浅野拓磨は四日市中央工業高校出身!高校時代の伝説エピソード4選!当時のサッカー関係者や周囲の評価についてまとめてみた

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ワールドカップカタール大会グループステージのドイツ戦で決勝ゴールを挙げた浅野拓磨選手。

時の人となった浅野拓磨選手は、第102回高校選手権の応援リーダーに就任されました。

そんな浅野拓磨選手ですが、どこの高校出身だったのでしょうか?

また、高校時代のエピソードにはどんなものがあるのでしょうか?

そこで今回は、浅野拓磨選手の出身高校と高校時代のエピソードのついて書いてみました。


浅野拓磨の出身高校は三重県立四日市中央工業高校

三重県立四日市中央工業の写真

三重県立四日市中央工業の写真

引用:mie-c

浅野拓磨選手の出身高校は、三重県立四日市中央工業高校

全日制課程で設置学科と偏差値は以下の通り↓

  • 機械:45
  • 電気科:45
  • 化学工学科:45
  • 都市工学科:45
  • 設備システム科:45

浅野拓磨選手が、どの学科に在籍していたのかは不明です。

三重県立四日市中央工業高校は、1991年の第70回全国高校サッカー選手権大会で優勝経験もある強豪校です。

サッカーの名門校で、多くのサッカー選手を輩出されています。

人数が多いので、1部紹介させていただきます↓

写真 選手名 所属クラブ
浅野快斗
(あさの かいと)
ジークブルガーSV 04
(ドイツ5部リーグで活躍中)
内田智也
(うちだ ともや)
南区足球会(香港)
(2017年9月に現役引退)
北村知隆
(きたむら ともたか)
ヴィアティンFC
(2013年に現役引退)
坪井慶介
(つぼい けいすけ)
レノファ山口FC
(2019年に現役引退)
萩村滋則
(はぎむら しげのり)
東京ヴェルディ
(2008年に現役引退)
小倉隆史
(おぐら たかふみ)
ヴァンフォーレ甲府
(2006年に現役引退)
中西永輔
(なかにし えいすけ)
横浜F・マリノス
(2007年に現役引退)
中田一三
(なかた いちぞう)
ヴァンフォーレ甲府
(2004年に現役引退)
尾崎勇史
(おざき ゆうし)
サンフレッチェ広島
(2003年に現役引退)
越後和男
(えちご かずお)
ベガルタ仙台
(1999年に現役引退)
樋口靖洋
(ひぐち やすひろ)
日産自動車(現横浜F・マリノス)
(1985年現役引退)

坪井慶介氏や中西永輔氏らワールドカップメンバーに出場された方も出ていますね。

今後も多くのJリーガーを輩出されると思われます。

次はどんな選手が出てくるのかが楽しみです。

浅野拓磨の高校時代のエピソード4選!

浅野拓磨選手の写真

浅野拓磨選手の写真

引用:number.bunshun

サッカーの名門校である四日市中央工業高校で活躍されていたので、エピソードが多いのではないでしょうか?

きっと、色々なエピソードがあると思われます。

では、浅野拓磨選手の高校時代のエピソードを見ていきましょう。

エピソード①中学時代の監督が両親に説得し、四日市中央工業高校へ進学

強豪校からスカウトされるほどの実力を持っていましたが、7人兄弟でお金のことを考え、サッカーの強豪校への進学をあきらめていた浅野拓磨選手。

そんな時、中学の先生は両親のもとに訪れ、浅野拓磨選手の才能と将来性を話したようです。

その説得もあり、両親は四日市中央工業高校へ進学を許可。

許可してくれた両親のためにも「プロにならなければ」という気持ちになったそうです。

エピソード➁第90回高校選手権で準優勝と得点王

第90回高校選手権では、チームを準優勝に導く活躍を見せ、自身は得点王に輝きました。

初戦から決勝まで全試合得点という快挙も成し遂げ、大会優秀選手および高校選抜に選ばれています。

ちなみに、第89回~91回大会の3大会連続出場されていますし、91回大会も大会優秀選手および高校選抜に選ばれています。

高校時代の浅野拓磨選手のゴールシーンです↓

引用:YouTube

体の入れ方が上手いですね。

そういえば、ワールドカップカタール大会のドイツ戦の決勝ゴール時も体の入れ方が上手かったですよね?

引用:YouTube

トラップと体の入れ方で勝負ありでしたね。

エピソード③ギラギラ感が凄かった

プロになって、早く家族を楽にさせたいという思いが強かった浅野拓磨選手。

サンフレッチェ広島の強化部長の足立修さん
「ギラギラ感がすごかった。絶対(広島に)取りたいと思った」

と高く評価されていました。

2013年にサンフレッチェ広島に入団すると、浅野拓磨選手の真面目さに惹かれたようです。

サンフレッチェ広島の強化部長の足立修さん
「口数は少ないけど、真面目に実直に自分と向き合う。本当に1秒も無駄にせず目の前のことに取り組んでいた」

こういったところをしっかり見てくれるクラブに入団した浅野拓磨選手は流石です。

また、サンフレッチェ広島の強化部長の足立修さんの選手を見る目も素晴らしかったですね。

エピソード④サッカー小僧

サッカー選手あるあるですが、浅野拓磨選手も例外ではなかったようです。

四日市中央工業高校サッカー部の伊室陽介監督
「彼はサッカー小僧。もっとうまくなりたい、点を取りたい、という気持ちが強く、常に努力を続けていた」

ロシア大会でメンバー入りできませんでしたが、腐らずに4年間努力をし続けてきました。

ワールドカップへの想いやもっとうまくなりたいという気持ちを持って努力してきた結果が、カタール大会であったと思われます。

特に、ドイツ戦の決勝ゴールはそうでしょう。

当時のサッカー関係者や周囲の評価についてまとめてみた

浅野拓磨選手の写真

浅野拓磨選手の写真

引用:X

高校時代の浅野拓磨選手に対するサッカー関係者や周囲の評価を見てみたいと思います。

どんな評価だったのでしょうか?

伊室陽介監督(当時コーチ)

浅野拓磨選手が在籍していた時、コーチを務めていた伊室陽介氏。

当時を振り返ると、

四日市中央工業高校サッカー部の伊室陽介監督
「90分間、最後までボールを追いかける執念とか、最後の最後まで諦めず、足の指先、爪の先を伸ばしても点を取るという執念は感じましたね。」

ストライカーとして嬉しい評価ではないでしょうか?

樋口士郎(当時監督)

当時監督だった樋口士郎氏は、最高級の評価をされていました。

樋口士郎(当時監督)
「拓磨は凄まじいポテンシャルを持っている。攻撃は教えると言うより、彼の持っている能力を最大限に引き出すためには、意識を変えないといけなかった。彼の性格は良い意味で素直で、朗らかな人柄。反面、悪い意味では欲が無かった。こっちは1年からエースになって欲しいのに、先輩に遠慮しているし、はっきり言って、自分の能力に気付いていないところがあった」

凄い期待されていたのですね。

その期待に応えた浅野拓磨選手は素晴らしい!

第90回高校選手権では準優勝、自身は得点王に輝きましたからね。

まとめ

今回は、浅野拓磨選手の出身高校と高校時代のエピソードのついて書いてみました。

サッカーの名門校である四日市中央工業高校出身でした。

サッカー漬けの毎日を送られていたことでしょう。

エピソードや高校時代の評価を見てみると、凄く高い評価を得ていましたね。

それだけの逸材だったということ。

それを見抜いて説得してくれた中学の先生には感謝しかないですね。

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