ニャブリの歴代背番号、気になりませんか?
アーセナル時代の44番、ブレーメンでの29番、バイエルンでの7番など、実は彼のキャリアにはそれぞれ“番号にまつわる物語”が詰まっているんです。
この記事では、クラブとドイツ代表それぞれでの背番号の変遷を一覧表にまとめ、各時代の評価やエピソードも詳しく紹介しています。
「なぜあの番号だったの?」「7番を背負う意味って?」そんな疑問がスッキリ解決する内容になっていますよ。
背番号からニャブリの成長と信頼の歩みを、一緒に振り返ってみましょう!
この記事の内容
ニャブリのクラブ&代表での歴代背番号一覧
ニャブリがこれまでに着けてきたクラブおよびドイツ代表での背番号を一覧表にまとめました。
所属 | チーム名 | 背番号 | 在籍期間 |
---|---|---|---|
クラブ | アーセナル | 44番、31番 | 2012–2016年 |
クラブ | ウェスト・ブロム(レンタル) | 31番 | 2015–2016年 |
クラブ | ヴェルダー・ブレーメン | 29番 | 2016–2017年 |
クラブ | ホッフェンハイム(レンタル) | 29番 | 2017–2018年 |
クラブ | バイエルン・ミュンヘン | 22番 → 7番 | 2018年〜現在 |
代表 | ドイツ代表 | 17番、20番、10番、7番 | 2016年〜現在 |
それぞれの背番号には、彼のキャリアや成長とリンクするストーリーが込められています。
ここからは、クラブ別、代表別に背番号の意味やエピソード、そして当時の海外の反応を紹介していきます。
各クラブでのニャブリの背番号エピソード
ニャブリが歩んできたクラブキャリアは、多くの挑戦と変化の連続でした。
そのなかで彼が着けてきた背番号には、クラブでの立場や当時の評価が色濃く反映されています。
ここからは、各クラブでの背番号とその背景、そしてその時々のエピソードを振り返っていきましょう。
若手として試行錯誤していた時代から、バイエルンで“7番”を託される現在に至るまで、数字の裏に込められたストーリーを紐解いていきます。
アーセナル時代:若き日の挑戦と多彩な番号

アーセナル時代のセルジュ・グナブリー(ニャブリ)選手の写真
ニャブリがトップチームで初めて着けた背番号は「44番」。
当時17歳という若さでトップデビューを果たし、2013-14シーズンには「31番」に昇格しています。
若手としてプレー時間は限られていましたが、その爆発的なスピードとドリブルは多くのファンの目に留まりました。
英『Sky Sports』は「アーセナルが育て損ねた原石」と評し、後に彼がブレーメンやバイエルンで成功する姿を見て惜しんだ声も多数。
Serge Gnabry vs. Swansea City (2013) #Gnabry #AFC #COYG #WeAreTheArsenal #Arsenal #EuropaLeague #UEFA #UCL #BayernMunich pic.twitter.com/0XcYz7L7o1
— ArsenalGoals™ (@ArsenalGoalsTM) February 20, 2019
背番号の変化は彼がトップチームに“食い込もう”としていた努力の証でもありますね。
ウェスト・ブロム時代:苦難の31番と“干されエピソード”

ウェスト・ブロムウィッチ時代のセルジュ・グナブリー(ニャブリ)選手の写真
ニャブリはアーセナルからウェスト・ブロムへレンタル移籍し、背番号「31番」を着けていました。
しかし、この時期は彼にとって非常に苦い時間となりました。
当時の監督トニー・ピューリスは「プレミアリーグで通用するレベルではない」と発言し、出場機会はほぼゼロ。
英『BBC』や『Guardian』でも「最も不遇なレンタルの一例」として取り上げられています。
この期間がニャブリにとってどれほど屈辱的だったかは、後のインタビューでも明かされており、「サッカーをやめようかとすら思った」と語ったこともあります。
それでも腐らずに努力を続けた結果、ブレーメン移籍後に一気に花開くことになります。
まさに“逆境からの成長”を象徴する番号といえるかもしれません。
ブレーメン時代:29番で才能開花

ブレーメン時代のセルジュ・グナブリー(ニャブリ)選手の写真
ブレーメンでは「29番」を背負い、わずか1シーズンで11ゴールを記録。
ここでの活躍が評価され、ドイツ代表にも初選出されました。
独『ビルト』は「失敗作と言われた選手が、わずか数か月で代表クラスへ」と報じ、ニャブリ旋風を大きく取り上げました。
Serge Gnabry opened his Werder Bremen account over the weekend with this strike ?. pic.twitter.com/BAzvEZ4ofP
— Pro:Direct Soccer (@ProD_Soccer) September 20, 2016
本人も「背番号にこだわりはなかったが、ブレーメンでの29番は自分にとっての再出発」とコメント。
この29番は、彼のキャリア復活を象徴する番号といえるでしょう。
ホッフェンハイムでの29番:短期でも存在感

ホッフェンハイム時代のセルジュ・グナブリー(ニャブリ)選手の写真
翌シーズン、バイエルンからホッフェンハイムへレンタル移籍。
ここでも「29番」を選択。
シーズン途中には怪我もありましたが、リーグ戦10得点と結果を残しました。
引用:YouTube
『Kicker』は「バイエルンが手放したくないのも当然」と評価。
レンタル中でもチームの中心に食い込む姿に、当時の監督ナーゲルスマンも「彼の動きは一流」と語ったほど。
29番は、実力を証明するための“継続と挑戦”の証でした。
バイエルンでの22番→7番:エースの証
2018年に正式加入したバイエルンでは、最初は「22番」でスタート。
その後2020年に「7番」に変更されました。
この7番は、フランク・リベリなど、かつてのバイエルンの“顔”が着けていた番号。
海外メディア『ESPN』は「伝統ある7番を継承するのにふさわしい男」とニャブリを称えました。
本人も「より大きな責任を感じている」と語り、実際にCLトッテナム戦での4得点など、結果でその重圧に応えています。
バイエルンの“エースナンバー”を託された証ですね。
ドイツ代表での背番号にまつわる反応

ドイツ代表時のセルジュ・グナブリー(ニャブリ)選手の写真
ニャブリはクラブチームだけでなく、ドイツ代表でもさまざまな背番号を背負ってきました。
そのたびに、ポジションや戦術、監督からの信頼度など、さまざまな“変化”が見えてきます。
ここでは、彼がどんな番号を着け、どんなタイミングで変わってきたのか、そしてそれに対する海外メディアやファンのリアクションを詳しく掘り下げていきます。
7番を任されるようになった背景には、彼の代表チーム内での立ち位置の変化が如実に表れているんですよ。
初選出からの番号の変遷
引用:X
ニャブリはドイツ代表でも様々な番号を背負ってきました。
初招集時は「17番」。その後「20番」や「10番」、現在は「7番」が定着しています。
特に10番を背負った試合では、「エジルの後継者」として注目を集めました。
このように、番号の変化はチーム内での役割の変化や監督の期待度を反映しています。
海外メディアによる評価と意味づけ
英『The Guardian』は「7番は、ドイツがニャブリに託した“攻撃の鍵”の象徴」と評価。
また独『Süddeutsche Zeitung』は「代表の7番=スピードと決定力の象徴。ニャブリはその役割を担うにふさわしい」と強調しました。
セレブレーションだけでなく、背番号も彼の“スタイル”を表現しているわけです。
ドイツ代表で“7番=ニャブリ”になったワケ
ドイツ代表でニャブリが背負う「7番」。これは単なる背番号じゃないんです。
右ウイングやセカンドストライカーなど、試合の流れを決める“攻撃の要”に与えられることが多いんですよね。
特にニャブリのように、スピードと決定力の両方を持つ選手がつけると「お、エースだな」って感じします。
ワールドカップやユーロといった大舞台でも、ニャブリはしっかり7番を任されてきました。
これは、歴代監督からの「お前に任せたぞ」っていう信頼の証そのもの。
プレッシャーのかかる試合でも、しっかり結果を出してるからこそ、今でも7番はニャブリの代名詞になってるんですよ〜!
さいごに
ニャブリの背番号には、クラブでも代表でもそれぞれ意味のあるストーリーがありました。
アーセナル時代の44番と31番は“挑戦中の若手”という立場を象徴し、ブレーメンやホッフェンハイムの29番は“再起と覚醒”の証。
バイエルンでの7番は、エースとしての重責と信頼を背負う特別な番号となっています。
そしてドイツ代表では、番号の変化がそのまま評価の変化を物語っており、現在の7番はまさに「攻撃の柱」としての確立を示すものです。
こうして振り返ると、背番号はただの数字ではなく、ニャブリ自身のキャリアを映す“もう一つの履歴書”だと言えるかもしれませんね。
詳細なキャリア情報はTransfermarktのニャブリ選手ページやWikipediaも参考にしてください!
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