国内外で注目されるサッカー選手と言えば、三笘薫選手。
サッカーの名門校である筑波大学出身ということは有名ですが、出身高校はドコなのでしょうか?
また、三笘薫選手の高校時代のエピソードはどんなものがあるのでしょうか?
サッカー関係者や周囲の評価も気になりますね。
そこで今回は、三笘薫選手の高校時代について書いてみたいと思います。
この記事の内容
三笘薫の出身高校は川崎市立橘高校!
引用:Twitter
三笘薫選手の出身高校は、川崎市立橘高校。
普通科、国際科、スポーツ科の3つの科があり、三笘薫選手はスポーツ科にいたのではないかと言われています。
ちなみに、川崎市立橘高校の各学科の偏差値は以下の通りです↓
- 普通科:58
- 国際科:54
- スポーツ科:44
スポーツ科がある公立高校は珍しいですよね?
スポーツだけでなく、進学実績もある高校です。
明治、青山学院、立教、法政、中央大学をはじめ、難関私立大学に多くの合格者を出しています。
文武両道の学校と言えるでしょう。
また、何名かの有名人の出身高校としても有名です。
川崎市立橘高校出身の有名人は以下の通りです↓
写真 | 名前 | 職業 |
新井直登(あらい なおと) | サッカー選手 (松本山雅FC) |
|
塚田しおり(つかだ しおり) | バレーボール選手 (NECレッドロケッツに所属) |
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黒岩俊喜(くろいわ としき) | ボブスレー選手 (ソチ五輪代表選手) |
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島村春世(しまむら はるよ) | バレーボール選手 (リオデジャネイロ五輪代表選手) |
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横田千里(よこた ちさと) | 元バレーボール選手(パイオニアレッドウィングスなどに所属) | |
近藤志歩(こんどう しほ) | 元バレーボール選手(上尾メディックスに所属) | |
白岩直也(しらいわ なおや) | 元バレーボール選手(豊田合成トレフェルサに所属) | |
吉村志穂(よしむら しほ) | 元バレーボール選手(現役時は上尾メディックスに所属) | |
山本洋平(やまもと ようへい) | 元バレーボール選手(引退、現役時はFC東京に所属) | |
丑山努(うしやま つとむ) | 元プロ野球選手(日本ハムファイターズ) | |
根本りつ子(ねもと りつこ) | 女優 | |
塚越孝(つかごし たかし) | アナウンサー(故人(元フジテレビ)) |
今後、川崎市立橘高校からどんな有名人が出るのかが楽しみですね。
余談ですが、三笘薫選手は川崎市立橘高校卒業時には、こんなツイートをされていました↓
橘高校卒業しました!色々な人と出逢って色々な思い出があって全てが楽しかった!ほんとにみんなに感謝してます。ありがとう!今になって泣けてきた。恩返しできるようにする。4年間修行だ。
— 三笘 薫 (@kaoru_mitoma) March 5, 2016
卒業時の写真を探してみましたが、見当たりませんでした・・・。
高校卒業後は、大学サッカーの名門校である筑波大学へ進学しています。
三笘薫の高校時代の伝説エピソード5選!
【写真】川崎フロンターレU-18②(武田太一、岸晃司、長谷川隼、名良橋拓真、島崎竜、三笘薫、原島亨太、田中碧、村田聖樹/2015.4.12@麻生)
《facebook》http://t.co/E9J3a7PKkI
《twitter》 pic.twitter.com/n9bWTvBIhj— 神奈川県サッカー協会【広報】 (@kanagawa_fa) April 23, 2015
三笘薫選手は、川崎市立橘高校に進学しました。
高校の部活に入部するのでなく、川崎フロンターレU-18でプレーしていました。
川崎フロンターレU-18時代から凄い評価を得ていたことでしょう。
どんなエピソードがあったのか?
見ていきましょう。
伝説エピソード①高校時代にテストマッチでプロからゴールを奪った!
高校2年政治、2015年2月に行われたアルビレックス新潟とのトレーニングマッチで素晴らしいドリブルを披露した三笘薫選手。
この試合でサッカー関係者や観戦していたサポーターの間で話題になっていたようです。
しかもこの試合でゴールも奪っていましたよ↓
引用:YouTube
貴重な動画でしたね。
トレーニングマッチとはいえ、これだけやれているのだから、すぐにプロで見たいという気持ちになりますよね?
伝説エピソード②トップチーム昇格の打診を拒否して筑波大学へ進学!
引用:https://goukaku-suppli.com/archives/63948
トップチームから昇格の打診があった三笘薫選手ですが、断って筑波大学へ進学することにしました。
なぜ?筑波大学に進学したのかというと、
「はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。1学年上の三好(康児)選手や板倉(滉)選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった。その現状から、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです。
引用:NumberWeb
と語っていました。
遠回りになっても大学で、もう1度鍛えなおしたいという思いから決断。
現在、この決断は間違えていなかったということを証明してくれていますね。
※余談ですが、
「口約束ではありましたが、お父さんと薫とは『4年後に戻ってくる』という約束も交わしています」
約束通り、4年後、川崎フロンターレに戻ってきてくれました。
そして、リーグと天皇杯優勝に大きく貢献し、自身はベストイレブンに選出されました。
伝説エピソード③走り高跳びで170cmを軽々クリアする跳躍力が凄い!
引用:OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像
高校の体育の授業時、走り高跳びで170cmを軽々クリアするほどの運動神経を見せていたようです。
もちろん、陸上用のスパイクを履かずに飛んだので、体育の教員も驚いていたようです。
山本義弘教諭は、
「びっくりしちゃったよ。身体能力が別格。一般の生徒であの高さを跳ぶ子は今まで見たことがない」
引用:kanaloco
170cm飛んだことが凄いと言われてもピンとこないですよね?
高校生の走り高跳び平均記録を見てみましょう↓
学年 | 男性の走り高跳び平均記録 |
高校1年生(15歳) | 1.33m |
高校2年生(16歳) | 1.36m |
高校3年生(17歳) | 1.39m |
引用:re1wa018
三笘薫選手の高跳びの記録がどれだけ凄いのかがわかっていただけたのではないでしょうか?
伝説エピソード④高校時代から素晴らしい人間性が高く評価されていた!
今もそうだと思われますが、高校時代も物静かで思慮深い性格だったようです。
男女合同だったサッカーの授業では女子生徒に自由にプレーさせてあげたり、忙しくても、学校行事を欠かさずに参加する生徒だったようです。
三笘薫選手を知る荒木優花教諭曰く、
「本当に目立たない、優しい男の子だった。スターになった感じが信じられない」
「一歩引いて見るのではなく、一緒にやろうとしてくれる。卒業した今でもみんなが自慢できる、応援される生徒だった」
「男女一緒のサッカーの授業では荒木さんが三笘選手に向けてドリブルすると抜かしてくれた」
高校時代から素晴らしい人間性を持った方だったのですね。
伝説エピソード⑤『ミスター橘高校コンテスト』にノミネート
見た目や運動神経、性格、頭が良い三笘薫選手は、クラスメイト達による推薦で『ミスター橘高校コンテスト』にノミネートされたようです。
クラスメイト達から推薦されるなんて凄いですよね?
おそらく、クラスでも人気ものだったのでしょう。
当時のサッカー関係者や周囲の評価についてまとめてみた
引用:Twitter
高校時代の三笘薫選手に対するサッカー関係者や周囲の評価を見てみたいと思います。
高校時代から高い評価を得ていたのでしょうか?
サッカー専門サイト「ゲキサカ」
サッカー専門サイト「ゲキサカ」は、以下のように評価されていました↓
ボールを持っている時の空気感は明らかに異質。川崎フロンターレU-18の10番MF三笘薫(3年)はコーチングスタッフ、チームメートも賞賛するドリブルと、1タッチ技術の高さ、そしてインターセプトを連発した守備でも存在感を放ち、上位対決勝利に貢献した。
引用:gekisaka
当時から明らかに周囲を違う空気を持っていたのですね。
対戦相手からすれば、下手に近づけないようなオーラを感じていたのではないでしょうか?
今野章監督
天才という言葉まで出てきていますね。
今の三笘薫選手を見れば、天才は言い過ぎではなかったと思うはずです。
田中碧
凄く高い評価をされていますね。
同じピッチに立っているからこそわかる三笘薫選手の凄さなのでしょう。
高校時代の三笘薫選手の動画がありました↓
引用:YouTube
ボールを持った時の空気が違いますね。
落ち着きも素晴らしく、本当に高校生?と思うぐらいでした。
さいごに
今回は、三笘薫選手の出身高校、高校時代のエピソード、周囲からの評価について書いてみました。
出身高校は、川崎市立橘高校。
通信制の高校出なかったことに驚きましたが、スポーツ科があり、理解ある高校だったのでしょう。
高校時代のエピソードや評価を見ると、凄さが伝わってくる内容でしたね。
今後、三笘薫選手の活躍次第でいろいろな話が出てきそうな感じがします。
どんな話が出てくるのか楽しみですね!
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参考サイト