久保建英選手は、日本サッカー界の次世代を担うスター選手として、若くして国内外でその名を馳せてきました。
彼がこれまで歩んできた道のりは、背番号とともに刻まれており、それぞれの番号には彼の成長や挑戦が詰まっています。
この記事では、久保選手がこれまでに所属したクラブや日本代表での背番号の変遷と、その背後にあるエピソードを詳しく紹介します。
彼のキャリアを振り返りながら、どのようにして彼が現在の地位にたどり着いたのか、その道のりを一緒にたどってみましょう。
この記事の内容
久保建英のクラブでの歴代背番号とエピソード
引用:X
FC東京でプロデビューした久保建英選手。
その後、様々なクラブを渡り歩いてきましたが、背番号は何番だったのでしょうか?
クラブでの歴代背番号は以下の通りです↓
シーズン | 所属チーム | 背番号 |
2016 | FC東京 (U-23) |
50 |
2017 | FC東京 (U-23) |
41 |
2017 | FC東京 (トップチーム) |
41 |
2018 | FC東京 (U-23) |
15 |
2018 | FC東京 (トップチーム) |
15 |
2018 | 横浜F・マリノス (レンタル移籍) |
15 |
2019 | FC東京 (トップチーム) |
15 |
2019-2020 | マジョルカ (レンタル移籍) |
26 |
2020-2021 | ビジャレアル (レンタル移籍) |
16 |
2020-2021 | ヘタフェ (レンタル移籍) |
5 |
2021-2022 | マジョルカ (レンタル移籍) |
17 |
2022- | レアル・ソシエダ | 14 |
クラブだと、様々な背番号を背負ってきました。
ようやく、レアル・ソシエダで14番が固定されてきた感じですね。
では、詳細を見ていきましょう。
FC東京
FC東京時代の背番号は以下の通り。
シーズン | 所属チーム | 背番号 |
2016 | FC東京 (U-23) |
50 |
2017 | FC東京 (U-23) |
41 |
2017 | FC東京 (トップチーム) |
41 |
2018 | FC東京 (U-23) |
15 |
2018 | FC東京 (トップチーム) |
15 |
久保建英選手がプロとしてのキャリアをスタートさせたのは、まだ15歳の時です。
彼がFC東京U-23に加入した際、背番号「50」を背負い、J3リーグでデビューを果たしました。
この時点で既に日本サッカー界の注目の的でしたが、その若さにもかかわらず、彼のプレーは周囲の期待を大きく上回るものでした。
デビュー戦では落ち着いたプレーを見せ、すぐにチームの主力としてのポジションを確立。
翌シーズンには背番号「41」を与えられ、さらに多くの出場機会を得ます。
引用:news.yahoo
J1デビューも果たし、素晴らしい1年を過ごしたと思われます。
2018シーズンには背番号「15」を背負い、FC東京のトップチームでもプレーを始めました。
彼はこのシーズン、トップチームとU-23の両方でプレーする機会を得て、その中で多くの経験を積みました。
若干17歳にして、彼は既にチームの中で重要な役割を果たし、国内での評価も急上昇していきました。
その活躍ぶりから、彼はすぐに海外のクラブからも注目を浴びるようになります。
横浜F・マリノス
横浜F・マリノスでの背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2018 | 15 |
2018年、久保選手は横浜F・マリノスに期限付き移籍します。
この時、彼は再び背番号「15」を選びました。
引用:daily
横浜F・マリノスでのデビュー戦では、ヴィッセル神戸を相手にゴールを決め、その存在感を示しました。
#久保建英 選手の見事なJ1初ゴール😆🙌✨
🎦 ゴール動画
🏆 明治安田生命J1リーグ 第24節
🆚 神戸vs横浜FM
🔢 0-1
⌚️ 56分
⚽️ 久保 建英(横浜FM)@prompt_fmarinos #Jリーグ
その他の動画はこちら👇https://t.co/JUEMOXumQp pic.twitter.com/PqMzKzgjg2— Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) (@J_League) August 26, 2018
デビュー戦でのゴールは、彼のキャリアにおいて非常に重要なものでした。
横浜F・マリノスに期限付き移籍した久保建英選手は意識が変わり、以下のようなコメントを残していました↓
サッカーはチームスポーツなので、オレが、オレが、というわけにはいかない。選手1人ひとりに特徴があるとは思いますけど、チームの勝利が最優先される中で、土台となるチームのコンセプトを実践できなければ試合に出られないのは当たり前であり、その上で攻撃では自分の特徴をしっかり出して、チームのいいアクセントになればいい、ということをこの1年間で、十代の早い段階で学べたことは一番大きな収穫だと思っています。
引用: FC東京・久保建英がたった5ヵ月の期限付き移籍で劇的に成長した理由
久保建英選手に取って、非常に意味のある期限付き移籍だったようですね。
レアル・マドリード
レアル・マドリードでの背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2019-2020 | 26 |
久保選手の才能は日本国内にとどまらず、2019年にはスペインの名門クラブ、レアル・マドリードと契約を結ぶことになります。
引用:X
プレシーズンでは、トップチームに帯同し、高評価を得ました。
しかし、当初はトップチームでの出場機会が限られていたため、RCDマジョルカに期限付き移籍しました。
マジョルカ(第1次&復帰)
マジョルカ(第1次&復帰)での背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2019-2020 | 26 |
2021-2022 | 17 |
2019-2020シーズン、マジョルカに期限付き移籍した時には背番号「26」を背負いました。
引用:X
ラ・リーガのデビュー戦では、まだ18歳の若さでプレーし、日本人選手として初めてラ・リーガでゴールを決めました。
【動画更新】
vsビジャレアル「リーガ初ゴール久保建英のタッチ集」〜0.3秒差の作り方〜 pic.twitter.com/WivXEA5j98— Buildup. (@buildup007) November 12, 2019
シーズン終盤は、主力選手として活躍するもチームは降格・・・。
しかし、マジョルカで過ごしたシーズンは、彼にとって充実したものだったと思われます。
2021-2022シーズン、再度、マジョルカに期限付き移籍しました。
この時の背番号は17番。
慣れた環境ということもあり、スムーズにチームに溶け込めたのではないでしょうか?
最終的に1部リーグ残留に成功し、久保建英選手の期限付き移籍は成功だったのかなと思っています。
ビジャレアル
ビジャレアルでの背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2020-2021 | 16 |
ビジャレアルCFに期限付き移籍し、背番号「16」を背負いました。
ヨーロッパリーグでは全試合スタメンで起用されるも、リーグ戦では途中出場が多かった久保建英選手。
徐々に出番が少なくなり、冬の移籍市場近くになると出番が無くなってしまいました。
そこで、ビジャレアルとの契約を破棄し、ヘタフェに期限付き移籍を決断しました。
ヘタフェ
ヘタフェでの背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2020-2021 | 5 |
ヘタフェでは背番号「5」を背負い、再びレギュラーとしてプレーすることになります。
しかし、スタメンで起用されたのは、最初の4試合。
その後は、途中出場が多くなるも第37節のレバンテ戦で決勝ゴールを決めて、チームの1部残留に貢献しました。
引用:YouTube
ゴールは見事でしたが、ヘタフェでインパクトに残った活躍は、これぐらいでしょうか?
レアル・ソシエダ
レアル・ソシエダでの背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2022- | 14 |
引用:X
ダビド・シルバ氏との出会いやチーム戦術があった久保建英選手は、一気にブレイク!
2022-2023シーズンの開幕戦で移籍後初ゴールを決めるなど活躍し、その後もチームの攻撃を牽引する存在に。
チームの10シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場に大きく貢献しました。
そして、2023-2024シーズンでは、リーグの月間最優秀選手に選ばれ、彼の実力がスペイン中で認められることとなりました。
彼さらに、スペイン国内だけでなく、ヨーロッパ中で高く評価されています。
今では、チームの中心選手として活躍し、輝きを増しています。
日本代表での久保建英の歴代背番号とエピソード
引用:X
世代別の代表からA代表での背番号は以下の通り。
シーズン | 背番号 |
2015-2016 (U-15) |
9 |
2016-2017 (U-17) |
7 |
2016-2017 (U-20) |
20 |
2017-2018 (U-19) |
9、13 |
2018-2019 | 21 |
2019-2020 | 11,17 |
2020-2021 (オリンピックチーム) |
7、11 |
2021-2022 | 11 |
2022- | 20 |
世代別の日本代表から選出されていた久保建英選手。
世代別の代表からA代表までの道のりを背番号と共に振り返っていきましょう。
U-15からU-23まで
久保建英選手は、非常に若い頃から日本代表の各世代で活躍を続けてきました。
最初に注目されたのは、日本U-15代表で背番号「9」を背負った時です。
引用:news.1242
その後、U-17代表では背番号「7」、U-19代表では「9」と「13」を背負い、各世代で異なる背番号を付けながらチームの中心選手としてプレーしてきました。
引用:sponichi
特にU-19代表時代には、アジア大会での活躍が目立ちました。
背番号「13」を背負って出場したこの大会では、彼のプレースタイルがチームを支え、攻撃の起点として多くのゴールを演出。
また、この頃から彼の名は国内外で広く知られるようになり、日本サッカー界の次世代のスターとしての地位を確立していきました。
東京オリンピック
2021年、東京オリンピックで久保選手は背番号「7」を背負い、日本代表として大会に臨みました。
引用:nikkansports
大会初戦で南アフリカを相手に決勝ゴールを決めた際、その瞬間は多くの日本人にとって忘れられないものとなりました。
オリンピックでの久保建英選手の活躍は、日本全体を盛り上げ、彼の名声をさらに高めました。
この大会を通じてフィジカル面でも精神面でも大きく成長し、プロサッカー選手としての次のステップに進むための準備を整えました。
A代表
A代表では、久保選手は背番号「21」でデビューし、その後「11」や「17」、そして現在の「20」と、さまざまな背番号を背負ってきました。
2019年、18歳で初めて日本A代表に選出された彼は、コパ・アメリカでの経験を通じて、国際舞台での実力を示しました。
その後も、ワールドカップ予選や親善試合で背番号「11」を付け、チームの中心選手として活躍しました。
2022年のワールドカップでは、背番号「20」を背負い、ドイツ、スペイン戦での勝利に大きく貢献しました。
今後も日本代表の中心選手として、さらなる成長が期待されています。
次回、ワールドカップ時には中心選手として活躍してほしいですね。
さいごに
久保建英選手のクラブ、日本代表での歴代背番号について書きました。
各クラブや代表チームで異なる背番号を背負いながら、彼は常に自らの可能性を広げてきた久保建英選手。
FC東京でのプロデビュー、横浜F・マリノスでの挑戦、そしてスペインでの挑戦、現在はレアル・ソシエダでその実力を存分に発揮しています。
日本代表としても、U-15からA代表まで一貫してチームを支え続け、特に東京オリンピックやワールドカップでの活躍は、日本サッカー史に残るものとなりました。
今後も背番号とともに、さらに多くのファンを魅了し続けることでしょう。
久保建英選手の未来には、まだまだ大きな可能性が広がっています。
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