『ドラミちゃん』の愛称で愛されている相馬勇紀選手。
可愛らしい顔立ちで女性ファンも多いことでしょう。
そんな相馬勇紀選手ですが、出身高校はドコなのでしょうかね?
また、幼少期や高校時代のエピソードはどんなものがあるのでしょうか?
そこで今回は、相馬勇紀選手の出身高校と幼少期や高校時代のエピソードについて書いてみたいと思います。
この記事の内容
相馬勇紀の出身高校は調布南高校!
相馬勇紀選手の出身高校は、調布南高校。
学科は普通科のみ。
偏差値58と高めで、東京都内公立高校219校中45位と上位に位置していますね。
大学の合格実績を見てみると、難関私立大学合格者が多く出ていますね。
もちろん、国公立大学合格者も出ています。
文武両道の高校と言えるでしょう。
そんな調布南高校ですが、何名か有名人の卒業校として知られています。
調布南高校出身の有名人は以下の通りです↓
写真 | 名前 | 職業 |
中島翔哉 (なかじま しょうや) |
サッカー選手 (浦和レッズ所属) |
|
中里優 (なかさと ゆう) |
元サッカー選手 | |
田村直也 (たむら なおや) |
元サッカー選手 | |
伊藤寛康 (いとう ひろやす) |
プロミュージシャン | |
佐藤英樹 (さとう ひでき) |
プロミュージシャン |
サッカー選手が通う高校だったのですね。
学業のレベルも高そうなので、ユースや世代別の代表の選手にとってはきつそうな感じがしますが。
サッカーと勉強両方できる相馬勇紀選手にとってはきつくなかったのでしょうね。
相馬勇紀の幼少期や高校時代の伝説エピソード6選!
引用:sports.yahoo
名門クラブ三菱養和で育ち、早稲田大学を経て、名古屋グランパスに入団した相馬勇紀選手。
きっと、幼少期から高い評価を得ていたと思われます。
では、幼少期や高校時代にはどんなエピソードがあったのか見ていきましょう。
伝説エピソード①テニスと鬼ごっこで鍛えたフットワーク
引用:tokyo-np
父と母がテニスをされていた影響もあり、2歳のころからテニスをしていたようです。
左右に投げられたボールを打ち返すことで、ステップを踏んで切り返す動きを強化していたのでしょう。
その後、父親と何度もダッシュをしていたようです・・・。
幼少期から、とんでもないトレーニングをしていたのですね。
さらに、サッカーを始め、練習帰りに友達と鬼ごっこをしていたという話もありました。
当時を振り返った相馬勇紀選手は、
相馬勇紀選手の鋭い切り返しなどを見ていると、納得ですよね。
伝説エピソード➁引き出しを増やしてくれるコーチとの出会い
当時の相馬勇紀選手は、スピードを活かした突破からのシュートを武器にしていました。
これを見たコーチの大槻邦雄氏は、相馬勇紀選手に引き出しを増やす指導をしたようです。
「あの頃の勇紀は右足しか使えなかった。逆の足でも蹴れるようになれば相手のタイミングをずらせる、と伝えました」
大槻邦雄氏は、逆足の左足でのキックや相手をいなす腕の使い方などの技術を教えました。
相馬勇紀選手は、今でもこの指導に対して感謝されていましたね↓
本当に、素晴らしいコーチに出会えたと思われます。
伝説エピソード③自信をつけさせるために背番号10をつけさせた
引用:mainichi
誰もが認める実力を持ちながら、仲間からちょっとからかわれると泣いてしまっていたようです。
この頃は、引っ込み思案だったみたいですね。
そのことを気にしたコーチの大槻邦雄氏は、自信をつけさせるために、背番号10を背負わせることを決断!
この作戦が上手くいき、相馬勇紀選手が自信をつけていきました。
当時を振り返った相馬勇紀選手は、
伝説エピソード④高校2年の時にサッカーを止めることを考えた
引用:facebook
チームの皆が成長期で体のサイズが大きくなっていき、身長やスライドで凄く苦労されていたようです。
体が出来上がっていない時期のフィジカルの差は、とてつもなく大きいですからね。
特に、中学1年から高校1年生ぐらいの期間は大きな差が出てしまうので、きつかったことでしょう。
高校2年の時、すべてが上手くいかなくなり、サッカーを止めることを考えたようです。
息子が苦しんでいる時、母親は今はきつくても大丈夫でしょ!と思っていました。
その理由は、コーチの大槻邦雄氏のアドバイスがあったから。
これを聞いた母親は、「だったら背が小さいことは得だなって」と思うようになったようです。
その後、大槻邦雄氏の言った通りになり、相馬勇紀選手は体が大きい相手でもやれるようになっていました。
伝説エピソード⑤クラブユース選手権U-18で優勝!
引用:facebook
“街クラブの雄”である三菱養和がクラブユース選手権U-18で優勝!
Jリーグが誕生してからユースが優勝ばかりしている中での三菱養和の優勝は、凄いこと。
有能な選手は、Jリーグのユースクラブに行ってしまう傾向にありますからね。
Jリーグ誕生後のクラブユース選手権U-18歴代優勝クラブは以下の通りです↓
1994年 : 横浜マリノスユース
1995年 : 日産FC横浜マリノス
1996年 : セレッソ大阪ユース
1997年 : 浦和レッズユース
1998年 : ガンバ大阪ユース
1999年 : ジュビロ磐田ユース
2000年 : 横浜F・マリノスユース
2001年 : FC東京U-18
2002年 : 清水エスパルスユース
2003年 : サンフレッチェ広島F.Cユース
2004年 : サンフレッチェ広島F.Cユース
2005年 : ヴェルディユース
2006年 : ガンバ大阪ユース
2007年 : ガンバ大阪ユース
2008年 : FC東京U-18
2009年 : セレッソ大阪U-18
2010年 : 東京ヴェルディユース
2011年 : 東京ヴェルディユース
2012年 : 柏レイソルU-18
2013年 : 横浜F・マリノスユース
2014年 : 三菱養和SCユース
2015年 : 横浜F・マリノスユース
2016年 : FC東京U-18
2017年 : FC東京U-18
2018年 : 清水エスパルスユース
2019年 : 名古屋グランパスU-18
2020年 : サガン鳥栖U-18
2021年 : 名古屋グランパスU-18
2022年 : セレッソ大阪U-18
2014年の三菱養和が光輝いて見えますね。
引用:gekisaka
選手、応援団、保護者の一体感が感じられる1枚ですね。
基本プレーと個性を活かす指導方針の三菱養和。
今後も多くのプロサッカー選手を輩出してくれることでしょう。
次は、どんな選手が輩出してくれるのかが楽しみです。
伝説エピソード⑥高校時代、ZIPでインタビューされる
引用:YouTube
高校時代、『ZIP』にインタビューされた相馬勇紀選手。
首回りアイテム、高校生のこだわりは?というテーマでのこと。
オシャレなマフラーの巻き方をしていたことで、声をかけられたのでしょうね。
「モテ巻きです」
高校生らしく、元気よく答える相馬勇紀選手。
オシャレでイケメンなので、高校時代もモテたことでしょう。
まあ、『ZIP』もビックリですよね?
数年後に、サッカーワールドアップに出場する選手をインタビューしていたのですから。
まとめ
今回は、相馬勇紀選手の出身高校と幼少期や高校時代のエピソードについて書いてみました。
出身高校は、都立調布南高校。
中堅高校で、勉強との両立も大変だったと思われます。
幼少期や高校時代のエピソードを見てみると、意外なところがあって驚きましたね。
今後、新しいエピソードが加わっていくと思われます。
どんなエピソードが生まれるのかが楽しみです。
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