日本代表のサッカー選手として知られる乾貴士選手。
彼のサッカー人生は、どのようにしてスタートし、どのように成長を遂げたのでしょうか?
今回の記事では、彼の出身校である滋賀県立野洲高校や、幼少期から高校時代のエピソードを振り返りながら、その足跡をたどっていきます。
この記事の内容
乾貴士の出身高校は野洲高校!
引用:wikipedia
乾貴士選手の出身高校は、滋賀県立野洲高校。
設置学科は、普通科のみ。
野洲高校の偏差値は39で滋賀県内98校中75位です。
進路実績を見ると、割と就職される方が多いなという印象。
野洲高校と言えば、サッカー部が有名で「第84回全国高等学校サッカー選手権大会」で優勝し、一気に名が広まりました。
そんな野洲高校ですが、サッカー選手を始め、何名かの有名人の卒業校としても有名です。
では、野洲高校の卒業生された有名寺院を紹介したいと思います。
写真 | 名前 | 職業 |
西川貴教 (にしかわ たかのり) |
ミュージシャン | |
間宮くるみ (まみや くるみ) |
声優 | |
奥谷楓 (おくたに かえで) |
声優 | |
楠神順平 (くすかみ じゅんぺい) |
プロサッカー選手 (南葛SC) |
|
中島依美 (なかじま えみ) |
女子サッカー選手 (マイナビ仙台レディース)※元日本代表 |
野洲高校の卒業生を見てみると驚く方がいましたね。
野洲高校の卒業生というと、サッカー選手が多いことが特徴。
今後も多くのサッカー選手を輩出されるのではないでしょうか?
乾貴士の幼少期や高校時代のエピソード4選!
引用:X
野洲高校で高校サッカー選手権大会を制し、一気に有名になった乾貴士選手。
きっと、幼少期から凄い練習を積まれてきたことだと思われます。
もちろん、高校時代も。
その中で、様々なエピソードがあったと思われます。
どんなエピソードがあったのでしょうか?
では、乾貴士選手の幼少期や高校時代のエピソードについて見ていきたいと思います。
エピソード①小学生時代は泣きながら練習に行っていた
小中学生時代に所属していたセゾンFCの監督が厳しくて、行くのが嫌で泣きながら練習に行っていたようです。
クラブを止めたいと伝えてもやめさせてもらえなかったので、練習を休むことを常に考えていたと乾貴士選手は話していました。
楽しそうにサッカーをしている印象が強いので、泣きながら練習に行っていたなんて想像ができません。
この時にやめなかったことが後になって良かったと思えたことでしょう。
エピソード➁コーチに何も教えるな!
セゾンFCの岩谷氏は、コーチに「乾には何も教えるな」と伝えていたようです。
乾貴士選手を10年に1人の選手と高く評価し、1つ上の学年の中に入れてプレーさせていました。
その中でどれだけ吸収できるのかを見極めていたと岩谷氏。
なぜ?そうしていたのかというと、意欲がない時に教えたらサッカーを嫌いになるから。
確かに、岩谷氏の言うとおりだと思います。
その後、乾貴士選手に意欲が出てきて徹底的に指導を行ったとのこと。
幼少期、素晴らしい指導者に出会えたことがサッカー選手として成功した最大の要因尚かもしれませんね。
エピソード③第84回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝
高校時代の最高のエピソードが第84回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝でしょう。
セクシーフットボールで高校サッカーの概念を覆した野洲高校。
決勝戦の鹿児島実業戦の決勝ゴールは『高校サッカー史上最高のゴール』と言われるほど美しかったですね↓
引用:YouTube
流れるようなパスワークは、本当に見事!
当時の高校サッカーでは考えられないものでしたね。
エピソード④3年時、サッカーを楽しめなかった
高校サッカー選手権で優勝し、一気に注目されるようになった野洲高校。
優勝していれば、いろいろと研究されますし、勝って当たり前のようなプレッシャーも生れてきますからね。
あるインタビューで乾貴士選手が、
「2年の時が一番楽しかったですね。優勝したのもありますが、常に試合に出られていたので。3年の時は前年に優勝したので、変なプレッシャーもあって、そんなに楽しめなかったです」
引用:the-ans
優勝メンバーが一気に抜けて、戦力ダウンしたことで優勝時のレベルのサッカーができなかったことも要因かもしれません。
最後の選手権は、3回戦で八千代高校(千葉代表)に1-4で敗れ、乾貴士選手の高校サッカーが終わりました。
引用:YouTube
2回戦のフリーキックや3回戦の1点返したことなど爪痕は残せたのではないでしょうか?
【一覧】野洲高校優勝メンバーと背番号、フォーメーション!
引用:X
【一覧】野洲高校優勝メンバーと背番号です↓(決勝戦に出場した選手)
背番号 | ポジション | 学年 | 名前 |
1 | GK | 3年 | 下西要 |
3 | DF | 2年 | 田中雄大 |
4 | DF | 2年 | 荒堀謙次 |
5 | DF | 3年 | 内野貴志 |
7 | MF | 3年 | 楠神順平 |
8 | MF | 3年 | 金本竜市 |
10 | MF | 3年 | 平原研 |
14 | MF | 2年 | 乾貴士 |
19 | MF | 3年 | 中川真吾 |
9 | FW | 3年 | 青木孝太 |
11 | FW | 2年 | 平石竜真 |
12 | FW | 3年 | 滝川陽 |
※64分に平石竜真選手(out)と滝川陽選手(in)が交代。
フォーメーションは、こんな感じだと思われます↓
参考サイト:blog.livedoor
今でも見てみたいチーム。
現在の高校生と戦ったら、どんな感じになるのでしょうか?
本当に見ていて楽しいと思える伝説のチームでしたね。
さいごに
乾貴士選手のサッカーキャリアは、幼少期から続く長い道のりでした。
厳しい監督の下、泣きながら練習に通った小学生時代。
そして、野洲高校での全国優勝という輝かしい瞬間は、彼にとって大きな飛躍のきっかけとなりました。
しかし、その後のプレッシャーやチーム力の低下に苦しんだ高校3年生時代の経験も、彼の成長には欠かせないものでした。
乾選手はこれらの経験を糧にし、現在もプロサッカー選手として活躍し続けています。
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