守田英正の高校時代がすごい!
そんな声が今、検索でも急増しています。
スポルティングや日本代表で大活躍する彼が、実は全国大会にも出られなかった“無名高校出身”だったという事実、ご存知でしたか?
この記事では、守田英正の高校時代のエピソード、ポジション、恩師の証言や努力の裏話までを深掘りしてご紹介します。
「有名じゃなくても、諦めなければ夢は叶う」――そんなリアルなサクセスストーリーを、守田英正の青春から感じてみてください✨
読み終わる頃には、彼のファンになっていること間違いなしです!
この記事の内容
出身高校は金光大阪高校!全国大会には無縁のスタートだった
引用:takatsuki2
守田英正が通っていたのは、大阪府高槻市にある金光大阪高校。
公立ではなく私立校ですが、サッカー界での知名度はそれほど高くなく、全国高校サッカー選手権への出場経験も少ない学校です。
ちなみに、金光大阪高校の卒業生には、こんな方々がいらっしゃいます↓
写真 | 選手名 | 所属クラブ |
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羽田健人(はねだ けんと) | 大分トリニータ |
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貫名航世(ぬきな こうせい) | 飛鳥FC |
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福森直也(ふくもり なおや) | ベガルタ仙台 |
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三宅貴憲(みやけ たかのり) | おこしやす京都AC (2020年現役引退) |
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前田晃一(まえだ こういち) | 奈良クラブ (2019年現役引退) |
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安田晃大(やすだ こうだい) | 南葛SC (2022年現役引退、南葛SCのアカデミーコーチ就任) |
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中村太亮(なかむら たいすけ) | (2023年現役引退) |
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金沢亮(かなざわ りょう) | (2011年現役引退) |
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家長昭博(いえなが あきひろ) | 川崎フロンターレ |
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中田洋平(なかだ ようへい) | 富山新庄クラブ (2011年に現役引退) |
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田中淳也(たなか じゅんや) | ヴェルスパ大分 (2014年現役引退) |
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林卓人(はやし たくと) | サンフレッチェ広島 |
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斉藤大介(さいとう だいすけ) | おこしやす京都AC (2019年現役引退) |
サッカーで活躍する人材を輩出しています🏫✨
守田英正は“有名校出身のエリート”ではなく、いわば無名から這い上がったタイプの選手なんですね。
当時、彼の周囲には「プロになりたい」と言う選手は何人もいたそうですが、全国に出られない現実を突きつけられて、夢を諦めてしまう仲間も多かったとか。
守田英正自身も、「自分はプロになれるのか?」と何度も自問したそうです。
それでも彼は、一度もサッカーをやめようとは思わなかった。
“自分のことを信じた”その気持ちだけが支えだったと、後のインタビューで語っています。
ポジション固定されず悩んだ時期も。“どこでもできる”の原点はここに

引用:IMG_0844_Fotor.jpg (1500×1000) (kohs.ed.jp)
高校時代の守田英正は、主にボランチとしてプレーしていたとされていますが、試合によってはポジションが固定されていなかったとも語られています。
監督の戦術やチーム事情によって起用法が変わることも多く、本人も「自分のベストポジションがどこなのか悩んだ」と振り返る場面もありました。
ただ、その経験こそが、いまの“どこでも対応できる万能型プレイヤー”という強みの源になったとも考えられます。
実際に、大学以降やプロでは右サイドバックを任される試合もあり、アンカーやインサイドハーフとしても柔軟に対応。
特定のポジションにこだわらず、チームのために何ができるかを考え続けた高校時代は、守田英正にとって大きな財産になったに違いありません✨
“やらかし”もあった高校生活?2度の坊主事件とは😂
守田英正、高校時代に2度の坊主を経験しています。
理由は、先生に怒られたから。
1回目は「ジェルをつけて登校して注意されたから坊主にした」。
2回目は「彼女を自転車の後ろに乗せて2人乗りがバレたから坊主にした」。
引用:YouTube
…なんという青春(笑)。
ですが、こうしたエピソードが彼の“完璧すぎない人間らしさ”を際立たせてくれていますよね。
大人びたプレースタイルとは裏腹に、普通の高校生として悩み、やらかし、反省して、成長していった守田英正の姿が、グッと心に響きます✨
全国大会に出られなかった悔しさが、進路を決めた
守田英正は高校3年時、全国大会出場を逃しました。
この敗戦後、進路を考えたとき、心の中には「このままサッカーをやめようかな」という迷いもあったそうです。
でも彼が選んだのは、流通経済大学サッカー部のセレクション受験でした。
実力的にギリギリだったものの、持ち前のスタミナとハードワーク、戦術理解力が評価されて合格を勝ち取ることに。
「どうせ無理」「目立ってないからダメだろう」と思いがちな逆境の中で、彼は“自分の力で次の扉を開けにいった”んです。
その一歩が、日本代表という未来につながっていたなんて…鳥肌モノですね🔥
恩師の証言「判断力と責任感は、すでにプロ級だった」
高校時代の監督・岩松剛さんは、守田英正についてこう語っています:
「華があるタイプではなかった。でも、走れて、戦えて、自分の役割を理解して行動できる選手だった」
「技術の派手さではなく、サッカーを“考えてプレーする”力がずば抜けていた」
「仲間に怒るタイプじゃないけど、自分がまず先に走る。そうやってチームを引っ張るリーダーだった」
この証言からもわかる通り、守田英正は“天才型”ではなく、努力と思考でのし上がってきた叩き上げ選手だったのです。
無名→流経大キャプテン→プロ即代表!まさにリアルサクセスストーリー
本日行われた全日本大学サッカー選手権(インカレ)決勝戦を見事勝利し、優勝を決めた流通経済大学! キャプテンを務めた守田英正選手、チームを優勝へ導き、大会MVPに選出されました! 来季に向けて、本当に頼もしいですね。おめでとう!【広報】#frontale pic.twitter.com/DiLsTbU5nV
— 川崎フロンターレ (@frontale_staff) December 24, 2017
大学でもすぐに頭角を現し、最終的にはキャプテンとして全国タイトルを獲得しMVPも受賞。
そこから川崎フロンターレに入団 → 即スタメン → 即代表デビューと、まるでフィクションのようなスピードでキャリアを駆け上がっていきます。
高校時代に無名だった選手が、ここまで短期間で成り上がるって、ほんとにすごい。
しかもそのすべてが「地道な努力と、自分を信じた勇気」でできているからこそ、守田選手の物語には説得力があるんですよね👏
さいごに
守田英正の高校時代は、金光大阪高校という全国的には無名の学校で過ごした3年間でした。
全国大会への出場経験もなく、注目される選手ではありませんでしたが、地道な努力と戦術理解力の高さ、責任感のあるプレースタイルで頭角を現します。
恩師からも「判断力と走力はプロ級だった」と評価され、大学ではキャプテンとして全国タイトルを獲得。
そこから一気にプロ、そして日本代表へと駆け上がっていきました。
派手な才能ではなく、“考える力と努力”で世界を掴んだ守田英正の物語は、多くの人に勇気を与えるはずです。
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