「僕を“Depay”とは呼ばないでほしい」――2014年、若きメンフィス・デパイが放ったこの言葉は、世界のメディアに衝撃を与えた。
父との決別、母と祖父母の支え、そしてガーナのルーツ。
その家族史は、彼のプレースタイルや信念、そして“Memphis”という名の重みに深く結びついている。
本稿では、海外一次報道をもとに、デパイの家族とアイデンティティを追う。
この記事の内容
幼少期と家庭環境
引用:thesun
メンフィス・デパイは1994年2月13日、オランダ・ムールドレヒトで生まれた。
父はガーナ出身のデニス・デパイ(Dennis Depay)、母はオランダ人のコラ・シェンセマ(Cora Schensema)。
オランダの地方都市で暮らしていたが、父が家を出たのはメンフィスが4歳の頃だとされる。
『The Independent』によると、父の離脱は「経済的な問題と家庭内の不和」が原因だったとされる【The Independent, 2015】。
母はその後、息子を連れてロッテルダム近郊へ転居し、夜勤をこなしながらシングルマザーとして生活を支えた。
一方で、祖父母が生活面と精神面の支柱となった。『The Guardian』の特集記事では、
“His grandparents gave him the sense of home he lost when his father left.”
と記されており、彼の“家庭”は母と祖父母の三人によって築かれた。
この安定が、後の彼の「信仰心」と「自己表現の原点」になったとされる。
“Don’t call me Depay”──父親との確執
引用:modernghana
2014年、オランダ代表で脚光を浴びたデパイは、自身のユニフォームから「Depay」の姓を外した。
その理由を問われた彼は、短くこう答えた。
“Don’t call me Depay. Call me Memphis.”
(「僕をデパイと呼ばないで。メンフィスと呼んでくれ」)
この発言はBBC、ESPN、The Guardianなど世界中の主要メディアで報道された。
『BBC Sport』は「父親との断絶を示す明確なシンボル」と評し、ESPNは
“He refuses to use his surname because of a painful childhood.”
(痛みを伴う幼少期ゆえに姓を使うことを拒む)
と解説している。
父デニスはその後、オランダ紙の取材で「息子を捨てたことはない」と主張。
“I never abandoned him; I visited, but his mother didn’t want me around.”
と述べ、17年にわたる確執を否定した【The Independent, 2015/SportsJoe, 2015】。
しかしメンフィスは沈黙を貫き、自身の背中に“ライオン”のタトゥーを入れ、
「孤独を力に変える」生き方を選んだ。
母と祖父母が支えた再出発
Me and my Mom at the ‘Heart Of A Lion’ book launch on Tuesday. If you read my book you’ll see why she’s such an inspiration to me and an icon for all single Mum’s out there! ❤️ pic.twitter.com/qj8rQd6jIw
— Memphis Depay (@Memphis) May 30, 2019
母コラは、工場勤務と清掃の仕事を掛け持ちしながら息子の夢を支えた。
『The Guardian』によると、家庭には裕福さはなかったが「愛情と忍耐があった」。
祖父母の家では規律ある生活が徹底され、サッカーの練習も祖父の送迎によって支えられた。
幼少期のデパイは、近所の少年たちとボールを蹴りながら「必ずプロになる」と語っていたという。
家庭の不安定さが、彼の強烈な向上心を育てた。
ESPNはこう記している。
“Depay’s troubled childhood became the fuel for his ambition.”
(不遇な幼少期こそが彼の野心の燃料になった)
彼の母親と祖父母は、後にオランダメディアで「メンフィスは心の奥に優しさを持っている」と語っており、その感情の深さは彼のプレースタイルや音楽活動にも反映されている。
ルーツ回帰──ガーナ訪問と父との和解
引用:modernghana
2023〜2024年、デパイはガーナのアシャンティ王国を公式訪問し、国王オトゥムフオ・オセイ・トゥトゥ2世と面会した。
この訪問は現地メディア『GhanaWeb』や『ModernGhana』で大きく報じられた。
“Memphis Depay returns to his roots, proud to be Ashanti.”
(メンフィス・デパイ、ルーツに帰る──アシャンティの血を誇りに)
この時、彼はガーナ北部で子供たちの教育支援プロジェクトを立ち上げ、サッカー施設の整備にも資金を提供している。
訪問中には「家族の絆を再び結びたい」と語り、父との再会を果たしたと現地紙『Pulse Sports Ghana』が報じた。
写真では、父デニスと並んで微笑むメンフィスの姿が確認できる。
その後SNSに投稿されたメッセージには、
“We can’t rewrite the past, but we can build a future.”
(過去は書き換えられないが、未来は共に築ける)
という言葉が添えられ、長年のわだかまりに一区切りをつけたことがうかがえる。
海外メディアの分析と社会的影響
『The Guardian』は、デパイの家族史を「現代ヨーロッパの移民第二世代が抱えるアイデンティティの象徴」と評している。
またESPNは、彼のキャリアを「父親不在の痛みを超えて“自分自身の名を築いた男”」と形容。
“Memphis Depay has become more than a footballer; he is a statement of self-belief.”
(メンフィス・デパイは単なるサッカー選手ではなく、自己信念そのものの象徴だ)
ガーナのメディアもまた、彼のルーツ回帰を誇りとして受け止めており、『GhanaWeb』は「母国の若者に希望を与える存在」と評した。
宗教や文化を越え、彼は“父親の喪失”という個人的経験を社会的メッセージへと昇華させたのである。
さいごに
メンフィス・デパイの物語は、「父の不在」から始まり、「母と祖父母の愛」、そして「ルーツの再発見」へと続く長い旅路だ。
姓を捨てた少年は、“Memphis”という名前を自らの力で再定義し、世界中のファンに「自分の物語を生きる勇気」を伝えている。
背中のライオンのように、彼は過去の痛みを誇りに変え、サッカーと音楽、そして社会貢献を通じて“家族の物語”を未来へと受け継いでいる。
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