督、岡田武史監督。

闘志あふれるプレーが持ち味の選手でしたが、年齢を重ねるごとに味のあるプレーを見せてくれるようになりました。

日本代表のGK像を変えてくれた人物であることでも有名ですよね。

ライバルであった?楢崎正剛氏とのポジション争いは、大きな注目を集めていました。

W杯南アフリカ大会では、大会前まで公式戦出場がないながらも選出され、周囲を驚かせましたね。

岡田監督は、川口能活氏にチームのまとめ役を任され、キャプテンに就任!

試合出場はなかったですが、チームをまとめ上げ、ベスト16進出に大きく貢献しました。

宮本恒靖(2004~2006)

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宮本恒靖氏の写真

宮本恒靖氏をキャプテンに選出したのは、ジーコ監督。

冷静な守備とコーチングが魅力な選手でした。

語学が堪能で、2004年に行われたアジア杯では、審判にPKの位置変更を申し入れたことは有名!

ルックスが良く、女性ファンも多く、人気、実力を兼ね備えた素晴らしいキャプテンでした。

U-17サッカー日本代表からすべてのカテゴリーでキャプテンを務めるほどの人望の持ち主であったようですね。

中田英寿(2002~2004)

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中田英寿氏の写真

中田英寿氏をキャプテンに選出したのは、ジーコ監督。

ゲームを読む力が素晴らしく、セリエAで成功を収めた選手と言っても過言ではないかもしれません。

当時世界最高リーグであるセリエAで長年やれていたことが何よりの証明。

新世代の選手として大きな注目を集めた。また、ファッションに注目が集まり、成田空港で現れる際には、「成コレ」というような言葉も使われるようになりましたね。

※今でも、世界で名を知られている日本人選手として有名。

過去最高の日本人選手と評価されることも多いです。

森岡隆三(2000~2002)

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森岡隆三氏の写真

森岡隆三氏をキャプテンに選出したのは、フィリップ・トルシエ監督。

トルシエ監督から信用されており、最終ラインから的確なコーチング、冷静な守備を評価され、キャプテンに就任。

アジア杯優勝、シドニーオリンピックでベスト8、W杯日韓大会でベスト16とサッカー日本代表の黄金期を支えてくれていました。

日韓大会では初戦のベルギー戦で負傷し、それ以降出場できずに終わってしまいましたね・・・。

ジーコジャパンでも召集されましたが、国際親善試合アルゼンチン戦以降召集されなくなりました。

歴代キャプテンの中でも良い時期を過ごした選手だったと思われます。

井原正巳(1996年~1999)

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井原正巳氏の写真

井原正巳氏をキャプテンに選出したのは、加茂周監督、岡田武史監督。

「ドーハの悲劇」、W杯初出場など歴代キャプテンの中で、天国と地獄を味わった選手。

日本代表の最終ラインを統率し、冷静なカバーリングや対人守備に定評があり、付けられた愛称は、「アジアの壁」。

当時の日本代表メンバーの中で世界で通用する選手として評価されていました!

W杯フランス大会後もサッカー日本代表に召集されましたが、1999年に行われたコパ・アメリカを最後に召集されなくなりました。

2002年に現役を引退され、解説者、指導者で活躍!

現在、サッカー日本代表で活躍する冨安健洋選手を育てたことでも有名ですよね?

今後も素晴らしいCBを育ててくれるのか?楽しみなところ。

柱谷哲二(1991~1995)

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柱谷哲二氏の写真

柱谷哲二氏をキャプテンに選出したのは、加茂周監督、ファルカン監督、ハンス・オフト監督。

激しいプレーと厳しいコーチングでつけられた愛称は「闘将」。

守備的MF、CBで大活躍されましたね!

サッカー日本代表だけでなく、ヴェルディ川崎の黄金期を支えてくれました。

1988年にサッカー日本代表に選出され、オフトジャパン時代にはキャプテンに抜擢!

「ドーハに悲劇」も経験し、1995年までサッカー日本代表でプレーし、1998年に現役を引退されました。

引退後は、解説者や監督業で活躍されています。

森下申一(1990)

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森下申一氏の写真

森下申一氏をキャプテンに選出したのは、横山謙三監督。

1985年にサッカー日本代表に選出され、1987年のソウルオリンピック最終予選で活躍。

それ以降は、松永成立氏が起用されることになり、控えに回ってしまいました・・・。

1997年に引退し、引退後はコーチとして活躍しています。

松永成立(1989)

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松永成立氏の写真

松永成立氏をキャプテンに選出したのは、横山謙三監督。

GKとしては大きくないのですが、度胸ある飛び出しと当時では珍しい足元の技術もあったGK。

あの「ドーハの悲劇」を経験した選手でも有名ですね。

1968年から1980年代のサッカー日本代表の歴代キャプテンを見てきましたが、歴代キャプテンは歴史に名を残すような名選手が多いですね。

原博実(1988)

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原博実氏の写真

原博実氏をキャプテンに選出したのは、横山謙三監督。

現在は、サッカー協会で活躍されています。

現役時代は国際Aマッチで37ゴールを挙げ、歴代3位の記録を持つ方。

ヘディングが得意のようで付いた愛称が「アジアの核弾頭」。

物騒な愛称ですが、昔ならアリかもしれません。

愛称は危ないですが、人柄は良く、人望も厚い方のようです。

加藤久(1985~1987)

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加藤久氏の写真

加藤久氏をキャプテンに選出したのは、石井義信監督、森孝慈監督。

ヒゲがトレードマークで印象に残る選手。

読売クラブの黄金期を支え、ヴェルディ川崎の選手としても活躍されました。

ソウルオリンピック予選では最終予選まで進み、引き分けでも出場決定という条件でありながら負けてしまい、本戦に出場できませんでしたね。

この試合を最後に、サッカー日本代表を引退しました。

木村和司(1986)

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木村和司氏の写真

木村和司氏をキャプテンに選出したのは、石井義信監督。

1986年にサッカー日本代表のキャプテンを務めたのが、木村和司氏。

この方も説明不要な方ですよね。

韓国戦のFKは伝説のゴールとして語り継がれています↓

5分20秒あたりから伝説のFKのシーンです。

引用:木村和司 日本一上手かった男のスーパープレーがこれ!伝説のフリーキック&ゴール,アシスト 横浜F・マリノス(J1リーグ) サッカー日本代表 – YouTube

明治大学在学中に、サッカー日本代表に選出されるほどの逸材でした。

しかし、練習嫌い、わがままで扱いに困っていたようです。

ロサンゼルスオリンピック予選前まで右ウイングのポジションでプレーしていましたが、攻撃的MFのポジションに変更。

当時のサッカー日本代表は、木村和司氏のチームと呼ばれるほど影響力のあった選手でした。

田口光久(1982~1984)

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田口光久氏の写真

田口光久氏をキャプテンに選出したのは、森孝慈監督、川淵三郎監督。

1976年からサッカー日本代表に選出され、国際Aマッチ59試合に出場した守護神。

原博実氏のインタビューで、田口光久氏は先輩にも怒鳴る選手だったようです。

そして、驚いたのが足が速いという話!

インタビュアーも驚いていました。

現役時代の田口光久氏を知らない方は驚くでしょうね。

また、足元が上手く、ボール回しが上手かったようですよ。

原博実氏が現役時代の田口光久氏について語っている動画はコチラ↓

引用:(540) 【追悼】時代を先取りしたGK 田口光久さんとの思い出話。Jリーグをもっと好きになる情報番組「JリーグTV」2019年11月21日 – YouTube

引退後の姿から想像もできないことが多かったですね!

田口光久氏は、2019年11月に呼吸不全のためお亡くなりになりました。

前田秀樹(1980~1981)

前田秀樹氏に写真2枚並べた画像

前田秀樹氏に写真

前田秀樹氏をキャプテンに選出したのは、川淵三郎監督、渡辺正監督。

法政大学在学中に、サッカー日本代表に選出されました!

サッカー日本代表では65試合に出場し、11得点をあげる活躍をされたようです。

前田秀樹氏は、昭和から平成に変わった後の日本サッカー公式戦初得点をあげたことで有名!

引退後は、解説者や指導者として活躍!

あの「ドーハの悲劇」の解説をしたことでも知られています。

前田秀樹氏の詳しい情報については、コチラ→前田秀樹

落合弘(1978~1979)

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落合弘氏の写真

落合弘氏をキャプテンに選出したのは、下村幸男監督、二宮寛監督。

藤島信雄氏の後を継いだのが、落合弘氏。

落合弘氏は、メキシコシティオリンピック以降低迷していたサッカー日本代表キャプテンを務めました。

FWからDFまでこなせる器用さを持ち合わせ、低迷するサッカー日本代表を支えた名選手!

この時代の選手は、どのポジションでもプレーできていたんですね。

引退後は、サッカー日本代表コーチ(1988年~1992年)、浦和レッズ(1992年~1993年)のコーチを務めていました!

落合弘氏の詳しい情報については、コチラ→落合弘

藤島信雄(1978)

引用:https://ameblo.jp/roots-future/entry-10926127279.html

藤島信雄氏をキャプテンに選出したのは、二宮寛監督。

1978年に、サッカー日本代表キャプテンに就任したのは、藤島信雄氏。

豊富な運動量で攻守に貢献していたようです。

※引用サイトを見ると、上手くはなかったようです。果たして、どうだったのでしょうか?

藤島信雄氏の詳しい情報に関しては、コチラ→藤島信雄

釜本邦茂(1975~1977)

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釜本邦茂氏の写真

釜本邦茂氏をキャプテンに選出したのは、二宮寛監督、長沼健監督。

小城得達氏の後にキャプテンに就任したのは、釜本邦茂氏です。

釜本邦茂氏の説明は不要のぐらい有名ですよね?

メキシコシティオリンピックで7得点を挙げ、得点王に輝き、サッカー日本代表を銅メダルに大きく貢献!

今でもサッカー日本代表歴代最強のストライカーと呼ばれているほどの名選手。

釜本邦茂氏の動画があったので載せてみました!

引用:(539) 釜本邦茂 サッカー (68`メキシコ五輪) – YouTube

トラップが上手いですね。

ここで勝負が決まっているように思えます。

これだけのストライカーがいれば、サッカー日本代表の戦いも楽になるのではないでしょうか?

小城得達(1969~1974)

引用:soccerdigestweb.com

小城得達氏をキャプテンに選出したのは、二宮寛監督、長沼健監督、岡野俊一郎監督。

1969~1974年までキャプテンを務めた小城得達氏。

右の方が、小城得達氏です。左は、釜本邦茂氏ですね。

メキシコシティオリンピック後のキャプテンですので大変だったことでしょう。

小城得達氏もメキシコオリンピックメンバーだったそうで、凄いのはFW、MF、DFをこなすオールラウンダーの選手だったようです。

サッカー日本代表では主にDFで活躍され、国際Aマッチ62試合に出場しました。

フィジカルトレーニングに励み、強靭な肉体を作り上げたことでも有名のようです。

小城得達に関して詳しい情報は、コチラ→小城得達

八重樫茂生(1968)

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八重樫茂生氏の写真

八重樫茂生氏をキャプテンに選出したのは、長沼健監督。

1968年メキシコシティオリンピックの時のキャプテン八重樫茂生氏。

日本サッカー界の歴史に残るメキシコシティオリンピック銅メダルを獲得!

メキシコオリンピックというと、どうしても釜本邦茂氏が取り上げられますが、この時のサッカー日本代表キャプテンである八重樫茂生氏も有名どころのようですね。

実は、初戦のナイジェリア戦で靱帯断裂の怪我を負い、残り試合は欠場・・・。

しかし、八重樫茂生氏は腐らず、チームのサポートをしていたようです。

松葉杖をつきながら、ユニフォームを洗っていたという話があります!

チームのためと思って行ったことが、銅メダルにつながったのかもしれませんね!

八重樫茂生に関しての詳しい情報は、コチラ→八重樫茂生

サッカー日本代表でキャプテンになりやすいポジションは?理由は?

吉田麻也選手の写真

吉田麻也選手の写真

引用:https://www.football-zone.net/archives/417540/2

サッカー日本代表でキャプテンを任されやすいポジションは、センターバック!

続いて、ゴールキーパーとフォワードとなっています。

上で紹介した選手のポジションは以下の通りです↓

選手名ポジション
吉田麻也センターバック
長谷部誠守備的ミッドフィルダー(ボランチ)
中澤佑二センターバック
川口能活ゴールキーパー
宮本恒靖センターバック
中田英寿攻撃、守備的ミッドフィルダー(ボランチ)
森岡隆三センターバック
井原正巳センターバック
柱谷哲二センターバック
森下申一ゴールキーパー
松永成立ゴールキーパー
原博実フォワード
加藤久センターバック
木村和司攻撃的ミッドフィルダー、フォワード
田口光久ゴールキーパー
前田秀樹攻撃的ミッドフィルダー、リベロ
落合弘攻撃的、守備的ミッドフィルダー、フォワード
センターバック、サイドバック
藤島信雄ミッドフィルダー
釜本邦茂フォワード
小城得達オールラウンドプレーヤー
八重樫茂生フォワード、ミッドフィルダー

センターバックが6人で最も多く、次にゴールキーパーが4人となっています。

意外だったのは、フォワードの選手が多かったこと。

この3つのポジションの選手がキャプテンになりやすいのは、フィールド全体が見渡せるポジションだからな気がします。

指示を出すのに、全体が見えていないと厳しいですので。

直近のサッカー日本代表を見ていると、センターバックの選手がキャプテンになる傾向が強いので、次のキャプテンもセンターバックの選手になるかもしれませんね。

年齢と実力を考えて、中盤の選手になる可能性も高そうです。

サッカーワールドカップカタール大会後、新キャプテンになるのはセンターバックなのか?中盤の選手になるのか?

非常に楽しみです。




まとめ

今回は、サッカー日本代表の歴代キャプテンについて書いてみました。

歴代キャプテンを振り返ると様々な方がいらっしゃいますね。

ポジションもディフェンダーの方が多かったですが、前線の選手もいたのでビックリしました。

近年は、後ろの方のポジションの選手がされている感じですが、後ろからピッチ全体を見渡せて指示が出せるので良いのかなと思います。

今後のサッカー日本代表キャプテンで、長谷部誠選手の期間の長さを破る人が出てくるのか?楽しみですね!

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