上田綺世が日本代表ストライカーとして活躍するまでには、知られざる努力の歴史があります。
幼少期から地元水戸でサッカーに打ち込み、鹿島学園高校で才能を開花させたその道のりは、まさに成長物語。
公式戦での圧巻の成績、全国大会での決定的なゴール、そして驚異のジャンプ力や決定力を支えるトレーニング法。
さらに、監督や仲間が語るエピソード、鹿島アントラーズとの縁など、ファン必見の情報を完全網羅しました。
「上田綺世 高校」「上田綺世 幼少期」で知りたいことが全てここにあります。
彼の原点と成長の秘密を、ぜひ最後まで読んでみてください。
この記事の内容
上田綺世の高校時代と幼少期|鹿島学園で培った勝負強さ
引用:asahi
幼少期:水戸で芽生えたサッカーへの情熱
上田綺世は1998年8月28日、茨城県水戸市で生まれました。
父親はサッカー経験者、母親は短距離走の選手というスポーツ一家で、自然と運動能力が磨かれる環境に育ちます。
3歳の頃からボールを蹴り始め、5歳で地元少年団「アントラーズつくばジュニア」に加入。
小学生時代にはスピードとゴール感覚がずば抜けており、2年連続得点王に輝きました。
父親は休日に県外まで車を走らせ、強豪チームとの練習試合にも参加させるなど、幼少期から本格的な経験を積み重ねています。
中学時代:才能開花の前夜
地元中学校に通いながら、クラブチームで活動。
週5日の練習に加え、週末は県内外の大会に出場するハードな日々でした。
この頃からポジションはフォワードに固定され、3年時には県大会優勝を経験。
すでに鹿島アントラーズのスカウトの目に留まり、強豪・鹿島学園高校への進学が有力視されるようになります。
鹿島学園高校への進学と環境
引用:waka77
上田綺世が通っていたのは、茨城県の鹿島学園高等学校 です。
鹿島学園高校の基本情報
学校名 | 鹿島学園高等学校 |
---|---|
所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中 |
偏差値 | 45〜47(コースによる) |
サッカー部 | 全国大会常連の強豪 |
進学実績を調べてみると、国公立大学や早稲田大学をはじめとする難関私立大学に合格者を出しています。
有名人も多く輩出していますね。
5名ほど紹介したいと思います↓
写真 | 名前 | 職業 |
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國武大晃 (くにたけ ひろあき) |
スノーボード選手 (平昌五輪代表選手) |
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町田浩樹 (まちだ こうき) |
サッカー選手 |
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鈴木優磨 (すずき ゆうま) |
サッカー選手 |
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土居聖真 (どい しょうま) |
サッカー選手 |
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松金ようこ (まつかね ようこ) |
タレント |
鹿島学園のサッカー部は全国屈指の強豪校!
鹿島アントラーズの下部組織と関係が深く、多くのプロ選手を輩出しています。
高校時代の活躍と成績
引用:mainichi
茨城県の強豪、鹿島学園高校に進学した上田綺世。
中学時代はユース昇格を逃し、小柄な体格ゆえに苦しいスタートでしたが、それこそが彼に“成長する原動力”となりました。
1年時は下位グループでの練習に甘んじましたが、チームを観察し自分自身を分析し続ける姿勢で努力を重ね、着実に頭角を現しました。
2年後半からはフィジカルが急激に向上し、右足・左足・ヘディングと多彩な得点スタイルを身につけていきます。
2016年(高校3年時)、「高円宮杯 JFA U‑18サッカーリーグ 茨城1部(IFAリーグ)」で、33得点を挙げて得点王に輝いたことは、いまも伝説として語り継がれています。
これは2012年以降の歴代得点記録でもトップに位置する、圧倒的な記録です。
また、全国高校サッカー選手権(第95回)では初戦で絶対的エースとして目を見張る活躍を見せます。
高川学園高校との初戦で、後半に2得点をあげ、チームを逆転勝利に導いた姿はまさに“勝負強さ”の象徴でした。
引用:YouTube
恩師・鈴木雅人監督からは「勝負は一瞬」という言葉を繰り返し教え込まれ、試合を決めるその一瞬に備えるメンタルの重要性を叩き込まれたことで、上田綺世のメンタルが磨かれたことも忘れられません。
成績概要
項目 | 内容 |
---|---|
進学の背景 | ユース昇格失敗から鹿島学園へ進学。1年時は下位グループで奮闘。 |
得点能力の覚醒 | 2年後半〜3年で身体・技術が急成長。多彩な得点スタイルを獲得。 |
リーグ得点王 | 2016年、IFAリーグ1部で33得点を記録し、得点王に。 |
選手権でのハイライト | 第95回全国高校サッカー選手権、初戦で2ゴールを決め逆転勝利。 |
メンタリティの形成 | 鈴木監督の「勝負は一瞬」の教えで勝負強さを養う。 |
高校時代の努力とトレーニング
引用:yomiuri
鹿島学園高校時代、上田綺世は公式練習だけでは満足せず、毎日50分以上の自主シュート練習を日課とした。
右足・左足・ヘディングのすべてを均等に鍛え、試合でどの体勢・どの状況でもフィニッシュできる「万能型ストライカー」を目指した。
父との二人三脚で行う練習も、技術面を一段と引き上げる重要な時間だった。
クロスに合わせるボレーシュートや、体勢を崩してからのリカバリーシュート、競り合いながらのヘディング――実戦を想定したメニューを反復し、試合さながらの緊張感を植え付けた。
加えて、技術志向としては、単なる得点力強化にとどまらず、
「相手の逆を取る一歩目」
「守備ラインとの駆け引き」
「オフザボールの動き」
など、戦術理解とポジショニングの精度を高める練習にも時間を割いた。
監督や先輩に映像を見せてもらい、自分の動きを分析して改善点を洗い出す“自己フィードバック”も習慣化していた。
メンタル鍛錬の面では、鈴木雅人監督から繰り返し教わった「勝負は一瞬」という言葉を胸に、練習でも試合でも常に“次の一手”をイメージ。
ミスを引きずらず、次のプレーで取り返すメンタルを養うため、わざと不利な条件下でのシュート練習や、残り時間を短く設定した模擬試合を繰り返した。
こうした環境は、全国高校サッカー選手権の初戦で2得点を決める勝負強さへと直結。
さいごに
上田綺世の幼少期から高校時代は、地元で培った情熱と、鹿島学園での厳しい鍛錬の積み重ねが特徴です。
3年間で公式戦67試合42得点という成績を残し、ジャンプ力・決定力・走力を兼ね備えたストライカーへと成長しました。
才能だけでなく、朝の自主ラン、階段ダッシュ、200本以上のシュート練習、映像分析など、努力の質と量は群を抜いていました。
高校在学中から鹿島アントラーズとの交流もあり、プロへの道を意識する大きなきっかけになっています。
今後も日本代表として、そして海外クラブでの活躍が期待される上田綺世。
その原点を知ることで、これからのプレーを見る楽しみがさらに広がります。
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