ポルトガル代表とベンフィカで躍動する若き司令塔、ジョアン・ネヴィス。19歳という若さでピッチに立ち続ける彼の姿には、多くのファンが称賛の声を送っています。
しかしその裏には、家族との深い絆、そして心に刻まれた悲しみと誇りが存在していました。
母の死という大きな試練を乗り越え、父から教わった「礼儀」と「誠実さ」を胸に秘めて戦い続けるジョアン・ネヴィス。
この記事では、そんな彼の原点とも言える“家族の物語”を詳しく紐解いていきます。
この記事の内容
ジョアン・ネヴィスの家族構成と感動のエピソード|母の死、父の教え、支え合いの絆
若干19歳でポルトガル代表に名を連ね、ベンフィカの中盤を支えるジョアン・ネヴィス。
その裏には、並々ならぬ努力と、強い家族愛がありました。
本記事では、ジョアン・ネヴィスの家族構成や、亡き母との絆、父親から受け継いだ価値観、そして彼の人格形成に影響を与えた“もう一つの家族”ともいえる存在について徹底的に解説します。
母・サラ・ゴンサルヴェス|教育者であり、最大の理解者だった存在
2024年2月、ポルトガル中が胸を痛める悲報が届きました。
ジョアン・ネヴィスの母、サラ・ゴンサルヴェスさんが50歳という若さで逝去。長年のがん闘病を経て、タヴィラで息を引き取りました 。
サラさんは地元タヴィラで教育者として知られており、多くの生徒に慕われる体育教師でした。
彼女は単なる“選手の母”ではなく、ピッチ外から息子を献身的に支え続け、ベンフィカの試合でも熱心に応援する姿が何度も目撃されていました。
サラさんの死は、クラブやポルトガルサッカー界全体に衝撃を与え、葬儀にはベンフィカの選手や関係者だけでなく、代理人ジョルジュ・メンデスや、タヴィラ市の自治体関係者まで多数が参列。
ポルトガルサッカー連盟のフェルナンド・ゴメス会長も「彼女は息子の成功を自分のことのように喜んでいた」とコメントを発表しました。
引用:thesun
この悲しみの中でも、ジョアンはチームメイトや監督陣からの温かいサポートを受け、精神的に乗り越える強さを見せています。
父・マヌエル・ネヴィス|“規律”と“謙虚さ”を教えたコーチであり父親
ジョアンの父マヌエル・ネヴィスは、元体育教師でありながら、ベンフィカの地方下部組織「カサ・ド・ベンフィカ・デ・タビラ」でコーチを務め、後にコーディネーターにもなった人物です。
彼は「才能よりも態度が大事」という信念を持ち、ジョアンに常に規律と誠実さを求めました。
ジョアンがいまも「シャツをパンツの中にきっちり入れる」スタイルを貫いているのは、父から教わった“礼儀とプロ意識”の表れとされています。
また、父はジョアンが8歳の頃、片道120kmの距離を週4回車で送り迎えし、アルガルヴェの育成施設に通わせていたというエピソードもあります。
その献身的な姿勢は、息子の夢を現実にする土台となりました。
幼少期の育成環境|“家族全員で戦ってきた”少年時代
ジョアン・ネヴィスがサッカーを始めたのはタヴィラの地元クラブであるカサ・ド・ベンフィカから。
その後、ベンフィカ・アルガルヴェを経て本部育成組織へと進みました。
注目すべきは、週に4回120kmを移動しながら練習に通っていたという環境です。
小学生の子どもには決して楽ではない過酷なスケジュールでしたが、父母の支えによって彼は一度も辞めたいと言わなかったと言います。
“もうひとつの家族”|心の支えとなったクラブスタッフ
ネヴィスの家族的なつながりは、家庭内にとどまりません。
2023年春、靭帯を負傷し長期離脱した際、彼はベンフィカの練習場に毎日顔を出し、試合に出られなくてもユースチームの練習を見守り続けました。
そのときいつも隣にいたのが、クラブ所属の心理士ヴァネッサ・ローザ。彼女はジョアンに寄り添い続け、精神面をサポートしていました。
このように、ジョアンはクラブからも“家族同然”の支えを受けており、メンタル面でも極めて強い選手へと成長しています。
さいごに
ジョアン・ネヴィスの成功は、決して偶然ではありません。
教師として地域に愛された母、育成年代を徹底的に支えた父、そしてクラブ内で精神的なケアを担ったスタッフ——そのすべてが、彼の成長と今の姿に直結しています。
母の死という大きな悲しみを経験しながらも、家族から受け継いだ価値観と、周囲の温かな支援が彼の内面をより強く、そしてしなやかに育て上げたのです。
今後さらにステップアップしていくであろうジョアン・ネヴィス。
その一歩一歩の背景には、いつも“家族の存在”があることを、私たちは忘れてはなりません。