乾貴士の野洲高校時代は?優勝メンバーの進路、現在は?

エイバルに復帰し、再び輝きを取り戻した乾貴士

ドリブルを武器に多くのチャンスメークをしてくれています。

得点数は少ないものの、乾貴士のドリブルやテクニックに魅了されてしまいますね。

今でも日本代表に選出されてもおかしくない乾貴士ですが、今後呼ばれる可能性はあるのでしょうか?

乾貴士が世間に知られるようになったのは、野洲高校時代の時。

華麗な”セクシーフットボール”で高校サッカーを変えてくれたのを覚えています。

今回は、乾貴士のプロフィールと野洲高校時代、優勝メンバーの現在について書いていきたいと思います。

まずは、乾貴士のプロフィールについて書いていきたいと思います。


乾貴士のプロフィール。

愛称:タカシ、タカ、ぬいぬい、ワンチャン

国籍:日本

生年月日:1988年6月2日

出身地:滋賀県近江八幡市

身長:169cm

体重:63kg

在籍チーム:SDエイバル

ポジション:MF(OH, SH) / FW(ST, WG)

背番号:22

利き足:右足

乾貴士は滋賀県出身で、地元のセゾンフットボールクラブに所属をし、野洲高校に進学。

2年時に、レギュラーをつかみ、2005年度の高校サッカー選手権大会で優勝!

“セクシーフットボール”で高校サッカーを変えていきました。

決勝では、乾貴士のヒールパスからつないでの決勝点は、当時の高校サッカーではありえないくらいのパスワーク。

3年時は、優勝候補として挑みましたが、野洲高校は、3回戦で敗退・・・。

乾貴士率いる野洲高校が早期敗退は衝撃でした。

野洲高校を卒業した乾貴士は、J1の横浜Fマリノスへ入団。

この頃の横浜Fマリノスは選手層も厚く、乾貴士のプレースタイルのも合わなかったこともあり、出場はできずにいました。

セレッソ大阪にレンタル移籍をし、香川真司と息の合ったプレーで復活し、そのまま完全移籍をする。

その後、ブンデスリーガ2部のボーフムに移籍をし、レギュラーを勝ち取り、次に、フランクフルトへ移籍。

2015年には、念願のスペインへ移籍。現在所属しているエイバルへ来ました。

今でもですが、スペインで成功した日本人選手はおらず、乾貴士も厳しいのでは?と思われていましたが、乾貴士には関係なかったですね。

エイバルで成功を収めた乾貴士は、ロシアW杯で躍進!W杯で、乾貴士の名前は世界に知れ渡りました。

W杯後には、ベティスに移籍をするも出場機会に恵まれず、古巣のエイバルに復帰。

※ベティスでは、最初の内は出番がありました。乾貴士がチャンスを活かせなかっただけです。

アラベスにレンタル移籍し、活躍するも買取オプションが行使されませんでした。

しかし、アラベス時代には、リーガ100試合出場という大記録を達成し、改めてリーガで成功した日本人選手を証明しました。

エイバルに復帰後は、コンスタントに試合に出場しています。のびのびプレーできているようで、まだまだ、記録を伸ばしそうですね。

今後の乾貴士の活躍に期待したいです。

そんな、乾貴士ですが、野洲高校時代の活躍を取り上げられることは多いですよね?

次は乾貴士の野洲高校時代について書いていきたいと思います。

野洲高校時代の乾貴士の活躍は?

乾貴士が在籍した野洲高校は、当時珍しいサッカーをし、注目を集めました。

スピード、パワー重視の高校サッカーをテクニックで凌駕する野洲高校のサッカーは見ていて次元が違いましたね。

野洲高校の監督も周りの監督と違い、特徴がある人でした。

高校サッカー選手権で優勝した際の決勝ゴールは、当時、高校サッカー最も美しいゴールとして話題になりました。

今見ても、野洲高校のパスワークは素晴らしいと思われます。

野洲高校が決勝点を奪ったシーンはコチラ↓

今見ても素晴らしい。乾貴士の中へ切り込んでいくドリブルで味方にスペースを与えるプレーは素晴らしい。

私が、一番凄いなと思ったのが、乾貴士へのサイドチェンジのボール。

低く、スピードのあるボールでのサイドチェンジが見事。

あれが、山なりのボールであれば、違った展開になっていたかもしれませんね。

本当に、野洲高校の選手の技術、アイディア、スタミナは抜き出ていましたし、優勝にふさわしいプレーであったと思われます。

“セクシーフットボール”に感動した方々は多かったと思われます。

そんな魅力的なサッカーをしていた野洲高校のメンバーは卒業後、どんな進路だったのでしょうか?

野洲高校の優勝メンバーの卒業後について書いていきたいと思います。

野洲高校卒業後の進路は?

野洲高校の優勝メンバーの多くはプロへ行きましたね。主な選手は、こちら。

青木孝太→卒業後、ジェフに入団。U19、20で活躍をし、将来を期待されました。

しかし、上手くいかず。2015年、ザスパクサツで引退を表明。

楠神順平→卒業間近にはオファーがなく、同志社大学に進学。その後、川崎のスカウトの目に留まり、2009年に特別指定選手として登録される。

2010年からプロ選手として活躍し、セレッソ大阪、サガン鳥栖と渡り、2016年にはオーストラリアのウェスタン・シドニーへ移籍。

2018年に、清水に入団し、モンテディオ山形にレンタル移籍中。

内野貴志→高校卒業後、龍谷大学に進学。社会人リーグでプレーをしていたようですが、もう一度本気でやりたいと思い、びわこ成蹊スポーツ大学へ入学。

その後、2011年に京都に入団。現在は長野パルセイロに在籍。

田中雄大→卒業後、関西大学へ進学。その後、川崎に入団。

栃木、鳥取、水戸、神戸、札幌と渡り歩き、現在は秋田に所属しています。

荒堀謙次→卒業後、同志社大学へ進学。そこから、横浜FCに入団し、栃木、湘南、山形、讃岐と渡り歩いています。

村田和哉→卒業後、大阪体育大学に進学。総理大臣杯優勝も経験。その後、セレッソ大阪に入団。

2013年には契約更新せず、清水へ移籍。2019年に柏に完全移籍を果たすも、福岡にレンタル移籍。

2020年は、山口にレンタル移籍。

野洲高校の優勝メンバーの進路と現在ですが、乾貴士が、どれだけ凄いのかがわかります。

今でも、プロでコンスタントに試合に出ている選手は少ないですので。

今でも現役で、サッカーをされている方の少ないですし、4大リーグでやれているってね。

今後の乾貴士のエイバルでの活躍に期待大です!



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まとめ。

今回は、乾貴士の野洲高校時代と優勝メンバーの進路、現在について書いてみました。

野洲高校のサッカーは今でも伝説で、有名ですね。高校サッカーの流れを変えたといってもかオンではありません。

以外にも、野洲高校のメンバーが大学進学をしていたことは驚きましたが、それだけプロの世界が厳しいということでしょう。

その中で、世界で活躍している乾貴士は別格ですし、まだまだ、欧州で活躍してくれそうです。

今後の乾貴士の活躍に目が離せませませんね。

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