サッカー日本代表の歴代ユニフォームには様々なデザインがあり、話題になります。
近年では、ユニフォームにも注目が集まり始めましたよね?
これまでのサッカー日本代表のユニフォームには、どんなデザインがあったのでしょうか?
かっこいいと思えるデザインは、どの年代のものなのでしょうか?
今回は、サッカー日本代表の歴代ユニフォームについて書いてみました。
この記事の内容
- 1 サッカー日本代表歴代ユニフォームは?かっこいいデザインは?
- 1.1 1936年(ベルリンオリンピック)
- 1.2 1964年(東京オリンピック)
- 1.3 1968年(メキシコシティオリンピック)
- 1.4 1987年(ソウルオリンピック アジア最終予選)
- 1.5 1989年(ワールドカップ イタリア大会アジア1次予選)
- 1.6 1993-1995年(ドーハの悲劇)
- 1.7 1996-1998年(アトランタオリンピック、ワールドカップフランス大会)
- 1.8 1999-2000(シドニーオリンピック、アジアカップ)
- 1.9 2001(コンフェデレーションズカップ)
- 1.10 2002-2003年(ワールドカップ日韓大会)
- 1.11 2004-2005(アテネオリンピック、アジアカップ)
- 1.12 2006-2007年(ワールドカップドイツ大会)
- 1.13 2008-2009年(北京オリンピック)
- 1.14 2010-2011年(ワールドカップ南アフリカ大会、アジアカップ)
- 1.15 2012-2013年(ロンドンオリンピック)
- 1.16 2014-2015年(ワールドカップブラジル大会)
- 1.17 2016-2017年(リオデジャネイロオリンピック)
- 1.18 2017-2019年(ワールドカップロシア大会、アジアカップ)
- 1.19 2019-2022(東京オリンピック)
- 1.20 2022(ワールドカップカタール大会)
- 2 サッカー日本代表記念ユニフォームは?
- 3 まとめ
サッカー日本代表歴代ユニフォームは?かっこいいデザインは?
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サッカー日本代表の歴代ユニフォームは、どんなデザインがあったのでしょうか?
かっこいいと思えるデザインはあったのでしょうか?
昔のユニフォームとかは、どうだったのでしょうかね?
それでは、サッカー日本代表の歴代ユニフォームについて見ていきたいと思います。
1936年(ベルリンオリンピック)
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1936年ベルリンオリンピックの時のサッカー日本代表のユニフォームです。
コンセプトはなかったようですね・・・。
サッカー日本代表は、オリンピックのサッカー競技に初参加した記念大会!
このベルリンオリンピックで、サッカー日本代表は強豪スウェーデンを3-2で破る金星を挙げ、世界を驚かせました。
この大金星にヨーロッパ各誌は、
- 「不可能なことが起きた」
- 「こんなことをだれが想像できただろうか」
- 「美しく正々堂々とした戦いだった。日本の戦いぶりが歓喜を呼んだのだ」
と報じました。
当時のサッカー日本代表は、初参加に加え、明らかに体格が劣っていたので誰も勝つと思っていなかったようです。
1964年(東京オリンピック)
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1964年東京オリンピックの時のサッカー日本代表のユニフォームです。
この時もコンセプトは不明です。
自国開催のオリンピックで、サッカー日本代表はベスト8進出!
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引用:男子:オリンピックヒストリー|第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)|U-24|日本代表|JFA|日本サッカー協会
クラマー氏の指導で力をつけていったサッカー日本代表は、初戦のアルゼンチンに3-2で競り勝ちました。
続く、ガーナ戦は2-3で敗れてしまいましたが、グループステージ突破!
※同じグループにイタリア代表もいましたが、メンバーの中にプロ選手がいて、アマチュア資格の有無の問題で棄権しました。
決勝トーナメント1回戦のチェコスロバキアに力の差を見せつけられ、0-4で敗戦。
メダル獲得はなりませんでしたが、サッカー日本代表にとって大きな1歩だったように思えます。
1968年(メキシコシティオリンピック)
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1968年メキシコシティオリンピックの時のサッカー日本代表のユニフォームです。
この時もコンセプトは不明です。
メキシコシティオリンピックのことを知っている方は多いと思われます。
オリンピックで初めてメダルを獲得した時ですからね!
銅メダルを獲得したサッカー日本代表は、今でも語り継がれています。
初戦のナイジェリア戦で勝利し、ブラジルとスペインに引き分けて、グループステージ突破!
準々決勝でフランスに勝ちましたが、準決勝でハンガリーに敗北・・・。
ハンガリーは優勝国だったので仕方がないところでしたね。
3位決定戦に回ったサッカー日本代表は、開催国メキシコと対戦。
釜本邦茂氏の2ゴールを守り、サッカー日本代表は3位に輝きました!
釜本邦茂氏は、この大会の得点王に輝き、サッカー日本代表は「ユネスコ国際フェアプレー賞」を受賞。
※FIFAからのフェアプレー賞も受賞したようです。
この後は、サッカー日本代表は長い低迷期に入ってしまいました。
1987年(ソウルオリンピック アジア最終予選)
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1987年のソウルオリンピック アジア最終予選の時のユニフォームです。
この時もコンセプトは不明です・・・。
なぜ、この時のユニフォームの紹介をしたのかというとソウルオリンピックまであと1歩というところまで来たからです。
韓国が開催国枠で出場なので、比較的アジア予選が楽で突破できるのでは?と思われていたようです。
その思惑通り、サッカー日本代表は勝ち進み、アジア最終予選まで勝ち進みました。
最終戦の中国戦に勝つか引き分けで予選突破という有利な状況でしたが、中国に0-2で敗戦し、予選突破はできませんでした・・・。
その試合の動画です↓
久しぶりのオリンピック出場なるか?ということで大きな期待をされていたと思われます。
選手は相当なプレッシャーがあったと思われますね。
1989年(ワールドカップ イタリア大会アジア1次予選)
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1989年のワールドカップ イタリア大会アジア1次予選の時のユニフォームです。
こちらの時もコンセプトは不明です。
サッカー日本代表の歴代ユニフォームで初めて赤が採用されました。
期間は、1988~1991年と短い期間でした。
このユニフォームでは、胸のところにあった「日の丸」が消え、エンブレム「ヤタガラス」がつけられました。
しかし、赤のユニフォームで挑んだワールドカップ予選やオリンピック予選での成績が良くなかったのでやめたようです。
このころのサッカー日本代表は若返りを図っていたので、将来に期待できる若手を多く起用していたようですね。
このあたりからサッカー日本代表に日が差し込み始めました。
1993-1995年(ドーハの悲劇)
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1993-1995年の時のユニフォームです。
※オフィシャルサプライヤーは、1993年は「puma」、1994年は「asics」、1995年は「adidas」。
このユニフォームを覚えている方は多いのではないでしょうか?
ワールドカップ出場まで、あと1歩と迫った「ドーハの悲劇」。
初の外国人監督起用とJリーグがスタートし、日本サッカーが強くなり始めていた時でした。
三浦知良選手、ラモス瑠偉氏らの活躍でアジア最終予選に進出し、最終節前までグループ首位に立っていました!
※当時は、勝点は勝利2、引き分け1、敗戦0。
勝てば無条件でワールドカップ出場、引き分けでも条件付きで出場が決まる状況。
引き分けの場合の条件は、以下の通りでした↓
サウジアラビア – イラン
・引分けの場合
・イランが勝った場合
イランが4点差以下で勝った場合韓国 – 北朝鮮
・引分けの場合
・北朝鮮が勝った場合
・韓国が勝った場合で、かつ韓国が1点差以下で勝った場合
日本有利な状況で最終節のイラク戦に挑むことになりました。
イラク戦ですが、5分に三浦知良選手のゴールで先制し、幸先の良いスタートを切ったサッカー日本代表。
しかし、55分にイラクに同点に追いつかれてしまいましたが、69分に中山雅史氏のゴールで勝ち越し!
そして試合終了間際に、イラクはショートコーナーからセンタリングを上げ、ヘディングでゴール・・・。
気になる他会場の結果ですが、
サウジアラビア 4-3 イラン
韓国 3-0 北朝鮮
韓国に得失点差で上回れ、ワールドカップ出場を逃してしまいました・・・。
見たくない方も多いかもしれませんが、ドーハの悲劇のハイライトです↓
引用:(56) [ドーハの悲劇] 日本 vs イラク 1994アメリカワールドカップアジア最終予選1993 最終戦 ハイライト – YouTube
日本サッカーにとって辛い思い出ですが、この「ドーハの悲劇」のおかげで強くなっていったと思っています。
1996-1998年(アトランタオリンピック、ワールドカップフランス大会)
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1996-1998年までのユニフォームです。
※オフィシャルサプライヤーは、1996年は「asics」、1997年は「adidas」、1998年は「asics」。
アトランタオリンピックでブラジル代表を撃破した「マイアミの奇跡」やワールドカップ初出場を果たした時のユニフォーム。
まずは、「マイアミの奇跡」を振り返ってみましょう。
28年ぶりにオリンピック出場を果たしたU-23サッカー日本代表。
初戦は強豪U-23ブラジル代表で、誰もが勝てるわけがないと思っていましたね。
U-23ブラジル代表はオーバーエイジで、ベベット氏、リバウド氏、アウダイール氏を招集するほど。
試合が始まると防戦一方のU-23日本代表でしたが、72分に路木龍次氏がゴールキーパーとディフェンスの間に放り込む。
ゴールキーパーのジーダ氏と、城彰二氏を追いかけていたセンターバックのアウダイール氏が激突!
ゴールに向かって転がっていたボールを伊東輝悦氏が押し込み、U-23日本代表が先制。
この1点を守り切り、ブラジルに勝利しましたね。
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引用:「出会えました」アトランタ五輪“マイアミの奇跡”の一員、前園真聖が25年ぶりの再会を報告! | サッカーダイジェストWeb (soccerdigestweb.com)
この試合に勝ったものの、ナイジェリアに敗戦・・・。
最終節のハンガリー戦に勝つも得失点差でグループステージ敗退。
グループステージで2勝しているのに敗退はきつかったですね。
A代表の方では、ワールドカップフランス大会に出場!
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引用:【ワールドカップヒストリー#第1回】「FIFAワールドカップフランス’98」第1戦 vs アルゼンチン|JFA|公益財団法人日本サッカー協会
この時のユニフォームのエンブレム下には「FIFA/WORLD CUP FRANCE 98」が入っています。
初出場のサッカー日本代表は、グループHでアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦。
初戦のアルゼンチン戦では守備的な戦術は機能したもののゴール前のこぼれ球をガブリエル・バティストゥータ氏に決められてしまいました。
これが決勝点となり、敗戦。
強豪アルゼンチンということを考えれば、まずまずの結果であったと思われます。
続く、クロアチア戦では、中山雅史氏が決定的なチャンスを迎えるもゴールキーパーに阻まれてしまいました・・・。
引き分けで終わるかと思われましたが、77分にダボル・シュケルに決められてしまい、クロアチアにも敗戦。
この時点で決勝トーナメント進出の望みが絶たれましたね。
最終節のジャマイカ戦では初勝利を期待されましたが、ウィットモア氏に2点を許してしまいます。
後半74分には、中山雅史氏がワールドカップ初ゴールを決め、一矢報いりましたが、時すでに遅し・・・。
サッカー日本代表初のワールドカップは3戦全敗という苦い結果になってしまいました。
1999-2000(シドニーオリンピック、アジアカップ)
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1999-2000年までのユニフォームです。
1999年からアディダスと日本サッカー協会がサプライヤー契約を締結しました。
これ以降、サッカー日本代表のユニフォームはアディダスになりましたね。
コンセプトは、機能美。
青色で“日本の国土とスピード感”、白色で“信頼とフェアプレー精神”を表現し、“風”のモデル名で愛された。
この時のサッカー日本代表は盛り上がっていました!
1999年に黄金世代がワールドユースで準優勝し、日本サッカーが大きく注目され始めた時期でしたね。
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引用:「黄金世代」と呼ばれて20年。日本サッカーに名を刻んだ若者たち。 – サッカー日本代表 – Number Web – ナンバー (bunshun.jp)
この世代が中心となり、シドニーオリンピックやアジアカップを戦いました。
凄く期待されたシドニーオリンピックは、ブラジル、南アフリカ、スロバキアと同組になりました。
ブラジルにやぶれたものの2勝1敗で決勝トーナメント進出!
準々決勝のアメリカ戦は試合終了間際に追いつかれてしまい、延長戦に持ち込まれてしまいました。
延長戦でも決着がつかず、PK戦に突入。
エースの中田英寿氏が外してしまい、U-23日本代表はアメリカに負けてしまいました・・・。
メダル獲得が期待されていただけに残念な結果でしたね。
一方、A代表は圧倒的な強さでアジアカップ優勝。
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引用: 【特別連載】アジアカップ戴冠史2~2000年レバノン大会~「最強」日本の攻撃力が爆発! – サッカーマガジンWEB (soccermagazine.jp)
この時代のサッカー日本代表は負ける気がしなかったですよね?
当時のサッカー日本代表は「アジア最強」として、今も語り継がれています。
2002年のワールドカップ日韓大会に大きな期待が持てる時代だったと思えます。
2001(コンフェデレーションズカップ)
2001年のユニフォームです。
1年間限定のモデルで、襟がついている最後のユニフォーム。
コンセプトは、フューチャー プログレス。
選手の動きが大胆に見えるようにと、首元から肩にかけて配された白のポイントと青色のボディーの対比から“コントラスト”モデルと呼ばれていました。
日韓共同開催となったコンフェデレーションズカップ。
ブラジル、カメルーン、カナダと同じグループとなったサッカー日本代表ですが、2勝1分でグループステージ突破!
続く準決勝のオーストラリア戦では、中田英寿氏が決勝ゴールを挙げ、FIFA主催のA代表世界大会で初の決勝に進出しました。
引用:中田英寿のフリーキック 2001コンフィデレーションズカップ hidetoshi nakata – YouTube
決勝戦前に中田英寿氏は、所属クラブのローマにもどることを決意。
※この時、ローマはセリエAで優勝争いをしていたため。
エース不在のサッカー日本代表はフランスに敗れて、準優勝となってしまいました。
決勝前にチームを離れた中田英寿氏に対して、トルシエ氏は批判していましたね・・・。
2002-2003年(ワールドカップ日韓大会)
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2002-2003年までのユニフォームです。
コンセプトは、富士山。
左右の首元からそれぞれの袖口にかけて走る赤色のパイピングは、湖面に映る逆さ富士になぞらえたもの。
高温多湿の日本の気候を考慮して裏地にメッシュ素材を使用した二重構造で、エンブレムをプリントするなど徹底的な軽量化も図られた。
記念すべき開催国としてのワールドカップ。
黄金世代が中心となり、ワールドカップでの活躍が期待されていましたね。
ベルギー、ロシア、チュニジアと同じグループに入ったサッカー日本代表は、2勝1分でグループステージを突破!
決勝トーナメント1回戦のトルコ戦では、バックパスのミスからコーナーキックを与え、ヘディングシュートを叩き込まれてしまいました・・・。
結局、この1点が重くのしかかり、サッカー日本代表は敗退。
最低限のノルマである決勝トーナメント進出は果たしましたが、不完全燃焼だったように思えてしまいますね。
もう少し、このメンバーのサッカーを見ていたかったのが本音です。
2004-2005(アテネオリンピック、アジアカップ)
2004-2005年のユニフォームです。
コンセプトは、ブループライド。
首周りに日の丸をイメージし、赤が入れられたことで注目を集めましたね。
2004年には、アテネオリンピックとアジアカップがありました。
「谷間の世代」と呼ばれていた世代が中心に挑んだオリンピックチームに、オーバーエイジで小野伸二選手らを加えて挑みました。
パラグアイ、イタリア、ガーナと「死の組」に入ったU-23日本代表は、強豪国に善戦するも1勝2敗でグループステージ敗退・・・。
A代表は、アジアカップで優勝を飾りましたね。
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引用: 【特別連載】アジアカップ戴冠史3~2004年中国大会~「完全敵地」で連覇達成! – サッカーマガジンWEB (soccermagazine.jp)
この大会は、ドラマチックな展開が多くハラハラした方が多かったのではないでしょうか?
準々決勝ヨルダン戦のPK戦は宮本恒靖氏が交渉して、使用するゴールを反対に変更させたり、川口能活氏がスーパーセーブを連発したりしましたね。
続く、準決勝バーレーン戦は85分に逆転されましたが、90分に中澤佑二氏が同点ゴールを決め、その直後に玉田圭司氏が決めて逆転勝ちとドラマチックな展開でした。
この大会でサッカー日本代表の攻撃をけん引した中村俊輔選手がMVPに輝きました。
2006-2007年(ワールドカップドイツ大会)
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2006-2007年のユニフォームです。
コンセプトは、刃文。
ユニフォームのわきの部分に、刀身のような波模様にしていましたね。
この時、サッカー日本代表のキャッチフレーズに「SAMURAI BLUE」が選出されたことでも有名な時でした。
タレント揃いのチームで期待が大きかった「ジーコジャパン」でしたが、現実は厳しかったですね。
初戦のオーストラリア戦は中村俊輔選手のゴールで先制し、終盤まで持ちこたえていましたが、残り6分で逆転・・・。
オーストラリアのパワープレーに屈してしまい、残り6分で3失点とはあり得なかったですね。
続く、クロアチア戦は川口能活氏のPKストップで救われましたが、柳沢敦氏が決定機を外してしまい引き分け。
この時、柳沢敦氏氏が
「急にボールが来たので」
とコメントしたことで、「QBK」との略称が生まれるほどの反響でしたね。
その「QBK」の瞬間です↓
最終節のブラジル戦は2点差以上の勝利が必要となり、苦しい状況に追い込まれました。
ブラジル戦は玉田圭司選手の先制ゴールで幸先良いスタートでしたが、前半ロスタイムにロナウド氏に決められてからは、失点を重ね、1-4で敗戦・・・。
期待が高かった「ジーコジャパン」でしたが、ワールドカップドイツ大会は惨敗という結果でした。
2007年のアジアカップは連覇を狙いましたが、準決勝サウジアラビアに敗れ、連覇ならず。
続く、3位決定戦で韓国に敗れ、4位で終わってしまいました。
2008-2009年(北京オリンピック)
2008-2009年までのユニフォームです。
コンセプトは日本魂。
黄色のラインが入り、珍しいデザインのユニフォームでした。
2008年に北京オリンピックがありましたが、3戦全敗で良いところなく敗退してしまいましたね。
この北京世代はオリンピックでは好成績を収められなかったものの後に、A代表で活躍する選手が多い世代でした。
A代表は、ワールドカップアジア最終予選を突破したぐらいでしたね。
2010-2011年(ワールドカップ南アフリカ大会、アジアカップ)
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2010-2011年までのユニフォームです。
コンセプトは革命に導く羽。
首元の赤が目立つデザインで話題を呼びましたね。
「よだれかけ」など批判を浴びましたが、サッカー日本代表の成績は非常に良かったユニフォーム。
2018年ワールドカップ南アフリカ大会に挑んだサッカー日本代表ですが、前評判は良くなかったですね。
大会前に、田中マルクス闘莉王が、
「俺たちは弱い。その現実にしっかりと目を向けて戦わないといけない」
と言い、チームは大きく変わったようです。
そして迎えた本番では、チームは躍動し、初戦のカメルーン戦では本田圭佑選手のゴールで1-0で勝利!
相手エースのエトー選手を封じ込めた長友佑都選手は「エースキラー」と呼ばれるようになりました。
続く、オランダ戦はスナイデル氏の見事なミドルシュートでやられてしまいましたね・・・。
最終節のデンマーク戦では、大会から採用した4‐3‐3でなく、4‐3‐2‐1と攻撃を意識したシステムで挑みました。
しかし、これが裏目に出てしまい、相手エースのトマソン氏にやられそうになってしまう状況に・・・。
この時、試合中にシステムを戻したことでリズムを取り戻したサッカー日本代表は、17分に本田圭佑選手のフリーキックで先制!
31分には、遠藤保仁選手のフリーキックも決まり、日本代表ペースで試合を進めていきました。
81分にトマソン氏に決められるも、87分に岡崎慎司選手のダメ押しゴールで突き放し3-1で勝利し、決勝トーナメント進出を決めました。
決勝トーナメント1回戦の相手がパラグアイということで、ベスト8いけるかも?と思われた方が多かったかもしれませんね。
PK戦までもつれ込み、もしかして?と思いましたが、PK戦3-5で敗れてしまいました・・・。
日本サッカーが1番、ワールドカップベスト8に近づいた時でしたね。
ワールドカップ南アフリカ大会のハイライトを見てみましょう↓
いつみても良いですね!
このチームは、本当にチームとしてまとまっていたように思えます。
歴代のサッカー日本代表でも好チームと言えるのではないでしょうか?
2011年には、アジアカップがありましたね!
ザッケローニ氏を迎え、メンバーもそろっていたサッカー日本代表はアジアカップを制覇しました。
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引用:韓国&豪州を死闘の末に連破! 若き日本代表がW杯半年後につかんだアジア杯制覇の栄冠 | フットボールゾーン (football-zone.net)
冷や冷やした場面もありましたが、見ていて面白かった大会だったと思われます。
2012-2013年(ロンドンオリンピック)
2012-2013年までのユニフォームです。
コンセプトは、結束の一本線。
東日本大震災の復興をめざして、1本の線で結束を表現しました。
今までにないデザインだったので覚えている方は多いと思われます。
2012年はロンドンオリンピックで、U-23日本代表が大活躍してくれましたよね?
初戦のスペイン撃破で勢いに乗ったU-23日本代表はベスト4まで勝ち上がり、世界を驚かせました。
3位決定戦で韓国に敗れ、メダルには届きませんでしたが、予想以上の結果に驚いた方は多かったと思われます。
2014-2015年(ワールドカップブラジル大会)
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2014-2015年までのユニフォームです。
コンセプトは、円陣。
このユニフォームは円陣を組んだ際にイレブンを上から見ると、大きな輪になるようにデザインされています。
こんな感じですね↓
![]()
引用:2014年ブラジル・ワールドカップ仕様、サッカー日本代表新オフィシャルユニフォーム | racing the wind (racing27.com)
また、エンブレムから放たれているラインは、円陣から走り出す選手を表現しています。
2014年は、ワールドカップブラジル大会があり、大きな注目を集めましたね。
ザックジャパンには大きな期待があり、ワールドカップで好成績を収めることができるのでは?と思われていました。
しかし、現実は厳しく、1分2敗という結果でグループステージ最下位・・・。
結果は出ませんでしたが、やっていたサッカーは面白く、人気の高かったサッカー日本代表であったと思われます。
2016-2017年(リオデジャネイロオリンピック)
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2016-2017年のユニフォームです。
コンセプトは、イレブンブルー。
胸元からのグラデーションは「個性の異なる11人」を表現しています。
また、襟裏には八咫烏の羽のグラフィックをプリントされており、今までと違ったサッカー日本代表ユニフォームに仕上がっています。
2016年には、リオデジャネイロオリンピックがあり、結構期待は高かったのではないでしょうか?
アジアチャンピオンになっての出場でしたし、メンバーも良かった!
1勝1敗1分の成績でしたが、グループステージ敗退・・・。
点が獲れるチームだっただけに残念な結果でしたね。
2017-2019年(ワールドカップロシア大会、アジアカップ)
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2017-2019年のユニフォームです。
コンセプトは、勝色。
このユニフォームの特徴の説明が難しいので引用します。
かつて武将が戦いに赴く際に身につけた鎧下と呼ばれる着物に使われる藍染めの生地の中で、最も深く濃い藍色とされていた“勝色”をコンセプトに採用。2018年がW杯初出場から20年という節目の年だったこともあり、20年分の思いを糸で紡ぐというイメージから前身頃の全面に刺し子柄を施した。さらに首元の内側には、過去に出場した5大会のW杯ユニホームの特徴的なデザインを組み合わせたロゴがあしらわれ、言葉そのままに歴史や経験を背負う意味が込められた。
2018年は、ワールドカップロシア大会がありましたね。
ワールドカップ開幕2か月前にハリルホジッチ監督が解任されて、西野朗監督が緊急就任という事態で大きな話題となりました。
本田圭佑選手や岡崎慎司選手を招集し、「おっさんジャパン」など批判されていました・・・。
しかも、この時のサッカー日本代表は期待されていないという厳しい状況でした。
しかし、初戦のコロンビア戦で勝利すると雰囲気が変わり、サッカー日本代表に対する期待が大きくなっていきましたね。
セネガルに引き分け、ポーランドに敗れましたが、フェアプレイポイントでグループステージを勝ち抜き!
決勝トーナメント1回戦では、優勝候補ベルギーと対戦し、2点先行するも逆転され敗退。
特に、決勝点となったベルギーのカウンターは素晴らしく、どうすることもできませんでした↓
引用:[ロストフの死闘] 日本 vs ベルギー FIFAワールドカップ2018ロシア大会 ハイライト – YouTube
負けてしまいましたが、この試合は世界から賞賛され、サッカー日本代表に対する見方も変わったのではないかと思われます。
ワールドカップロシア大会後、森保監督がサッカー日本代表監督に就任しましたね。
森保監督就任後、初の大舞台であったアジアカップは準優勝と、まずまずの結果を残せたのではないでしょうか?
ちょっと危ない場面もありましたが、新チームになったばかりなので仕方がなかったことでしょう。
2019-2022(東京オリンピック)
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2019年以降のユニフォームです。
コンセプトは、日本晴れ(ニッポンバレ)。
このユニフォームは、世間からの評価は悪かったですね。
「ダサすぎる」
「これまでの日本代表の歴史をぶち壊すデザイン」
「日本晴れではなく、ただの迷彩柄にしか見えない」
「歴代最悪。練習用だけにしてほしい」
「ダサいを通り越して恥ずかしい」
と厳しい声が多かったですね。
このユニフォームを着て挑んだ東京オリンピック。
吉田麻也選手、遠藤航選手、酒井宏樹選手の3人をオーバーエイジで召集し、チームは歴代最強とも言われていました。
グループステージ3連勝で1位突破し、準々決勝はPK戦までもつれ込むも勝利!
準決勝でスペインに敗れ、3位決定戦でメキシコに敗れ、メダル獲得はできませんでした。
メンバーは良かったですが、4位が限界だったのかな?と思います。
観客有であれば、違ったのかもしれませんね。
2022(ワールドカップカタール大会)
ホーム、アウェイ、GKユニフォームの全身はこちらになります#日本代表 https://t.co/4Pao1Ox5Is pic.twitter.com/ViZkvaMT9P
— サッカーキング (@SoccerKingJP) August 29, 2022
新ユニフォームのコンセプトは、『???????』
詳しい説明は、こんな感じでした↓
?サッカー日本代表の軌跡と「山折り、谷折り」を重ねることで進化する『???????』を掛け合わせ、歓喜をもたらす祈りの象徴として表現?
引用:日本サッカー協会(JFA)/日本代表/なでしこジャパン(@japanfootballassociation) • Instagram写真と動画
シンプルなデザインで良いと思いますが、世間はどう感じているのでしょうか?
少し見てみましょう↓
おぉ‼️‼️‼️‼️新しい日本代表ユニフォーム、賛否があると思いますが、僕は嫌じゃないよ??
— じーさん✨?✨ (@ji_san_fc_1979) August 29, 2022
日本代表の新ユニフォーム、今のより好きだぞ
— sukesukesan (@sakamottintin) August 29, 2022
日本代表のユニフォーム
すごい良いとは思わないけど
迷彩柄よりは全然良い#日本代表— うさ太郎X (@sk5barcelona) August 29, 2022
前回の迷彩柄が不評だったので、良く見えるといった意見が多かったように思えます。
中には、ダサいという意見もありますが、新ユニフォームが出れば賛否分かれるので仕方がないこと!
サッカー日本代表が勝ち進めば、ユニフォームがダサいとか言われなくなるかもしれないですね!
サッカーワールドカップでサプライズを起こしてくれることを期待しましょう。
サッカー日本代表記念ユニフォームは?
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2021年に、100周年を迎えた日本サッカー協会。
その記念に「サッカー日本代表100周年アニバーサリーユニフォーム」が製作されました。
A代表とU-23日本代表の試合で着用されていましたね。
では、このほかには記念ユニフォームはあったのでしょうか?
それでは見ていきたいと思います。
FIFAワールドカップ初出場決定20周年メモリアルユニフォーム
ワールドカップ初出場を決めた2017年に、20周年記念のユニフォームが製作されました。
キリンチャレンジカップのシリア戦で1夜限りで着用されていましたね。
ワールドカップフランス大会時の炎、南アフリカ大会時の首元の赤パッチなどが入っている記念モデル。
枚数が2万枚に限定されたことから、プレミアユニフォームとして注目を集めましたね。
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ
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引用:日本代表 復興支援チャリティーマッチ レプリカジャージー がんばろうニッポン! 通販|サッカーショップ SWS SS697/O74361 (sports-ws.com)
東北地方太平洋沖地震を受けて開催された慈善試合で着用されましたね。
サッカー日本代表vsJリーグ TEAM AS ONEの対戦となり、この試合で大きな注目を集めたのは、三浦知良選手。
川口能活氏からのロングフィードを田中マルクス闘莉王が頭で落とすと、これに反応した三浦知良選手がゴールキーパーとの1対1を制して、1点返しました。
このゴールが決まった時には、スタジアムは最高潮に達していましたね。
こういった場面で決められる三浦知良選手は、やはり凄いです。
まとめ
今回は、サッカー日本代表の歴代ユニフォームについて書いてみました。
かっこいいデザインもあれば、ダサいのもありましたね。
最新のユニフォームは良いデザインだと思われます。
世間の反応もまずまずですしね。
このユニフォームで世界を驚かせてほしいものです。
参考サイト