中山雄太の出身中学、高校はドコ?中高校時代のエピソード3つを紹介!

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EFLチャンピオンシップ(2部)のハダースフィールド・タウンFCに所属する中山雄太選手。

長友佑都選手の後継者して期待されている選手で有名!

そんな中山雄太選手ですが、中学、高校はドコに通っていたのでしょうか?

また、中高校時代のエピソードにはどんなものがあったのでしょうか?

そこで今回は、中山雄太選手の出身中学、高校と中高校時代のエピソードについて書いてみたいと思います。


中山雄太の出身中学は龍ケ崎市立愛宕中学校!

龍ケ崎市立愛宕中学校の写真

龍ケ崎市立愛宕中学校の写真

引用:daisho-c

中山雄太選手の出身中学は龍ケ崎市立愛宕中学校!

中学時代は、部活動でサッカーをされていた中山雄太選手。

中学2年時に、茨城トレセンに選出され、柏U-15との試合で注目を集めました。

茨城トレセンでずば抜けて上手かったようで、柏U-15からは『誰だ?あいつ』ということになったようです。

このことがキッカケで、中学3年時に、柏U-15に移籍。

しかし、移籍してすぐに怪我をしてしまい、高校2年生までほぼプレーできなかったようです・・・。

逆に、怪我をしたことが高校時代の活躍につながったかもしれません。

中山雄太の出身高校は柏南高校!

柏南高等学校の写真

柏南高等学校の写真

引用:mycity-info

中山雄太選手の出身高校は、柏南高校。

柏南高校の偏差値は、64!

千葉県内で331件中37位と高い水準にあります。

国公立大学を始め、難関私立大学に多くの合格者を輩出されている高校です。

中山雄太選手は勉強の方もできる選手であることが証明されましたね。

そんな柏南高校ですが、卒業生に有名人が何名かいます。

紹介していきたいと思います↓

写真 名前 職業
篠原宏仁
(しのはら ひろひと)
ヴェルスパ大分
(サッカー選手)
佐々木宏樹
(ささき ひろき)
FCバレイン下関
(サッカー選手)
山中亮輔
(やまなか りょうすけ)
セレッソ大阪
(サッカー選手)
輪湖直樹
(わこ なおき)
元サッカー選手
堀田秀平
(ほった しゅうへい)
AWAJI UNITED FC U-15監督
山本紘之
(やまもと ひろゆき)
アナウンサー
諏訪雄大
(すわ ゆうだい)
元サッカー選手
宇野沢祐次
(うのざわ ゆうじ)
AC長野パルセイロ U-18監督
細川ふみえ
(ほそかわ ふみえ)
俳優
三石琴乃
(みついし ことの)
声優

意外に、サッカー選手が多いなという印象。

正直驚きました。

サッカーだけでなく、将来も考えて勉強もという方が進学するところなのでしょうね。

中山雄太の中学、高校時代の伝説エピソード3選!

柏U-18時代の中山雄太選手と上島拓巳選手の写真

柏U-18時代の中山雄太選手と上島拓巳選手の写真

引用:soccerdigestweb

文武両道の中山雄太選手ですので、中学、高校時代のエピソードは凄いものがあることでしょう。

どんなエピソードがあったのか?

見ていきましょう。

エピソード①幼い女の子に見せた優しさ

とあるサッカーイベントにスタッフとして参加した時、目の前を歩いていた幼い女の子の靴紐がほどけていたことに気づいた中山雄太選手。

声をかけて、靴紐を結んであげたようです。

細かいことに気づいてあげられる中山雄太選手の優しさが素敵ですよね?

周囲をよく見て相手を思いやる姿勢は、こういったところでも活かされていたようです。

エピソード➁戦術理解度が高い

中山雄太選手は、柏U―15加入後、すぐに怪我をしてしまいました。

高校2年生になるまでほぼプレーできていなかったそうです。

腐っていてもおかしくない状況でしたが、中山雄太選手はチームメートのプレーを見て、自分が入った時にどう動けばよいのかをイメージしていました。

頭が良い選手ですので、様々なパターンをイメージされていたことでしょう。

怪我から復帰後、スムーズにチームに入っていけたのは、怪我している間に戦術やチームメートのプレースタイルをインプットできていたからではないでしょうか?

エピソード③コーチングが大人しかった

今では想像できませんよね?

センターバックのポジションでプレーしていた中山雄太選手。

コーチングを求められるポジションですが、大人しかったようです・・・。

それを打破するために、監督からキャプテンに任命されることになりました。

なぜ、キャプテンに任命したのかを下平氏は、

「シン(中谷進之介/現・名古屋)と比べると寡黙で、コーチングがおとなしかったんです。人間性は間違いないんだけど、そこを突き破るようなリーダーシップがほしかった」

引用:soccerdigestweb

チームをまとめる役割を担っていくうちに、自信がついたのでしょう。

下平氏が求めるコーチングやリーダーシップが身についていったと思われます。

ちなみに、クラブ史上初の高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグEAST優勝を果たしています。

当時のサッカー関係者や周囲の評価についてまとめてみた

中山雄太選手の写真

中山雄太選手の写真

引用:soccerdigestweb

おそらく、中学、高校時代から高い評価を得ていたことでしょう。

サッカーだけでなく、私生活でもそんな気がします。

当時のサッカー関係者や周囲の評価を見ていきましょう。

中学のサッカー部顧問だった根本清史さん

「ぐいぐい引っ張っていくタイプではなかったが、先輩、後輩から慕われ、頼られるタイプ。こちらがうらやましいと思うほどだった」

引用:mainichi

決定的チャンスを外した仲間には、前向きな声をかけていたようです。

別のインタビューでは、こんな感じでした。

「ひと言で言うと“温厚”です。だから言っておとなしいとか、真面目過ぎることはなく、茶目っ気がありながらも周りをよく見ていましたね。小学校を出たばかりの中学1年生だと自分のプレーばかりをやろうとする子が多い傾向にありますが、雄太は常に全体を見ながら、自分で行くのか、他の子にボールを預けるのか、判断してプレーできる子でした」

引用:soccerdigestweb

周囲に気を使える素敵な人間性を持った選手ですね。

そんな人柄のせいか、学級委員長や体育祭の応援団長など務めていたとのこと。

サッカーだけでなく学校生活でも大活躍されていたのですね。

上島拓巳選手

「雄太は戦術理解度が高く、個の能力も完成されていました。体格的にも他の高校生に比べたら大きかったので、怪我が治って復帰してからはチームにスッと馴染んでいった印象があります」

引用:soccerdigestweb

中学時代に怪我をし、高校2年生までほぼプレーできていなかった時、チームメートのプレーを見てイメージを膨らませていた中山雄太選手。

復帰してすぐに、チームにフィットできたことに対しての上島拓巳選手の評価です。

時間があったとはいえ、しっかりと落とし込めるあたりは流石ですね。

まとめ

今回は、中山雄太選手の出身中学、高校と中高校時代のエピソードについて書いてみました。

レベルの高い高校に入学され、卒業したことには驚きましたね。

世代別の代表の活動もありながら、学校の課題をこなした中山雄太選手は素晴らしい。

エピソードを見てみると、人間性が見られるものが多く、周囲から愛されていたことがわかりますね。

もしかしたらですが、将来サッカー日本代表のキャプテンに就任するかもしれません。

そうなった時の中山雄太選手のふるまいに注目です。

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