ファンダイクの歴代背番号とその意味!リバプール&代表での活躍を紐解く

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ファン・ダイク選手の背番号には、彼が歩んできたキャリアと成長の物語が刻まれています。

リバプールでの「4」や、オランダ代表でのキャプテンシーを象徴する番号には、どのような意味があるのでしょうか?

この記事では、フローニンゲン時代の「48」からセルティックやサウサンプトンでの番号、そして現在の「4」に至るまで、背番号に込められた背景を詳しく解説します。

彼のキャリアとともに進化してきた番号の変遷を辿りながら、その輝かしい軌跡に迫ります!




ファンダイクの歴代背番号!クラブとオランダ代表での軌跡を深掘り

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ファン・ダイク選手の写真

ファン・ダイク選手が各クラブで背負ってきた背番号について見ていきたいと思います。

背番号何番が多かったのでしょうか?

また、オランダ代表での背番号はどうだったのでしょうか?21

まずは、所属チームの歴代背番号から見ていきましょう↓

シーズン 所属チーム 背番号
2010-2011 フローニンゲン 48
2011-2012 フローニンゲン 21
2011-2012 フローニンゲン
(U-21)
3、21
2012-2013 フローニンゲン 6
2013-2014 フローニンゲン 4
2013-2016 セルティック 5
2015-2018 サウサンプトン 17
2017-2018 サウサンプトン
(U-23)
6
2017- リヴァプール 4

所属してきたチームでの背番号を見ると、色々な番号を背負っていますね。

では、オランダ代表での歴代背番号も見てみましょう。

シーズン カテゴリー 背番号
2014-2015 フル代表 4、13、15
2015-2017 フル代表 4
2016-2017 フル代表 3
2017- フル代表 4

オランダ代表での歴代背番号は「4」が多いですね。

センターバックの選手ですし、何より似合っています。

何かしらがない限り、ファン・ダイク選手の背番号は「4」で変わらないでしょうね。

それでは、詳細を見ていきましょう。




フローニンゲン:背番号の変化が語る成長の軌跡

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フローニンゲン時代のファン・ダイク選手の写真

ファン・ダイク選手のフローニンゲン時代の背番号一覧。

シーズン 背番号 背景
2010-2011 48 デビュー時の番号。若手の象徴。
2011-2012 21 チームでの信頼が高まり変更。
2012-2013 6 レギュラーとしての地位を確立。
2013-2014 4 主力として認められ、最終的に「4」に。

プロキャリアのスタートとなったフローニンゲン時代、ファン・ダイク選手の初めての背番号は「48」でした。

若手選手に割り当てられる大きな番号は、当時の彼がまだプロとしてのスタート地点に立ったばかりであることを象徴しています。

しかし、彼の成長は目覚ましく、翌シーズンには「21」、さらにその後は「6」や「4」など、センターバックとしての象徴的な番号を背負うまでになりました。

この変遷は、彼がクラブ内での地位を確立していった過程を物語っています。

フローニンゲン時代の活躍は、セルティックへの移籍を引き寄せる重要なステップとなりました。

セルティック:安定した背番号「5」と信頼の証

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セルティック時代のファン・ダイク選手の写真

セルティック時代は、すべて背番号5番。

スコットランドの名門セルティックでは、ファン・ダイク選手は背番号「5」を一貫して背負いました。

この番号は、クラブ内で信頼を受けた選手に与えられることが多く、ファン・ダイク選手が早くからチームの中心選手として期待されていたことが分かります。

セルティック時代の彼は、守備だけでなく攻撃でも目覚ましい活躍を見せました。

フリーキックでのゴールやセットプレーでの得点は、センターバックとしての枠を超えたプレーでした。

コース、スピード完璧ですね!これは止められない。

センターバックの選手のフリーキックというと、ズドンというイメージが強いですが、ファン・ダイク選手は違いました。

セルティックでの実績です↓

実績 詳細
スコティッシュ・プレミアリーグ優勝 2013-14, 2014-15シーズン
スコティッシュ・リーグカップ優勝 2014-15シーズン

セルティックで経験を積んだファン・ダイク選手は、プレミアリーグのサウサンプトンへ移籍。




サウサンプトン:背番号「17」での新たな挑戦

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サウサンプトン時代のファン・ダイク選手の写真

サウサンプトン時代の背番号一覧。

シーズン 所属チーム 背番号
2015-2018 サウサンプトン 17
2017-2018 サウサンプトン
(U-23)
6

プレミアリーグ初挑戦となったサウサンプトンでは、背番号「17」を背負いました。

この番号は、まだクラブの中心選手とは言えない立場を象徴していましたが、彼はすぐにその評価を覆しました。

当時、吉田麻也選手とのポジション争いが話題となり、両選手がコンビを組むこともありました。

吉田選手との共演は、ファン・ダイク選手にとってプレミアリーグの厳しさを学ぶ良い機会となりました。

サウサンプトンでの経験が、彼をリバプール移籍後の世界的な選手へと成長させる基盤となったのです。

リバプール:背番号「4」に込められた責任と誇り

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リバプールでのファン・ダイク選手の写真

リバプール移籍後、ファン・ダイク選手は背番号「4」を背負い続けています。

この番号は、センターバックの中でも特別な責任を意味するものであり、彼の守備の要としての役割を象徴しています。

彼は移籍当初、ディフェンダーとしては史上最高額となる7500万ポンド(約114億円)で加入しました。

この移籍金は一部で批判の的となりましたが、彼の活躍がその声を一蹴。

リバプールをUEFAチャンピオンズリーグやプレミアリーグ優勝に導きました。

ファン・ダイク選手の動画を載せてみました。

ことごとく相手の攻撃を跳ね返してくれるファン・ダイク選手。

こんな選手がいてくれたら、チームは助かりますよね?




オランダ代表:「4」とキャプテンとしての誇り

オランダ代表でのファン・ダイク選手の写真4枚並べた画像

オランダ代表でのファン・ダイク選手の写真

オランダ代表での背番号一覧。

シーズン カテゴリー 背番号
2014-2015 フル代表 4、13、15
2015-2017 フル代表 4
2016-2017 フル代表 3
2017- フル代表 4

オランダ代表デビュー後、彼は背番号「4」を中心に背負ってきました。

2015年10月のEURO2016予選カザフスタン戦で代表デビューした時の写真です↓

代表デビュー時のファン・ダイク選手の写真

代表デビュー時のファン・ダイク選手の写真

引用:Twitter

一時的に「3」や「15」を付けた時期もありましたが、最終的には「4」が彼の代名詞となっています。

この番号は、オランダ代表の守備の要としてだけでなく、キャプテンとしてのリーダーシップを象徴するものです。

2015年のEURO2016予選カザフスタン戦でデビューを果たした彼は、その後代表に欠かせない存在となり、現在ではチームの精神的支柱として活躍中です。




ファン・ダイクがユニフォームに苗字を入れていない理由とは?

 

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ファン・ダイクがユニフォームに苗字を入れていない理由は、父親との確執があるからだそうです。

叔父にあたるスティーブンさんは、

「ビルヒルは浮き沈みのあった家族の中でとてもうまくやっていた。彼の父親は妻と3人の子供を残して去っていった。それが許しがたい出来事として残っている。父親は大事な局面でいつもいてくれなかった。母親がすべての物語の主人公だよ。理由なしに父親の名字を外したユニホームを着ているわけではない。自分がどう感じているかと表現しているんだ」

引用:日刊スポーツ (nikkansports.com)

と説明していたようです。

こういった理由があって苗字を入れていなかったのですね・・・。




さいごに

ファン・ダイク選手の背番号は、彼のキャリアの挑戦と成長を象徴する重要な要素です。

フローニンゲン時代の「48」はプロとしての第一歩を示し、セルティックでの「5」は安定した地位を表しました。

サウサンプトンでの「17」ではプレミアリーグへの適応、リバプールとオランダ代表での「4」では守備の要としての誇りが込められています。

これからも背番号「4」の物語がさらに豊かになり、彼が新たな歴史を刻む瞬間を期待しましょう!

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