鎌田大地の出身高校は東山高校!幼少期や高校時代の伝説エピソード6つを紹介!

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状況に応じて適切なポジションを取り、優れた状況判断と高いテクニックで攻撃を牽引する鎌田大地選手。

日本代表に欠かせない選手まで成長した鎌田大地選手ですが、出身高校はドコなのでしょうか?

また、幼少期や高校時代のエピソードはどんなものがあるのでしょうか?

そこで今回は、鎌田大地選手の出身高校と幼少期や高校時代のエピソードについて書いてみました。


鎌田大地の出身高校は東山高校

東山高校の写真

東山高校の写真

引用:minkou

鎌田大地選手の出身高校は東山高校。

中高一貫の男子高校でコースは以下の通り↓

  • パスカルコース(最難関の国公立大学を目指す)・・・偏差値68
  • クレセントコース(クラブ活動と難関私大進学を両立)・・・偏差値48
  • トップアスリートコース(心・技・知・体の頂点をめざす)・・・偏差値46

進学実績を見てみると、東京、京都、大阪大学をはじめとする難関国公立大学合格者を大奥排出されています。

もちろん、早稲田、慶應、関関同立の難関私立大学合格者も多いです。

東山高校卒業生は、きっと様々な業界で活躍されていると思われます。

では、東山高校出身の有名人を見てみたいと思います。

写真 名前 職業
阪田澪哉
(さかた れいや)
プロサッカー選手
(セレッソ大阪)
富田将馬
(とみた しょうま)
バレーボール選手
(東レアローズ)
大島祐哉
(おおしま ゆうや)
プロ卓球選手
頓宮裕人
(とんぐう ゆうと)
元バスケットボール選手
三谷竜生
(みたに りゅうき)
競輪選手
藤山扇治郎
(ふじやま せんじろう)
俳優
岡島秀樹
(おかじま ひでき)
元プロ野球選手
鏡リュウジ
(かがみ リュウジ)
心理占星術研究家
レッド吉田
(レッド よしだ)
お笑いタレント
森本栄浩
(もりもと しげひろ)
アナウンサー
みうらじゅん 漫画家、イラストレーター

他にも多くの有名人を輩出している東山高校。

今後も様々な職業の有名人が出てくることでしょう。

東山高校の卒業生に注目していきましょう。

鎌田大地の幼少期や高校時代のエピソード6選!

鎌田大地選手の写真

鎌田大地選手の写真

引用:X

大阪体育大学でサッカーをされていた父親の指導の下、3歳でサッカーを始めた鎌田大地選手。

その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属するもユースに昇格できず、東山高校に進学しました。

そんな鎌田大地選手ですが、幼少期から高校時代までのエピソードは多いのではないでしょうか?

幼少期から高校時代のエピソードを6つ紹介したいと思います。

エピソード①JFAアカデミー福島の最終選考で落選

鎌田大地選手が小学6年生の時、JFAアカデミー福島の最終選考で落選しました。

その落選の知らせが届いた時には、家に鎌田大地選手しかいなかったようです・・・。

落選を確認したのち、泣いていたとのこと。

落選のショックは合ったもののすぐに切り替え、ガンバ大阪ジュニアユースに入団することを決意しました。

ガンバ大阪ジュニアユース時代の鎌田大地選手の写真

ガンバ大阪ジュニアユース時代の鎌田大地選手の写真

引用:sankei

この年齢で親元を離れて、祖母の家から通うことを決断できる鎌田大地選手が凄すぎますね。

エピソード➁ガンバ大阪ユース昇格できず、東山高校に進学

ガンバ大阪ジュニアユース時代の鎌田大地選手の写真

ガンバ大阪ジュニアユース時代の鎌田大地選手の写真

引用:X

名門ガンバ大阪のジュニアユースに入団しましたが、1年生の時に腕の骨折、3年生の時には腰の骨を折ってしまいました・・・。

さらに、身長は伸びるも筋肉が追い付かず、思うようにプレーできない「クラムジー」に陥ることに。

ある時、鎌田大地選手は「いつになったら体が動くんだ」と涙を流したこともあったようです。

ガンバ昇格するにはチームトップレベルでなければなりません。

高体連に行けば、多くのJクラブに見てもらえるチャンスがあるということで、父親の後輩が指導している京都の東山高校へ進学することを決めました。

この東山高校に進学したことが、鎌田大地選手にとって良い選択でした!

エピソード③敗戦の責任を取って坊主にしてきた

ガンバ大阪ジュニアユースで腕を磨いてきた鎌田大地選手は、1年生ながら東山高校でレギュラーの座を確保していました。

第91回全国高校サッカー選手権京都府大会決勝戦で至近距離でのシュートを外してしまい、2-3で敗戦。

試合終了後、先輩たちに『お前が引っ張っていけよ』っと声をかけられたようです。

そして、気持ちを表すためなのか?

鎌田大地選手は坊主になってきたそうです。

今の鎌田大地選手を見ていると、坊主になってくるイメージがわかないのですが・・・。

それだけ責任を感じたことと覚悟を決めた証だったのでしょうね。

エピソード④数字にこだわり、結果を残し続けた

無名に等しかった鎌田大地選手は、2年生時にプリンスリーグ関西1部で18試合22得点18アシストと結果を残し、得点王とアシスト王を獲得。

翌年のプレミアリーグWESTでは、中盤の選手でありながら10得点を挙げ、得点ランキング4位となりました。

鎌田大地選手の写真

鎌田大地選手の写真

引用:news.infoseek

数字にこだわり、結果を残したことでJクラブからオファーを受け、サガン鳥栖に入団することになりました。

エピソード⑤部活を止めようとした仲間を支えた

鎌田大地選手が卒業する時のことでした。

父親が話したこともないサッカー部の保護者から感謝されたようです。

その内容がコチラ↓

「(息子は)部をやめようとしていたけど、大地君が『一緒に頑張ろう』と言ってくれたので、最後までできました」

引用:sankei

こんなことを言われた父親は凄くうれしかったようです。

私は驚きましたね。

鎌田大地選手って、こんな一面もあるんだと。

仲間想いの最高のキャプテンだったのでしょうね。

エピソード⑥人と違った部分にこだわっていた高校時代

恩師・福重良一監督がインタビューで、鎌田大地選手の高校時代は人と違った部分にこだわっていたようです。

引用:YouTube

やりたいことへのこだわりに関しては、チームメートに要求していたようです。

素直で真面目な子だったようですが、自分自身をしっかり持っている選手だったと福重良一監督は評価していました。

まとめ

今回は、鎌田大地選手の出身高校と幼少期や高校時代のエピソードについて書いてみました。

出身高校の東山は進学実績がとんでもないですね。

しかも、運動部は全国大会に出場しているクラブも多く、文武両道という言葉が合う高校でした。

鎌田大地選手の幼少期や高校時代のエピソードを見てみると、挫折が多かったようです。

そこから這い上がってきて、今があると思われます。

今、セリエAのラツィオで苦しんでいますが、1つ上のレベルに行くための試練なのでしょう。

この現状を打破した時の鎌田大地選手に期待です。

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