世界最高のMFとして称賛されるルカ・モドリッチ。その“強さ”と“優しさ”は、才能だけで生まれたものではない。
その原点には、幼少期に経験したクロアチア紛争、祖父の死、難民生活という過酷な現実がある。
本記事では、BBC・Guardian・The Athletic・Sportske Novosti などの海外一次情報をもとに、モドリッチの幼少期を徹底的に掘り下げます。
爆撃の音が響く駐車場でボールを蹴り続けた少年が、なぜ“人格者”と呼ばれ、世界最高の選手へと成長したのか。
そのすべてを、ストーリーとして深く、正確に描きます。
この記事の内容
- 1 生まれ故郷「モドリッチ村」──山と自然に囲まれた小さな集落
- 2 「祖父と過ごした時間」こそ人格形成の核だった
- 3 1991年、クロアチア独立戦争──故郷が前線に変わる
- 4 家族は難民に──持ち物は“袋1つだけ”
- 5 難民ホテル「イゾ・ホテル」での暮らし──生存のための日々
- 6 瓦礫の駐車場がサッカー場──“爆撃の音と共に育った天才”
- 7 「小さすぎて、弱すぎる」──才能を疑われ続けた少年時代
- 8 初めて“才能”として認められる──NKザダルの指導者が発掘
- 9 戦争が作り出した“精神力”──恐怖が“強さ”へと変わる
- 10 難民からプロへ──ディナモ・ザグレブが才能を確信
- 11 戦争は終わっても、貧困は続いた──支え続けた母の存在
- 12 まとめ
生まれ故郷「モドリッチ村」──山と自然に囲まれた小さな集落
1985年、クロアチア・ザダル郊外の“ヴェレビット山脈”に近い小さな村「モドリッチ(Modrići)」で生まれる。
人口は数十人規模、舗装道路もほとんどなかった地域だ。
● 家族の背景
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父:スティエパン(自動車整備士など複数の職)
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母:ラジカ(工場勤務)
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祖父:ルカ(羊飼い、幼いルカが“毎日一緒に過ごした相棒”)
(Sportske Novosti)
この祖父が後に人生最大の影響を与える人物になる。
「祖父と過ごした時間」こそ人格形成の核だった
海外メディアは、祖父ルカを「幼いモドリッチのヒーロー」と表現している。
● Guardian(英国紙)
「少年ルカは祖父の後ろを常に歩いていた。村人は“影のようだった”と語る。」
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祖父が羊を放牧するときは必ず同行
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椅子に座って羊を眺める祖父の隣でボールを蹴っていた
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村の人が「絶対に悪さをしない優しい子」と証言
この“穏やかな日常”は、後にすべて崩壊する。
1991年、クロアチア独立戦争──故郷が前線に変わる
ルカが6歳の時、クロアチア紛争が勃発。
ザダル周辺はセルビア人武装勢力(SAO Krajina)の支配地域となり、村は攻撃の対象となった。
● 祖父の死(海外記者が重視する事件)
祖父は村を離れず家畜を守ろうとしていたが、武装勢力に捕まり“即座に射殺”された。
「祖父が殺害されたと聞いた瞬間、家族は全てを捨てて逃げた。」
(Jutarnji list)
家は燃やされ、村全体が破壊される。
モドリッチは幼い頭で“死”と“喪失”を理解せざるを得なかった。
家族は難民に──持ち物は“袋1つだけ”
一家は急遽ザダル市へ避難。
父はクロアチア軍の後方支援部隊に従軍し、母とルカ・妹イヴァナ・弟ディオニシオは難民生活へ。
● BBC Documentary
「モドリッチ一家は、持ち運べる荷物だけを詰めて逃げた。」
寝る場所、食べ物、暖房すべてが足りない極限状態だった。
難民ホテル「イゾ・ホテル」での暮らし──生存のための日々
モドリッチたちが住んだのは、ザダルの「Hotel Iz」。
ここは難民が詰め込まれた“即席のシェルター”で、数百人が共同生活していた。
● 状況の深刻さ(地元住民)
「ホテルは常に満員で、廊下にも布団が敷かれていた。」(24sata)
● The Guardian が描く“地獄のような環境”
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毎日のように爆撃音が響く
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電気が止まる
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水不足
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食料配給は軍の車頼り
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夜は銃声、砲撃で眠れない
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爆風でよく窓ガラスが割れる
その中でルカは「ボールが唯一の心の支え」だった。
瓦礫の駐車場がサッカー場──“爆撃の音と共に育った天才”
難民ホテルの駐車場が、ルカたちの唯一の遊び場。
● 地元の老人(Guardian)
「ルカは弾丸の音に怯えず、ボールを追い続けた。爆撃が始まると壁の陰に隠れ、静かになるとすぐ戻って蹴り始めた。」
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地面はひび割れ
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壁は弾痕だらけ
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車の残骸が転がっている
こんな環境が、彼の“柔軟な身体操作”と“ボール扱いの巧さ”を育てたと言われている。
「小さすぎて、弱すぎる」──才能を疑われ続けた少年時代
モドリッチは体が非常に小さかった。
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他の子より常に2〜3学年下に見られる程の小柄
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骨が細く、怪我が多かった
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近所の子にも押されて負けるほど非力
(The Athletic)
● 母親の証言(Sportske Novosti)
「ルカはよく泣いていた。でも諦めることだけはしなかった。」
周囲からは「体格で無理」「トップにはなれない」と何度も言われた。
だが、誰よりも努力し続けた。
初めて“才能”として認められる──NKザダルの指導者が発掘
難民生活中でもルカは毎日サッカーを続け、地元クラブ「NKザダル」が彼を見つけた。
● ユース指導者ジョシップ・バヤロヴィッチの証言
「彼は小さかったが、視野は大人だった。“止める・蹴る・判断”の質が突出していた。」
この頃から、コーチたちは、「小柄だからこそ巧くなる」と評価を変え始めた。
戦争が作り出した“精神力”──恐怖が“強さ”へと変わる
多くの海外メディアは、モドリッチの精神力を“戦争の産物”と表現する。
● BBC
「恐怖と喪失を乗り越えた者は、静かな強さを持つ。ルカにはそれがある。」
● Guardian
「謙虚さ・優しさ・我慢強さ──戦争を経験した子供だけが備える特性だ。」
特に“静かな性格”と“爆発的な勝負強さ”の両立は、幼少期の経験が根底にある。
難民からプロへ──ディナモ・ザグレブが才能を確信
12歳頃、ディナモ・ザグレブのトライアルに合格。
しかし、ここでも“体格不足”を理由に入団を見送られかけた。
だが、コーチは「彼の技術と判断能力は別格」と強く推した。
● ディナモ幹部(Sportske Novosti)
「小柄な子供が、誰よりも早く状況を理解していた。」
難民から“全国レベルの才能”へ。
ここから運命が動き始める。
戦争は終わっても、貧困は続いた──支え続けた母の存在
戦争が終結しても生活は苦しかった。
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母は2つ以上の仕事を掛け持ち
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練習場までの移動費もきつい
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少年ルカは毎日のように坂を走って通った
● 母の言葉
「彼は常に静かで優しい子。自分の苦しみより、他人の痛みに敏感だった。」
この“優しさ”も、幼少期に育った重要な人格要素。
まとめ
ルカ・モドリッチの幼少期は、悲劇と喪失の連続だった。
祖父の死、家の焼失、難民としての極貧生活、夜通し続く銃声、体格のハンデ、周囲の偏見。
それでも彼はボールを手放さず、瓦礫だらけの駐車場で毎日夢を追い続けた。
この経験が、彼の“静かな強さ”“謙虚さ”“他者への深い共感”を育て、後の世界的成功へとつながっていく。
戦争と逆境の中で形成された人間性こそ、モドリッチを特別な存在にしている。
彼の幼少期は、単なる過去ではなく、すべての原点なのだ。

