サッカーワールドカップカタール大会での活躍により一気に有名になった田中碧選手。
大会後には、多くのメディアに取り上げられ、田中碧選手を見ない日はないぐらいだったと思われます。
そんな田中碧選手ですが、出身高校はドコなのでしょうか?
また、田中碧選手の高校時代のエピソードにはどんなものがあるのでしょうか?
そこで今回は、田中碧選手の出身高校と高校時代について書いてみたいと思います。
この記事の内容
田中碧の出身校は神奈川県立新城高校!
引用:minkou
田中碧選手の出身校は、神奈川県立新城高校!
偏差値は59で、神奈川県340校のうち60位とレベルが高い学校。
普通科のみで2学期制を採用されています。
進学実績は素晴らしく、難関国公立、難関私立大学に多くの合格者を出しています。
まさに、文武両道の高校と言えるでしょう。
また、何名かの有名人の出身高校としても有名です。
神奈川県立新城高校出身の有名人は以下の通りです↓
写真 | 名前 | 職業 |
三好康児(みよし こうじ) | バーミンガム・シティFC (サッカー選手) |
|
岡田優希(おかだ ゆうき) | ギラヴァンツ北九州 (サッカー選手) |
|
石川洋(いしかわ ひろし) | チーフアナウンサー | |
植木繁晴(うえき しげはる) | 大学教授、同大学サッカー部監督 | |
山崎洋子(やまざき ようこ) | (小説家) |
三好康児選手の同じ高校出身だったのですね。
割合を見ると、サッカー選手が多い感じ。
今後もサッカー選手が出てくるのではないでしょうか?
田中碧の高校時代の伝説エピソード6選!
引用:X
田中碧選手は、高校の部活ではなく、川崎フロンターレU-18に所属していました。
川崎フロンターレU-18時代から高い評価を得ていたことでしょう。
学校生活や川崎フロンターレU-18でのエピソードには、どんなものがあるのでしょうか?
では、見ていきましょう。
伝説エピソード①高校時学年トップ10に入る学力
サッカーダイジェスト8/27号は川崎フロンターレ特集。「アカデミー充実の舞台裏」記事によると、田中碧選手は高校時学年トップ10に入る学力だったとのこと。新城高校は毎年早慶上智に合計10人以上、GMARCHだと各大学10〜20人ずつ合格する進学校なんですが、文武両道ですね∑(゚Д゚) pic.twitter.com/QUCxTy1VPp
— 武蔵小杉ライフ公式 (@musashikosugi) August 17, 2020
神奈川県立新城高校は、横浜国立大学をはじめとする国公立大学や早稲田、慶応義塾大学に合格を輩出している進学校。
そんな高校の学年TOP10入りしていた田中碧選手。
学業もおろそかにしないところは、田中碧選手の性格が表れているのでしょう。
そんな田中碧選手の得意科目は数学、苦手科目は英語だったようです。
田中碧選手のプレーを見ると、数学で養った論理的思考力がサッカーに活きているように思えますね。
※余談ですが、朝日新聞によると、本人も一時は大学進学を希望していたという。
もしかしたら、国公立大学や難関私立大学に進学して、大学でサッカーをされていたかもしれませんね。
伝説エピソード➁風間八宏に「肝っ玉が据わっている」と言わしめた
風間八宏氏が川崎フロンターレの監督をされていた時に、ユースに所属していた田中碧選手、三笘薫選手をトップチームの合宿に呼びました。
その時に、
とゲキを飛ばした直後に、田中碧選手は、
ということがあったようです。
「ここはお前たちを伸ばすための場所ではない。」と言われながらも「ボールの蹴り方を教えてください」って言いに行ける田中碧選手のメンタルがやばすぎですよね?
当時を振り返った風間八宏氏は、
と言っていました。
当然ですが、この光景を見ていた主力の中村憲剛氏らは驚いていたようです。
それはそうでしょうね。
来ていきなり、上記のようなことが言える高校生が来れば。
伝説エピソード③川崎フロンターレU-18に昇格後、1年生でひとりだけベンチメンバー
川崎フロンターレU-18に昇格後、1年生でひとりだけベンチメンバー入りした田中碧選手。
強者揃いの川崎フロンターレU-18の中で、すぐにベンチ入りは大したものだと思われます。
しかも、その数か月後にはスタメンになっているのですから・・・。
その時の川崎フロンターレU-18のメンバーは以下の通りです↓
引用:川崎フロンターレU-18
板倉滉選手や三好康児、三笘薫選手らがいるとんでもないチーム。
見ていて面白いサッカーをされていたことでしょう。
田中碧選手は、当時を振り返ると、
こんなことを言っていた田中碧選手は、川崎フロンターレU-18の主力としてチームを支え、3年時はキャプテンを務めることになりました。
引用:X
12月11日・川崎フロンターレU-18vs帝京第三高校
試合後、サポーターのもとへ挨拶に来る田中碧キャプテン。2016シーズン、本当によく頑張ったね pic.twitter.com/hWJgpxNwZ8— KAWA_SAKI_12 (@KAWA_SAKI_12) December 11, 2016
チームを勝たせるために、チームを引っ張っていたことでしょう。
涙する田中碧選手の写真に心打たれてしまいますね。
伝説エピソード④一番最後まで残り、食事を取る
引用:X
田中碧選手は、体を大きくするためにたくさん食べるように言われていたようです。
写真を見ると、高校生とはいえ、細いですからね。
たくさん食べなさいと言われたことを守るため、最後まで残って、食事をとっていたようです。
「自分の好きなものだけじゃなく、毎回遅くまで残って食べていた。『碧はすごい食うから』とコーチの間で評判になった」
相当食べていたのですね。
高校時代から食事にも気を配っていたことは素晴らしいですし、何よりも言われたことを素直に守ってやる田中碧選手が凄い。
トップチームに昇格後、筋力強化に努めるようになり、守備で力強さを発揮していました。
伝説エピソード⑤フロンターレU-18監督の今野章氏から高く評価されていた
「1年生ながら真摯にサッカーに向き合っている印象はあって、ボールに対して守備でぐっといける感じ。技術もありましたね。おそらく本人はもっと攻撃したいタイプだったんじゃないかと思うけど、だんだんとボール奪取のところの特徴にも気づけたんじゃないかと思います。1年の時はうまい先輩たちにくらいついて必死だったろうし、2年は主力として試合に出て、3年では攻撃も守備でもチームを勝たせるため、周りを動かすようになりましたね」
引用:frontale
ユース時代から高い評価を受けていたようですね。
この頃から攻守高いレベルでプレーされていたことがわかります。
ただ、自分のことはしっかりやるが他のメンバーに対しての働きかけがなかったことが気になっていたところだったと明かしています。
メンバーに声をかけたりするなどはしていなかったようで、監督は田中碧選手に注意していたようです。
伝説エピソード⑥レジェンド中村憲剛氏から「努力の天才」と言われる
田中碧選手をユース時代からよく知る中村憲剛氏は、
「努力の天才」と称賛。加えて、何かひとつに特化しているわけではないが、敵味方の状況把握をしたうえで「自分で発信できる選手」
引用:walkerplus
「努力の天才」は何にも変えられない才能ですよね?
動画でも、中村憲剛氏は田中碧選手は「努力の天才」と話をされていました↓
引用:YouTube
プロになっても変わっていないと思われますので、これからグッと伸びる可能性もありそうですね。
さいごに
今回は、田中碧選手の出身高校と高校時代について書いてみました。
出身高校は、神奈川県立新城高校。
神奈川県の中堅校で進学実績が素晴らしい高校でしたね。
その高校で学年TOP10の学力だった田中碧選手は、本当に素晴らしい!
課題やテスト勉強も大変だったことでしょう。
それに加え、川崎フロンターレU-18の練習や試合もこなしていたわけですから、相当ハードな高校時代だったでしょう。
田中碧選手の活躍次第では、高校時代のエピソードが出てくる可能性が高そうです。
どんなエピソードが出てくるのかが楽しみですね。
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