2020年2月26日に追記しました。追記は後半部分です。
幼少期の教育が大切と言われていますが、辛い幼少期を過ごした選手やそうでない選手がいます。
想像を絶するような幼少期を過ごしてきた選手も、このブログで書いてきたこともありますし、それが今になって生きている選手が多いです。
日本人の久保建英の幼少期は、想像を絶するような幼少期ではなかったと思われますが、これだけの選手になったわけですから、サッカー漬けの幼少期を過ごしていたことでしょう。

今回は、久保建英が、どんな幼少期を過ごしていたのかについて書いていきたいと思います。
久保建英の幼少期の過ごし方は、どんな感じであったのか?
天才・久保建英は、どんな幼少期を過ごしてきたのでしょうか?
父親はサラリーマン、母親は専業主婦という家庭で育った久保建英。傍目で見ると、一般家庭な感じがしますね。
しかし、久保建英の両親は幼少期に拘った教育をしていました。
その拘りは、外で遊ぶ時は裸足で遊ばせることと体力をつけるために歩かせていたそうです。
何故、そのようなことを実践されていたのかというと、裸足で遊ばせた理由は足裏は健康のバロメーターだからだそうです。

小さい時は裸足で遊んでいる子供は多いですし、別に特別な感じはしませんね。母親が健康に気を使ってのことだったのでしょう。
歩くのも体力をつけるためと言っていますので、こちらも特別なことではないと思います。
ここまでは、2、3歳の時の様子ですが、ここからが久保建英の幼少期で少し変わった教育方針が出てきます。
自主保育グループでの活動をさせたようです。ちなみに自主保育とは、
自主保育とは、保護者同士がグループになって協力し合い、当番制で子供たちの面倒を見る保育スタイルのこと。つまり、保育園や幼稚園に子供を預けるのではなく、保護者同士が公園や広場に集まって子供を預け合う保育方法です。
という保育のスタイルで、久保建英が幼少期の頃は2~6歳の年齢の子供たちでグループを作って遊んでいたそうです。
年齢をまたいで遊ぶことができるようにしたくて、自主保育グループに入れたようです。

こういったところから、年上の人とも交流ができるようになっていったのでしょう。
意外と、久保建英の母親は教育ママみたいですね。
久保建英の幼少期は、このような感じで教育をされていました。
幼稚園に入園後の久保建英は、どんな過ごし方をしていたのでしょうか?
次は、幼稚園時代以降の久保建英について書いていきたいと思います。
幼稚園以降の久保建英の生活は、どんな感じであったのか?
大体、この頃からサッカーに目覚めて、サッカー漬けの日々を過ごしていたのではないでしょうか?
と思いきや、そうでもなさそうでした・・・。
久保建英の両親は、外遊びをさせたいがために、家が居心地の良い場所にならないようにゲームは買わない。
おもちゃもなるべく買わないということをしていたようです。
幼少期であれば、子供同士の話でゲームの話とかになった場合とかついて行けなくて大変であったでしょうね。
その代わりと言っては何ですが、様々なスポーツはやらせていたみたいです。

水泳、陸上をやっていたようですね。運動神経の良い子にしたかったのかな?
父親が筑波大学の体育学群卒業ということも関係してくるのでしょうか?
久保建英自身が辛いと思わなければ、問題にはならないと思われますが、ちょっとやりすぎのような気がします・・・。
後は、自分で考えて話すようにしつけたという話もあります。
自分で考えて話すといったところは、今現在活かされているような気がしますね。

久保建英のインタビューを見ていると、そう感じます。
こうやって、久保建英の幼少期の過ごし方を書いていると、ハードな生活を送っていたんだなと思いましたね。
こういった教育があったからこそ、今の久保建英がいるのですが、ある意味よく耐えたなと思います。
幼少期の久保建英にとって、当たり前の生活まで落とし込めたからこそ問題が起きなかったのでしょうね。
私だったら、絶対に無理な話ですが(笑)
幼少期に、ここまで鍛え上げられたわけですから、両親に感謝しなければなりませんね。
この両親への感謝の想いは、世界で活躍をしてくれることだと思います。
新シーズン、レアルのユニフォームをまとい、華麗なテクニックで相手を翻弄して欲しいです。
ここから追記しました。
久保建英の幼少期について書いてきましたが、両親が1番大切にされてきたことが大きな成長につながったのだと思われます。
1番大切にしてきたことは何だったのでしょうか?
最後に、両親が1番大切にしてきたと思われることについて書いていきたいと思います。
久保建英の両親が1番大切にしてきたことは何か?
久保建英の両親が、本人の可能性を信じてあげたことが大きかったと思われます。
ここが、両親が1番大切にしてきたこととでしょう。
もし、両親のサポートなくして、バルセロナのカンテラに入団することはなかったと思われます。
子供の可能性を信じ、バルセロナに入団するまでを逆算して、トレーニングや教育をしてきたようです。
本人、両親も本気になって、取り組んだ結果が今!
可能性を信じて、サポートをし続けてくれたおかげで、スペイン1部でプレーできているのです。
頭ごなしに、「ダメ!」と決めつけず、1番のファンになって支え続けるという1番大切なことを実行できた両親は素晴らしいですね。
否定したくなる気持ちもわかりますが、子供の可能性を信じられるか?ここができれば、今後、凄い選手が多く輩出されるかもしれません。
幼少期の過ごし方ですが、久保建英の両親のようにしてあげることも1つの考えとして持っていることが大切なのでしょう。
まとめ。
今回は、久保建英の幼少期について書いてみました。
今まで書いてきた選手のような感じの幼少期かなと思ったら、そうでもなかったですね。
結構、ハードな幼少期を過ごしていたようですが、久保建英にとって当たり前の生活まで落とし込んだのでしょう。
両親の教育方針が正しかったようで、ここまでの選手になれたわけですが、本当の勝負はこれからです。
是非、スペインで久保建英旋風を巻き起こしてほしいですね。
週末は、ハイライトで見られると思うので、楽しみにしたいと思います。
こちらの記事も読まれています↓
・マルセロの幼少期からのエピソードは、想像以上のモノだった?