日本代表ストライカー・小川航基。
その輝かしいキャリアの始まりは、神奈川県の名門・桐光学園高校にありました。
1年生からレギュラーとして出場し、3年時にはキャプテン兼エースとしてチームを全国の舞台へと導く。
全国高校サッカー選手権での決勝弾、監督・鈴木勝大との信頼と衝突、そして“高校ナンバーワンストライカー”と呼ばれた高校時代――。
この記事では、小川航基の桐光学園時代の成績・エピソード・監督の評価を、事実に基づいて詳しく紹介します。
出身高校の桐光学園高等学校とは
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神奈川県川崎市麻生区にある私立の中高一貫校で、「文武両道」を教育方針に掲げる進学校です。
学業面では難関大学への進学実績を持ちつつ、運動部の活動も非常に盛ん。
その中でも特に有名なのが、全国的に名を馳せるサッカー部です。
桐光学園サッカー部は、全国高校サッカー選手権大会や全国高校総体(インターハイ)での常連校として知られ、これまでに数多くのプロ選手を輩出しています。
代表的なOBには、元日本代表の中村俊輔、そして近年では小川航基、西澤健太らが名を連ねます。
引用:sports.yahoo
チームの特徴は、「考えるサッカー」と「人間性の育成」。
戦術理解・状況判断・プレーの品格を重んじる指導方針のもと、
選手一人ひとりが自主性と責任感を持ってプレーする文化が根づいています。
小川航基もこの桐光学園で3年間を過ごし、ストライカーとしての技術はもちろん、“リーダーとしての資質”を磨き上げたと言われています。
高校時代の成績・大会実績など
引用:asahi
高校時代の「得点」「記録」「賞」などについて、明確に公表されているものを以下に示します。
全国高校サッカー選手権大会出場
小川は高校1年・3年のときに全国高等学校サッカー選手権大会に出場したとする記録があります。
引用:YouTube
優秀選手表彰
2015年には、「全国高校サッカー選手権 優秀選手」「全国高校総体 優秀選手」に選ばれたという情報があります。
キャプテン就任
高校3年生のとき、桐光学園高校のキャプテンを務めたという記録があります。
神奈川県予選決勝での活躍
桐光学園高校が神奈川県予選決勝を突破した試合で、2–0 の勝利を収めたという記録があります。
プロ加入前の発表と卒業時期
高校卒業と同時に、2016年にジュビロ磐田への加入が内定していたことが記者会見で語られています。
高校時代のエピソード
引用:X
以下は、高校時代に関して公に語られているエピソードや印象的な事柄です。
準々決勝の決勝ゴール(延長戦)
引用:u-18soccer
高校選手権・神奈川県予選準々決勝での激戦において、延長後半に決勝ゴールを挙げたという報道があります。
対戦相手は桐蔭学園高で、延長後半4分、浮き球のパスに対してヘディングで決めたというものです。
これは “マン・オブ・ザ・マッチ” 扱いでも紹介されており、小川が“千両役者”ぶりを見せた試合とされています。
この試合での得点は、まさに「ここぞ」の場面でチームを勝利に導く役割を果たした一撃という扱いです。
1年次からのレギュラー起用
高校総体(インターハイ)大会の関連記事で、小川は桐光学園入学後すぐにレギュラーを掴んだと紹介されています。
1年次からチームの主要メンバーとして扱われていたという記述です。
決して序盤から“待ちの選手”ではなかったことが、この点で読み取れます。
県大会決勝で2ゴールの活躍と入団内定
桐光学園時代、神奈川県予選決勝で2得点を挙げ、チームを選手権本大会へ導いたという記録があります。
これを契機に、2016年シーズンからの ジュビロ磐田 入団内定が発表されました。
クラブ側の発表では、加入予定理由として「ポストプレーだけでなく、背後への飛び出しも得意」
「左右足・頭と多彩な得点パターンを持つストライカー」などの評価をあげています。
入団記者会見を母校で実施
引用:jubilo-iwata
プロ入り直前、高校最後の出校日の可能性もあった日に、桐光学園高校でジュビロ磐田入団の記者会見が行われたという記録があります。
会見での言葉として、「桐光学園と言ったら小川航基」と言ってもらえるようになりたい、という意気込みを述べています。
この会見を母校で行なったのは、学校側もまた小川選手を送り出す象徴的な場としたかった意図があったと考えられます。
監督との衝突・指導の厳しさ
インタビューで、小川自身が「高校時代、監督とはよくケンカした」と語っている記述があります。
ある年、御殿場での試合後にチームとは別行動で帰らされたこともあったという話が残っています。
このような緊張関係や衝突も、成長における“摩擦”として後年語られています。
「ストライカーとしての素質がある」との監督の言葉
引用:X
高校時代、鈴木勝大監督から「お前はストライカーとしての素質がある」という言葉をかけられ、それをきっかけに自分の意識が変わったというエピソードがあります。
この言葉が、自分の進む道(ストライカーとして戦っていく道)を自覚する契機になった、との述懐があります。
年代別代表への選出
高校を経たタイミングで、年代別代表(U-18、U-19)への選出実績も確認できます。
たとえば、2016年に U-19 日本代表メンバーに選ばれたという発表があります。
また、プロフィール情報では「桐光学園高校時代に“全国高校サッカー選手権 優秀選手”“全国高校総体 優秀選手”受賞」などが紹介されています。
高校時代の周囲からの評価・反応
引用:blogola
高校時代に関して、周囲(指導者・仲間・メディア)からどのように評価されていたか、以下のような記録があります。
「ナンバーワンストライカー」呼称
高校時代、同世代のストライカーの中でナンバーワンと評され、将来的に日本代表候補とも言われていた、という記述があります。
優秀選手としての選出実績
全国高校大会での「優秀選手」に選ばれていることが、メディアで紹介されており、「大会優秀選手」という評価を受けたことが周囲に認められていた証しとなります。
メディアからの称賛・注目
スポーツ記事などで、高校時代の活躍や資質が取り上げられ、「逸材」「将来性あり」といった評価がなされていた例があります。
特に全国大会でのプレーや得点が話題になり、注目選手の一人として報じられていました。
母校での記者会見という形での尊重
入団時の記者会見を母校で行ったという事実は、母校側からも“小川航基を送り出す”という形で敬意を払ったものと捉えられます。
チーム・仲間からの信頼
キャプテンを務めたという事実は、チームメートや指導者から信頼を得ていたことの表れと考えられます。
さいごに
桐光学園高校での小川航基は、得点力だけでなく、責任感と勝負強さを兼ね備えたリーダーとしてチームを支えました。
1年目からレギュラーに抜擢され、3年で主将・エースとして神奈川を制覇。
延長戦での決勝ゴールや2得点での優勝、監督との本音のぶつかり合い――そのすべてが、現在の“日本を代表するストライカー”の基礎を作り上げました。
高校時代の桐光学園で学んだ努力・謙虚さ・信念こそが、小川航基を今の位置へ導いた「原点」と言えるでしょう。
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