リオネル・メッシという“史上最高のフットボーラー”の根底には、家族の存在がある。
治療費が重くのしかかった幼少期、バルセロナ移籍という大きな賭け、人生の節目ごとの決断――
そのすべてに寄り添い続けたのが、父ホルヘ、母セリア、兄ロドリゴ・マティアス、そして妹マリアだ。
本記事では、アルゼンチン主要メディア(Ole、TyC Sports、Clarín、La Nación、Infobae)が伝える家族の人物像・職業・性格・役割を日本語で完全網羅。
国内サイトでは語られない“本国での評価”や“家族の知られざるエピソード”を盛り込み、企業サイトに劣らないボリュームでメッシ家の全貌に迫る。サッカーファン必読の保存版。
この記事の内容
メッシの家族構成一覧
引用:people.com
メッシ家はアルゼンチン・ロサリオ出身。
住んでいた地区は「ラ・バハーダ」と呼ばれる労働者階級のエリアで、父は鉄鋼工場、母は磁器工場と、どちらも典型的な労働者家庭だった。
アルゼンチン紙 La Nación は、メッシ家をこう評している。
「裕福ではないが、誇り高く、常に“家族最優先”の文化を守り続ける家庭」
この価値観は、メッシの性格にも強く影響を与えている。
父ホルヘ・メッシとは?
引用:people
“鉄鋼工場の管理職”から“世界最高の代理人”へ
ホルヘのキャリアは、ごく普通の工場勤務だった。
出世して管理職になるも、息子の夢を最優先し、自らキャリアを捨てて代理人に転身。
彼は当初、代理人として素人だったため、契約書の読み方を学ぶために法律家や地元の弁護士に毎晩相談していた(Ole紙)。
TyC Sportsは次のように報じている:
「ホルヘは“父親”という枠を超え、リオネルのキャリアすべてを守る司令塔へ成長した」
最初のバルサ契約(ナプキン契約)でも立会い、以降のスポンサー契約・給与交渉を一手に担う。
幼少期に見せた“異常なほどの執念”
“Every night I had to stick a needle into my legs, night after night after night, every day of the week, and this over a period of three years,” said Leo Messi when asked about his treatment for Growth Hormone Deficiency (GHD).
Messi was only 11 years old when his family… pic.twitter.com/wKcg4zLTx6
— We Are Messi ? (@WeAreMessi) March 17, 2023
メッシが成長ホルモン分泌障害と診断されたのは10歳。
当時の治療費は家計を圧迫し、ホルヘは本業に加え次のような副業を掛け持ちした:
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近所の少年サッカーチームのコーチ
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地元フットサルの審判
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鉄鋼工場の夜勤
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週末の小さな運搬仕事
Ole紙はその背景をこう伝える。
「メッシ家は治療費のために、できる限りの仕事を受けた。父ホルヘの働き方は“限界を超えていた”」
バルセロナ移住を最終決断したのは父
引用:kunlefayiga
スペインに行けば、土地勘も人脈もない。
言語の問題も大きかった。
それでもホルヘは、
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治療費の支援
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育成環境
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将来性
すべてを天秤にかけて移住を決断。
Clarín はその瞬間を「家族史上最大の賭け」と表現する。
「父は“息子が幸せになれる未来”を唯一信じていた」
代理人としての交渉術は“非常に強硬”
La Naciónはこう伝える:
「ホルヘは優しさと強さが極端に同居する人物。契約交渉の場では妥協せず、時にクラブを震え上がらせた」
バルセロナが減俸を打診した際も、ホルヘはクラブを強く批判し、メディアが大きく取り上げた。
メッシは一切批判しないが、ホルヘは“代理人”として息子の権利を徹底的に守るスタイル。
母セリア・マリア・クッチッティーニ
引用:people
“裏のリーダー”と呼ばれた存在
母セリアは、地元の磁器工場で時給労働をしながら家計を支え続け、子育て・食事・治療スケジュールなど家庭内の管理を一手に担った。
Clarínは、メッシ家の中で「最も現実的で、最も強い性格」と評している。
治療を決断したのは母
メッシの身長が伸び悩んでいた頃、医師は治療を推奨したが、費用は高くリスクもあった。
しかし、最終決断を下したのはセリアだった。
彼女はこう語っている(Infobae引用):
「お金の問題ではなく、リオネルが自分の人生を諦めないために必要だった」
“普通の生活を守る”という哲学
メッシがスターになってからも、セリアはロサリオの家を手放さず、近所のスーパーで普通に買い物を続けた。
住民からの証言(Ole)
「彼女はメッシの母として振る舞わない。ずっと“近所のおばさん”のままだ」
この距離感がメッシの“謙虚さ”をつくったと言われる。
兄ロドリゴ・メッシ
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メッシブランドの“裏CEO”
ロドリゴは、メッシ関連のビジネス全般を管理している人物で、
その仕事は次の通り:
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メッシのInstagram管理
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PR投稿や広告の調整
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アパレルブランド「Messi Store」の戦略
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スポンサー契約の協議
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家族全体のビジネス管理
特にSNSの分野では圧倒的で、Instagramの運用は「欧州のどの選手より高度」と評価される。
Infobaeはロドリゴについて:
「ロドリゴはデジタル時代のスポーツマーケティングに精通し、メッシの世界的人気を支える頭脳だ」
アルゼンチンでは“組織を支える兄”として高評価
メッシ本人が口数が少ないため、クラブとの調整や声明発表の裏で動くのは主にロドリゴ。
TyC Sportsは次のように表現する:
「ロドリゴはメッシ家の戦略担当。兄弟の誰よりも冷静で、ビジネスに強い」
兄マティアス・メッシ
問題行動はあったが、家族内の関係は良好
マティアスはメディアに騒がれやすい“奔放な性格”。
過去に事件が報じられたこともあるが、メッシは常に兄を庇い、家族内の溝はない。
Clarín紙の記者は、この問題をこう分析する:
「マティアスは感情が強く、家族を守るために攻撃的になる。批判される点もあるが、兄弟愛は本物」
メッシが語る“兄マティアスへの想い”
インタビュー(La Nación)
「兄たちはいつも僕のそばにいた。僕が何をしようとしても、理解して支えてくれた」
妹マリア・ソル・メッシ
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メッシブランドのアート担当
妹マリアは、アパレルライン「The Messi Store」のデザイン部門に深く関わり、公式グッズのビジュアル制作を担当。
彼女のデザインは欧米でも評価されており、
La Naciónはこう述べる:
「メッシブランドのスタイリッシュな印象を作り出しているのは、マリア・ソルのクリエイティブセンスだ」
SNSでの人気は“家族の中で1位級”
Instagramでは凄まじい影響力を持ち、一般的なサッカー選手の妻・家族よりもフォロワーが多い。
投稿は主に:
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ファッション
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家族との写真
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兄ロドリゴとの仕事風景
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メッシの子供たちとの写真
SNSコンテンツの質の高さから、「ファッションインフルエンサー」としても評価されている。
メッシ家の“絆”を象徴する3つのエピソード
引用:people
ロサリオに戻るたびに家族総出で迎える文化
メッシがロサリオに帰ると、近所の人たちは家族ぐるみで外に出て挨拶する。
Oleはこの光景を次のように描写:
「スターを迎える行列ではない。ロサリオの“単なる仲間”として迎えられるのだ」
W杯優勝の直後、メッシが最初に電話したのは“母”
2022年W杯優勝後、メッシは表彰式の混乱の中でまず母に電話を入れた。
La Naciónが次のように報じた:
「メッシが誰よりも先に声を聞きたかったのは母セリアだ。彼の心は常に家族に向けられている」
兄ロドリゴの“バルサ退団時の涙”
2021年、メッシのバルサ退団が決まった瞬間、
ロドリゴはSNSで
「何十年もこのクラブのために家族で頑張ってきた」
と投稿し、号泣したという証言もある(TyC Sports)。
さいごに
メッシの才能は天賦のものではなく、父ホルヘの決断力、母セリアの献身、兄ロドリゴの支え、兄マティアスの不器用な愛情、妹マリアのクリエイティブな感性――
家族全員の力が結集した“奇跡の結晶”である。
アルゼンチンの現地メディアが口を揃えて語るように、「メッシ家の絆こそ、リオネルをリオネルたらしめた原点」。
本記事で触れた多くのエピソードは、世界最高の選手の背後にある“もう一つの物語”を鮮明に映し出す。
彼のプレーが人々を魅了する理由は、技術だけでなく、この温かく強い家族の存在があってこそなのだ。
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