オランダのエース、メンフィス・デパイ。
その背番号の変遷は、ただの数字ではなく――彼の“人生そのもの”を映す物語だ。
PSVの若き22番として羽ばたき、ユナイテッドでは伝統の7番を背負う重圧に苦しみ、リヨンでは10番として復活。現在はブラジル・コリンチャンスで新たな10番として輝きを放つ。
さらにオランダ代表では、ロッベンやファン・ペルシーの系譜を継ぐ永遠の背番号10として歴史を刻んだ。
この記事では、各クラブ・代表での背番号の変遷一覧表と、当時のエピソード・海外メディアの評価を交えて、デパイのキャリアを時系列で振り返る。
メンフィス・デパイ 背番号・歴代まとめ【クラブ&代表完全版】
クラブ別・歴代背番号一覧
| 期間 | 所属クラブ | 背番号 |
|---|---|---|
| 2011–2015 | PSVアイントホーフェン | 22 → 7 |
| 2015–2017 | マンチェスター・ユナイテッド | 7 |
| 2017–2021 | オリンピック・リヨン | 9 → 11 → 10 |
| 2021–2023 | FCバルセロナ | 9 → 14 |
| 2023–2024 | アトレティコ・マドリード | 9 |
| 2024–現在 | コリンチャンス(ブラジル) | 7 → 94 → 10 |
クラブ別エピソード&海外の評価
PSVアイントホーフェン時代(2011–2015)
デパイは背番号22でトップデビュー。初期は途中出場が中心だったが、次第に“二桁得点の若手”として台頭。2014–15シーズンには背番号7を着用し、22得点でエールディヴィジ得点王に輝いた。
The Guardian:「Memphis is a hybrid of Cristiano Ronaldo and Arjen Robben — the flair, the power, and the hunger combined.」
「メンフィスはクリスティアーノ・ロナウドとアリエン・ロッベンを融合させた存在だ。
華やかさ(フレア)、力強さ(パワー)、そして貪欲さ(ハンガー)――そのすべてを兼ね備えている。」
France Football:「彼は“世界最高の若手”として選ばれた。若き背番号7が、PSVにタイトルを取り戻した。」
このシーズンを機に、「オランダの7番=デパイ」のイメージが確立された。
マンチェスター・ユナイテッド時代(2015–2017)
ルイス・ファン・ハールのもと、伝統の背番号7(ベッカム、ロナウドの系譜)を継承。
加入当初は期待が大きく、プレシーズンで華々しい活躍を見せたが、プレミアの激しさに苦戦。
短期間での退団となった。
BBC Sport:「彼には確かな才能があるが、Old Traffordの“7番の重圧”が重すぎた。」
De Telegraaf:「メンフィスは派手なライフスタイルより、静かな成熟を選ぶべきだった。」
マンUでの経験は、後のメンタル面の成長に繋がったと言われている。
オリンピック・リヨン時代(2017–2021)
移籍当初は9番でスタートしたが、翌シーズンから11番、そして最終的に10番へ昇格。
チームの象徴としてキャプテンを務め、リーグ戦で63得点を記録。
ACL断裂からの復帰後もチームをCL準決勝に導いた。
L’Équipe:「彼はもはやスターではなく、リーダーだ。リヨンの10番は試合を支配する。」
Marca:「デパイはリヨンで“真の10番”に進化した。彼の視野とシュート精度は一級品。」
この時期、彼のプレースタイルは“アーティスト型ストライカー”へ変貌を遂げた。
FCバルセロナ時代(2021–2023)
ロナウド・クーマン監督の招きで入団。当初は背番号9でレギュラーとして活躍。
のちに14番を着用し、攻撃の潤滑油としてチームを支えた。
AS紙:「彼の9番はメッシの影を恐れない。献身と創造の融合だ。」
The Telegraph:「デパイはスターよりも“仲間のために働く9番”になった。」
短期間ながらも印象的なパフォーマンスを残した。
アトレティコ・マドリード時代(2023–2024)
背番号9で加入。決勝ラウンドでは、インテル戦で87分に劇的決勝弾。
一時は「モラタの後継」と呼ばれたが、怪我と出場機会の減少により2024年に退団。
Mundo Deportivo:「アトレティコの9番として短命だったが、彼の勝負強さは記憶に残る。」
コリンチャンス時代(2024–現在)
ブラジル・セリエAのコリンチャンスで7番 → 94番 → 10番と背番号を変遷。
94番は自身の生年「1994年」に由来するとされ、のちにチームの司令塔として10番を継承。
2025年は南米メディアが“セリエAの顔”として取り上げる存在となった。
Globo Esporte:「彼の94番は挑戦の象徴。ブラジルでの10番は、リヨン時代を思わせる輝き。」
FourFourTwo:「欧州のスターが南米で復活。彼の10番にはリーダーの風格がある。」
代表チーム・歴代背番号一覧
| 期間 | チーム | 背番号 |
|---|---|---|
| 2013–現在 | オランダ代表 | 10 |
| 2011–2013 | オランダU21/U19 | 7・11 |
| 2010–2011 | オランダU17 | 9 → 10 |
オランダ代表での主なエピソードと海外の反応
ワールドカップ2014 ― 若き背番号21の衝撃
ルイス・ファン・ハール監督のもと、当時20歳のデパイは背番号21を背負ってブラジルW杯へ。
スペイン戦で途中出場し、爆発的なスピードと決定力で世界を驚かせた。
続くオーストラリア戦ではゴールとアシストを記録し、“新世代オランダ”の象徴となる。
? FIFA公式(2014年6月19日):「Memphis the hero for Oranje(オランイェの英雄)」
? BBC Sport(Ian Woodcock):「わずか20歳のウインガーが、ロッベンとファン・ペルシーの間に新たな炎を灯した。」
この大会でオランダは3位に輝き、デパイは“次代のエース”として脚光を浴びた。
2018年ロシアW杯予選 ― 試練と再生
W杯予選ではチームが苦戦し、ファン・ペルシーらとの衝突も報じられた。
BBC Sportは「メンフィスとファン・ペルシーが練習場で口論」と伝え、メディアの集中砲火を浴びる。
しかし、彼は代表落選を経てリヨンで復活し、再び代表に召集。自らの精神力の強さを証明した。
? The Guardian(2015年):「彼は“挫折を力に変える選手”。派手な外見の裏には、驚くほどのメンタルタフネスがある。」
EURO 2020 ― エースとしての自覚
この大会では明確に背番号10を背負い、攻撃の中心に。
グループステージで2得点を挙げ、攻撃のタクトを振るう存在となったが、チェコ戦で敗退。
? UEFA公式(2021年6月27日):「Memphis was the heartbeat of this Dutch side(デパイはオランダ代表の心臓だった)」
? Goal.com(2021年9月7日):「代表初のハットトリックでクライフに並んだ。彼はオランダ史に名を刻んだ。」
カタールW杯2022 ― 「チームの違いを生む男」
ルイス・ファン・ハール監督の再招集を受け、再びエースとしてプレー。
怪我明けながらもグループリーグで得点し、FIFA公式は彼を「Netherlands’ difference maker(チームの違いを生む存在)」と評した。
準々決勝・アルゼンチン戦では気迫あるプレーでファンを熱狂させた。
? FIFA.com(2022年12月3日):「彼のプレーは戦術を超えた情熱を体現している。」
? The New York Times(2024年5月29日):「オランダが誇る最も創造的な攻撃者。彼がピッチに立つだけでチームが変わる。」
EURO 2024〜現在 ― 歴代最多得点者としての地位
2025年3月にはスペイン戦でのゴールでロビン・ファン・ペルシーに次ぐ通算54得点を達成し、翌9月には単独でオランダ代表歴代最多得点者に到達した。
? Voetbal International(2025年9月7日):「Memphis in zijn eentje topscorer aller tijden van Oranje(デパイが単独でオランイェ史上最多得点者に)」
? Yahoo! Sports(2025年6月10日):「He matches the records of legends. But what’s unique is his journey — pain, persistence, poetry.(彼は伝説と肩を並べた。だが特別なのは、苦難と詩情を歩んだその道のりだ)」
さいごに
メンフィス・デパイの背番号の歩みは、彼のキャリアの変遷と完全に重なっている。
PSVで22番から7番へ、マンチェスター・ユナイテッドで重圧の7番、リヨンで自由を得た10番、そしてバルセロナ・アトレティコを経て、南米の地で再び10番を背負う。
オランダ代表では、10番として史上最多得点者に上り詰め、“背番号10=オランイェの魂”を体現する存在となった。
「彼は数字を背負うだけではなく、意味を与える選手だ。」──FIFA公式評
その背番号の変遷には、栄光も挫折も、復活もすべてが刻まれている。
まさに、「数字で語るキャリア、物語で彩る10番」
――それが、メンフィス・デパイというアーティストである。

