2020年6月15日に追記しました。
中学、高校時代から注目を集めてきた堂安律。
堂安律の同世代で知らない人はいないのではないでしょうか?
その才能は、誰もが認めているところ。中学、高校の時は、学習や行事、ガンバ大阪ユースでの活動で大忙しであったでしょう。
そのくらい、すごい選手であったと思われます。
今回は、堂安律の高校時代について書いていきたいと思います。
まずは、簡単にですが、堂安律のプロフィールを見ていきたいと思います。
堂安律のプロフィール。
愛称:マラドーアン、アクエリアス、リッツ・カールトン
国籍:日本
生年月日:1998年6月16日
出身地:兵庫県尼崎市
身長:172cm
体重:70kg
在籍チーム:PSVアイントホーフェン
ポジション:MF
背番号:25
利き足:左足
2015-2018:ガンバ大阪
2016:→ ガンバ大阪U-23
2017-2018:→ FCフローニンゲン (loan)
2018-2019:FCフローニンゲン
2019-:PSVアイントホーフェン
堂安律は、西宮SSに所属をしていました。
中学入学時には、ガンバ大阪、セレッソ大阪、名古屋グランパスのジュニアユースからオファーが来るほどの人気選手。
その中から、ガンバ大阪へ進み、U-15年代全国3冠を達成に大きく貢献。
順調に、ガンバ大阪ユースに昇格を果たし、高校2年時には2種登録をされることに。
ACLでトップチームデビューを果たし、宇佐美貴史と同じシチュエーションになったことは有名です。
Jリーグでは、宇佐美貴史を超える16歳11カ月18日でデビューをし、クラブ史上最年少記録を更新。
その後、飛び級でトップチーム昇格を決めました。
堂安律の成長は止まらず、2017年にオランダのフローニンゲンにレンタル移籍を果たし、2019年に強豪PSVへ移籍。
理想的なステップアップをしてきましたが、現在は壁にぶち当たっているような感じがします。
堂安律にとっては刺激的なことだと思われますので、乗り切ってくれることでしょう!
では、高校時代の堂安律は、どのような感じだったのでしょうか?
堂安律の高校時代は?やはり、多忙であったのか?
初めは、大阪府茨木市にある、追手門学院高校に入学した。ガンバ大阪のスポンサーらしいです。
ガンバ大阪ユースや世代別の活動、プロデビューなど高校どころではなかったはず。
まともに、高校に通うことも厳しい状況であったことでしょう。高校に通うこととサッカーの時間が半々くらいなのでは?
そこで、追手門学院高校に通うこともできないことと、よりサッカーに集中するために、通信制の向陽台高校に編入した。
向陽台高校は、宇佐美貴史も通っていた?高校だから、堂安律のこともよく理解してくれる高校だったのでしょう。
やはり、普通の高校では、両方やっていくのには厳しかったのでしょうね。高校の課題などで。
これで精神的に楽になったことでしょうね。通信制の高校なので、しっかりと単位を取れれば良いわけですからね。
それでも世代別の代表の活動もあったのできつかったはず・・・。
乗り切れた堂安律は凄いとしか言いようがないですね。
プロになり、世界で活躍するという決意があったからこそできたと思われます。
では、世代別の代表での堂安律について書いていきたいと思います。
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高校の年代から見ていくことにしましょう。
まずは、2014年にU-16日本代表に選出された。
AFCのU-16選手権に出場し、なぜか?左サイドバックで起用されていた。
準々決勝で、韓国に敗れてしまい、U-17W杯の出場権を勝ち取ることは出来なかった。
2016年10月、ACLのU-19選手権のメンバーに選ばれ、この大会で一気に有名になった。
順当に勝ち進み、勝てば、U-20W杯出場が決まる準々決勝のタジキスタン戦。
この試合では、堂安律は、1得点1アシストと大活躍で、見事に出場権を勝ち取った!
決勝のサウジアラビア戦では、PK戦までもつれ込んだが、優勝を果たした。
堂安律は、大会MVPにも選ばれアジアだけでなく、世界にも名前が広まった。
堂安律は、今大会のプレー内容には満足できていなかったようで、もっと得点、アシストをしたかった、自分が望んでいたプレーが出来なかったことに悔しさを口にしていた。
しかし、こういった思いがあるからこそ、この後のステップアップに繋がったのでしょう。
高校時代から、これだけのことをこなしてきたのだから、今現在の堂安律があるのでしょう。
この大会後、堂安律は、さらなる成長をしていきました。
U-20W杯出場~現在まで。
U-20W杯に出場し、堂安律は、さらに輝きを増した。
まずは、初戦の南アフリカ戦いでは、決勝ゴールを挙げ、チームを勢いづけました。
続く、ウルグアイ戦は敗戦してしまい、崖っぷちに立たされた。
しかし、最終戦のイタリア戦で、堂安律がチームを救った。
前半途中で、2点差をつけられてしまい、グループリーグ突破が危なくなった。
そこで堂安律は、燃えた。チームの悪い雰囲気を何とかしようと得意のドリブル突破を仕掛ける。
前半に堂安律が、後方からのパスを懸命に足を伸ばし合わせる。
まさに、ここしかないような場所へ飛び込むあたりは流石だ。この得点で日本が落ち着き、ペースを戻す。
そして、後半開始早々、またしても堂安律が魅せる。世界が驚いたゴールであった。
イタリアDF陣4、5人に囲まれながらもボールを失わずに、抜き去りゴール。
日本のピンチを救うファインゴールだった。このゴールにより、日本は引き分けで無事に決勝トーナメントに進むことが出来た。
堂安律の2点目のゴールは、世界中が驚いたようで、FIFAも凄く称賛していた。
さらに、ゴールだけでなく、攻撃に絡んだプレーも紹介されていたようだ。
珍しいですよね。得点シーンは、よくハイライトで流されるが、それ以外にも流されるなんてね。
FIFAだけではない、世界各国も称賛し、堂安律が一気に知れ渡ることになった。
そして、この大会で自信をつけたのか?オランダのフローニンゲンに期限付き移籍をすることにした。
現在は、フローニンゲンで、スタメンの座をつかみ取りリーグ戦では連続出場をしている。
期限付き移籍なので、来年どうなるのかは、わからないが、欧州の舞台で戦っていてほしいですね。
※完全移籍をし、2019年の夏に、PSVへ移籍しました。
近い将来、UEFAチャンピオンズリーグで、堂安律のプレーが見られることになりそうですね。
日本人対決となれば、盛り上がるはず!その時には、PSVのスタメンを勝ち取っていたほしい。
まとめ。
今回は、堂安律の高校時代の時からのことについて書いてみました。
普通の高校ではなく、通信の高校に通っていたのですね。堂安律のような世代別の代表、ユースの活動を考えれば、通信制の高校でないと厳しいですよね?
多くのプロ選手は通信制の高校に通いながら、サッカーに集中しているので、堂安律にとっても良かったことでしょう。
堂安律に高校の時は?と聞いても、サッカーの話ばかりになりそうですね。しかし、そんな高校生活を送ってきたから今があるのです。
PSVでスタメンを勝ち取り、UEFAチャンピオンズリーグで活躍する姿を見たいですね!
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