プレミアリーグのクリスタル・パレスや日本代表で活躍する鎌田大地。
今では世界レベルの攻撃的MFとして知られていますが、その才能が大きく花開いたのは東山高校時代でした。
実は中学時代にはガンバ大阪ユース昇格を逃す挫折も経験しています。
それでも東山高校で急成長し、得点王&アシスト王の二冠を獲得。
この記事では、鎌田大地の高校時代の成績や伝説の試合、覚醒エピソード、サガン鳥栖入団の裏側まで詳しく解説します。
この記事の内容
鎌田大地の出身高校・東山高校とは?
引用:minkou
鎌田大地が進学したのは京都府の東山高校です。
東山高校は1897年創立の伝統校で、京都府内でも有数の私立男子校として知られています。
サッカー部は全国高校サッカー選手権の常連校というわけではありませんが、個人の能力を伸ばす育成に定評があります。
チーム戦術だけに縛られず、選手自身が考えてプレーすることを重視する指導方針が特徴でした。
後に海外で活躍する鎌田選手にとって、この環境は非常に相性が良かったと言われています。
実際、東山高校時代の鎌田選手は自由な発想を武器に急成長を遂げました。
現在の鎌田選手が見せる独創的なプレーの原点は、この東山高校時代にあったと言えるでしょう。
ガンバ大阪ユース昇格失敗から始まった高校生活
現在の鎌田選手を見ていると、順調にエリートコースを歩んできたように感じるかもしれません。
しかし実際は違います。
中学時代はガンバ大阪ジュニアユースに所属していましたが、ユース昇格を果たすことができませんでした。
プロサッカー選手を目指す少年にとって、ユース昇格は大きな目標です。
その道が閉ざされたことで大きな悔しさを味わいました。
それでも鎌田選手は諦めませんでした。
新たな舞台として選んだのが東山高校です。
この選択が人生を大きく変えることになります。
東山高校では自分の個性を存分に発揮できる環境が整っており、持ち前の創造性や技術力が一気に開花しました。
後に日本代表や欧州で活躍する礎は、この挫折から始まっていたのです。
鎌田大地の高校時代の成績が凄すぎる
高校時代の主な成績は以下の通りです。
| 学年 | 主な実績 |
|---|---|
| 1年 | 京都府大会準優勝 |
| 2年 | プリンスリーグ関西1部 22得点18アシスト |
| 3年 | プレミアリーグWEST 10得点 |
特に衝撃的だったのが高校2年時の成績です。
22得点18アシストという数字は全国でもトップクラス。
しかも得点王とアシスト王を同時に獲得しました。
普通であれば、得点王はストライカー、アシスト王は司令塔タイプの選手が獲得するものです。
しかし鎌田選手はその両方を兼ね備えていました。
自らゴールを奪うだけでなく、味方を生かすプレーも一流。
当時から「別格」と評されていた理由が、この数字からもよく分かります。
高校3年時には高円宮杯プレミアリーグWESTでも10得点を記録。
全国レベルの舞台でも結果を残し続けました。
高校時代から天才と呼ばれたプレースタイル
現在の鎌田大地を見ていると、派手なドリブル突破や圧倒的なスピードで勝負するタイプではありません。
しかし高校時代から相手を翻弄する独特のプレースタイルで注目されていました。
独特のリズムで相手をかわす
鎌田選手最大の特徴は緩急です。
ゆっくり歩いているように見えたかと思えば、一瞬で相手の逆を取る。
相手DFが対応する頃には、すでに次のプレーへ移っています。
この独特なテンポは高校時代から完成されていました。
視野の広さとパスセンス
18アシストという数字が示すように、周囲を見る力は高校生離れしていました。
味方が走り出すタイミングを見逃さず、絶妙なスルーパスを供給。
自分が目立つよりも、チームが得点するための最善策を選べる選手でした。
得点力も全国トップクラス
トップ下でありながら22得点を記録したことからも分かるように、得点能力も非常に高い選手でした。
ミドルシュート、飛び出し、ワンタッチゴールなど得点パターンも豊富。
攻撃のすべてを担える万能型MFとして注目されていました。
東山高校監督も認めた異次元の才能
当時の監督は鎌田選手について、
「普通の選手とは違う」
「人と違うプレーを常に考えていた」
と評価しています。
引用:YouTube
実際に鎌田選手のプレーを見ると、他の選手とは発想そのものが違います。
相手が予測していないコースへパスを出す。
誰も気付いていないスペースへ走り込む。
わずかな時間で最適解を見つけ出す。
こうした能力は高校時代からすでに高く評価されていました。
現在でも日本代表やプレミアリーグで見せる創造的なプレーは、この頃から変わっていません。
伝説の試合①|1試合5得点の衝撃
引用:X
全国のスカウトたちが鎌田大地という名前を強く意識した試合があります。
高校2年時のプリンスリーグ関西1部です。
この試合で鎌田選手は、なんと1試合5得点を記録しました。
しかもゴールの形が多彩でした。
ミドルシュート。
ドリブル突破。
セットプレーからのヘディング。
一人で試合を決めてしまう圧倒的なパフォーマンスを披露したのです。
この活躍によって全国のJクラブやスカウトから注目を集めるようになりました。
まさに「天才・鎌田大地」の名が全国へ広まった試合だったと言えるでしょう。
伝説の試合②|敗戦翌日に坊主になった覚悟
引用:X
鎌田選手の高校時代を語るうえで欠かせないエピソードがあります。
高校1年時の京都府大会決勝です。
東山高校は惜しくも敗れ、優勝を逃しました。
当時からチームの中心選手だった鎌田選手は、自分の力不足を痛感したと言われています。
試合後は悔しさのあまり涙を流し、しばらくピッチから離れられなかったそうです。
そして翌日。
鎌田選手は自らの意思で坊主頭にして学校へ登校しました。
誰かに命じられたわけではありません。
「この悔しさを忘れたくない」
その強い決意の表れでした。
この経験を境にサッカーへの向き合い方が変わったと言われています。
翌年に得点王とアシスト王を同時受賞したことを考えれば、この敗戦が大きな転機だったことは間違いありません。
実は高校時代は問題児だった?
現在は冷静沈着なイメージのある鎌田選手ですが、高校時代はかなり自由人だったことで知られています。
周囲に流されることなく、自分の考えを貫くタイプでした。
そのため誤解されることも少なくなかったと言われています。
しかし、その個性こそが鎌田選手最大の武器でもありました。
常識にとらわれない発想。
誰も思いつかないプレー。
独創性あふれるアイデア。
現在の鎌田選手が世界で評価されている理由は、この頃から培われていたのです。
なぜサガン鳥栖を選んだのか?
引用:X
高校卒業時には複数のクラブが鎌田選手に興味を示していました。
世代屈指の攻撃的MFとして高く評価されていたためです。
その中で選んだのがサガン鳥栖でした。
理由はシンプルです。
「試合に出て成長できる環境」
を最優先したからです。
クラブの知名度やブランドではなく、自分の成長を選びました。
この判断は大成功でした。
サガン鳥栖で経験を積むと、日本代表候補へ成長。
その後はフランクフルト、ラツィオ、クリスタル・パレスへとステップアップしていきます。
高校卒業時の決断が、現在の欧州キャリアにつながったのです。
高校時代と現在を比較してみる
| 高校時代 | 現在 |
| 攻撃特化型 | 攻守万能型 |
| トップ下中心 | MF全般を担当 |
| 細身の体格 | フィジカル向上 |
| 得点力が武器 | 得点力+守備力 |
変わった部分もありますが、
- 視野の広さ
- 独特のリズム
- 得点感覚
- 創造性
は今も変わりません。
東山高校時代に見せていたプレーが、そのまま世界レベルへ進化したのが現在の鎌田大地選手と言えるでしょう。
まとめ
鎌田大地の高校時代は、現在の活躍につながる原点そのものでした。
ガンバ大阪ユース昇格を逃す挫折を経験しながらも、東山高校で才能を開花。
得点王とアシスト王を同時受賞し、高校サッカー界を代表する選手へと成長しました。
1試合5得点の伝説や、敗戦翌日に坊主になった覚悟のエピソードからも分かるように、鎌田選手の強さは技術だけではありません。
挫折を力に変え、努力を続けた高校時代があったからこそ、現在の日本代表やプレミアリーグでの活躍につながっているのです。
今後も世界の舞台で躍動する鎌田大地から目が離せません。
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