山本理仁の背番号歴まとめ!東京V・ガンバ大阪・STVV・フライブルク・日本代表では何番?

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2026年夏、ベルギーのシント=トロイデンVVからドイツ・ブンデスリーガのSCフライブルクへ完全移籍した山本理仁(やまもと・りひと)選手。

2001年12月12日生まれ、神奈川県相模原市出身のMFで、東京ヴェルディのアカデミーからトップチームへ昇格。

その後、ガンバ大阪、ベルギーのシント=トロイデンVV(STVV)を経て、ついにドイツ・ブンデスリーガへステップアップしました。STVVも2026年5月27日にフライブルクへの完全移籍を正式発表しています。

Transfermarktでは現在の主なポジションは守備的MFで、左利き。2026年7月1日からSCフライブルク所属となっています。

そんな山本理仁選手は、これまでどんな背番号を背負ってきたのでしょうか?

調査してみると、クラブキャリアでは「20」「21」「6」と変化し、フライブルクでは再び「20」。

一方、年代別日本代表では驚くほど一貫して「7」を背負っています。

今回は山本理仁選手の歴代背番号を、東京ヴェルディ、ガンバ大阪、シント=トロイデン、SCフライブルク、日本代表に分けて、各時代のエピソードとともに紹介します。




山本理仁のクラブでの歴代背番号一覧

まずはTransfermarktに記録されているクラブでの背番号です。

シーズン 所属クラブ 背番号
2018-19 東京ヴェルディ 20
2019-20 東京ヴェルディ 21
2020-21 東京ヴェルディ 6
2021-22 東京ヴェルディ 6
2021-22 ガンバ大阪 6
2022-23 ガンバ大阪 6
2023-24 シント=トロイデンVV 6
2024-25 シント=トロイデンVV 6
2025-26 シント=トロイデンVV 6
2026-27 SCフライブルク 20

Transfermarktの背番号履歴では、このように20→21→6→20と変化しています。

中でも圧倒的に長く背負っているのが「6」。

東京ヴェルディ時代の2021年から、ガンバ大阪、ベルギーのSTVVまでクラブが変わっても6番を背負い続けました。

そしてドイツ挑戦では、プロキャリア最初の番号だった「20」へ回帰しています。

それぞれ詳しく見ていきましょう。




東京ヴェルディでは20番からスタート

山本理仁選手は東京ヴェルディの育成組織出身です。

つくい中央FCから東京ヴェルディジュニア、ジュニアユース、ユースと進み、2019年にトップチームへ昇格しました。

東京ヴェルディ公式の2019年メンバー表では、「昇格」として背番号20の山本選手が掲載されています。

東京ヴェルディでの歴代背番号

シーズン 背番号
2019 20
2020 21
2021 6
2022 6

※Transfermarkt上のシーズン表記では2018-19=20、2019-20=21、2020-21以降=6となっています。

背番号20でプロキャリアをスタート

山本選手は高校生だった2018年からトップチームに絡み、2019年に正式昇格。

その最初の背番号となったのが20番でした。

東京ヴェルディ公式の2019年背番号一覧でも、

20 MF 山本理仁

と確認できます。

Transfermarktの成績では2018-19シーズンのJ2で22試合に出場。

翌シーズンには35試合に出場して1得点1アシストを記録しており、10代ながら着実に出場機会を増やしていきました。

のちにベルギー、ドイツへ渡る山本選手にとって、20番はプロキャリアの原点ともいえる番号です。

そして面白いことに、約7年後となる2026年、ドイツのフライブルクでも再び20番を背負うことになります。

2020年の東京ヴェルディでは背番号21

2020年になると背番号は20から21へ変更されました。

東京ヴェルディ公式の2020年トップチーム一覧でも、

21 MF 山本理仁

と確認できます。




背番号21でJ2・30試合出場

このシーズン、Transfermarktの記録ではJ2リーグ30試合に出場し1得点を記録。

まだ10代でしたが、東京ヴェルディのトップチームで本格的に経験を積んでいました。

ただし、山本理仁選手とクラブで最も結びつきの強い番号は20でも21でもありません。

翌2021年から背負うことになる6番です。

東京ヴェルディで背番号6へ変更

2021年、山本理仁選手の背番号は21から6へ変更されました。

ここから山本選手と「6」の長い関係が始まります。

実は山本選手本人も、6番への変更について語っています。

東京ヴェルディ公式のインタビューで、ひと桁の番号をつけるのは中学3年以来だったことを明かし、6番についてシャビのような名選手がつけていた番号であり、期待が込められていると思うと話しています。

つまり山本選手自身にとっても、6番は特別な意味を持つ番号だったことが分かります。

東京Vの6番で中心選手へ

2021シーズンはJ2リーグ17試合に出場して1得点1アシスト。

そして2022年途中まで6番を継続しました。Transfermarktにも東京ヴェルディで2020-21、2021-22シーズンに6番を着用した記録があります。

東京ヴェルディ公式の2022年選手一覧でも山本選手は6番です。

そして2022年7月、キャリアに大きな転機が訪れます。

J1・ガンバ大阪への移籍です。




ガンバ大阪でも背番号6を継続

2022年7月24日、山本理仁選手は東京ヴェルディからガンバ大阪へ完全移籍しました。

そして新天地でも背負ったのは6番

ガンバ大阪での歴代背番号

シーズン 背番号
2022 6
2023 6

ガンバ大阪は加入発表時に、山本選手の背番号を「6」と正式に発表しています。

東京Vでつけていた番号を、そのままJ1でも背負うことになりました。

6番を背負って初めてJ1へ

ガンバ大阪への移籍は、山本理仁選手にとって初めてのJ1挑戦でした。

加入時には、

ガンバ大阪から日の丸を背負う選手になれるよう頑張る

という決意を語っています。

Transfermarktの記録では、2021-22シーズンにJ1で2試合、翌2022-23シーズンには11試合に出場。

さらにJリーグカップでは4試合2アシストを記録しました。

東京ヴェルディで育った若手MFが、6番を背負ってJ1へ。

しかし、山本選手の挑戦は国内だけでは終わりませんでした。

2023年夏にはベルギーへ渡ります。




シント=トロイデンでも背番号6

2023年夏、山本理仁選手はガンバ大阪からベルギー1部のシント=トロイデンVVへ期限付き移籍しました。

そしてベルギーでも背番号は変わりません。

6番です。

シント=トロイデンでの歴代背番号

シーズン 背番号
2023-24 6
2024-25 6
2025-26 6

TransfermarktではSTVVで3シーズン連続して6番を着用したことが確認できます。

STVV公式の選手ページでも「MF 6 山本理仁」と掲載されていました。

東京ヴェルディ。

ガンバ大阪。

そしてシント=トロイデン。

3クラブをまたいで6番を背負ったことになります。

ここまでくると、6番は山本理仁選手のクラブキャリアを象徴する番号といっていいでしょう。

STVVの6番でベルギー1部75試合

ベルギーでは徐々に存在感を高めました。

Transfermarktの通算成績では、ジュピラー・プロ・リーグで75試合5得点7アシストを記録しています。

特に大きく飛躍したのが2025-26シーズン。

リーグ戦では29試合に出場し、

5得点6アシスト

を記録しました。

守備的MFを主戦場としながら、得点にもアシストにも絡む活躍を見せたわけです。

山本選手自身、フライブルクへの移籍発表時には、STVVでの日々について「楽しい時間ばかりではなく、自分自身と向き合いながら、もがき続けた日々」だったと振り返っています。

それでもベルギーで結果を残したことで、次の扉が開きました。

ドイツ・ブンデスリーガです。




SCフライブルクでは背番号20

2026年夏、山本理仁選手はSCフライブルクへ完全移籍。

Transfermarktの資料では、2026-27シーズンの背番号は20番となっています。

SCフライブルクでの背番号

シーズン 背番号
2026-27 20

これは非常に興味深い番号です。

なぜなら、山本選手が東京ヴェルディのトップチームでプロキャリアをスタートさせた2019年につけていた番号も20だからです。

東京ヴェルディ:20

東京ヴェルディ:21

東京V・G大阪・STVV:6

SCフライブルク:20

という流れになりました。

意図的に原点の番号を選んだのかどうかは、確認できる資料からは断定できません。

しかし結果的には、J2でプロキャリアを本格的にスタートさせた時と同じ番号を背負って、世界最高峰の一つであるブンデスリーガに挑戦することになります。

STVV退団時には「次のワールドカップに向けてさらに成長できるよう努力していきます」とコメントしています。

20番から始まり、20番でブンデスリーガへ。

背番号という視点では非常に面白いキャリアです。




山本理仁の日本代表での歴代背番号は?

そして山本理仁選手の背番号を語るうえで欠かせないのが、日本代表です。

クラブでは20、21、6と変わってきました。

ところが年代別日本代表では状況がまったく違います。

Transfermarktの背番号履歴を見ると、

シーズン 代表カテゴリー 背番号
2016-17 U-16日本代表 7
2017-18 U-18日本代表 7
2021-22 U-21日本代表 7
2021-22 U-23日本代表 7
2022-23 U-22日本代表 7
2023-24 U-22日本代表 7
2023-24 U-23日本代表 7
2023-24 日本五輪代表 7
2024-25 U-22日本代表 7

なんと、記録されている番号がすべて7番です。

クラブで象徴的なのが6番なら、

日本代表で山本理仁を象徴する番号は7番

といえるでしょう。

U-23日本代表でも背番号7

山本理仁選手はパリ五輪世代の中心選手として長く年代別日本代表でプレーしました。

Transfermarktの記録ではU-23日本代表として18試合に出場。

AFC U-23アジアカップでは11試合に出場して2アシストを記録しています。

2024年のAFC U-23アジアカップでも、中国、UAE、韓国、カタール、ウズベキスタンとの試合に出場。

決勝のウズベキスタン戦では72分間プレーし、日本は1-0で勝利してアジア王者となりました。

そして、そのままパリオリンピックへ向かいます。

パリ五輪でも背番号7

2024年パリオリンピックでも、山本理仁選手の背番号はもちろん7番でした。

Jリーグ公式のパリ五輪特集でも、

7 MF 山本理仁

と確認できます。

そして、この7番で強烈なインパクトを残します。

パラグアイ戦で背番号7の「伝説」を継続

パリ五輪初戦、日本は南米王者パラグアイと対戦。

試合前、山本選手は「五輪日本代表の背番号7が大会初戦で得点すると日本が勝利している」というデータを知ったそうです。

すると実際の試合でやってのけます。

日本が2-0とリードして迎えた後半24分、山本選手がミドルシュートを決めて3点目。

日本はその後も得点を重ね、5-0でパラグアイを撃破しました。

試合後には、次の五輪で7番をつける選手にプレッシャーがかかるかもしれない、と冗談交じりに語っています。

山本理仁選手にとって7番は、単なる登録番号ではありません。

年代別代表で長く背負い続け、オリンピックという大舞台でもゴールを記録した、まさに「日本代表での象徴的な番号」になっています。




山本理仁を象徴する背番号は6?それとも7?

これは非常に面白いところです。

山本理仁選手には、象徴的な番号が二つあります。

クラブでは「6」

東京ヴェルディで2021年に6番へ変更。

その後、

東京ヴェルディ

ガンバ大阪

シント=トロイデンVV

と、所属クラブが変わっても6番を背負い続けました。

しかも本人は東京V時代、6番についてシャビのような名選手がつけていた番号で、期待を感じていると語っていました。

その意味では、プロキャリアを象徴する番号=6でしょう。

日本代表では「7」

一方、日本代表は圧倒的に7番です。

U-16からU-18、U-21、U-22、U-23、そしてパリ五輪代表まで、Transfermarktに残る代表背番号履歴はすべて7番。

そしてパリ五輪では、その7番を背負ってゴールまで記録しました。

したがって、

クラブ=6番
日本代表=7番

というのが、現時点で最もしっくりくる山本理仁選手の背番号イメージでしょう。

そして2026年から新たに加わったのが20番です。




フライブルクの20番は新たな象徴になる?

山本理仁選手は2026-27シーズンからSCフライブルクで20番を背負います。

興味深いのは、先ほど紹介したように東京ヴェルディでプロキャリアをスタートさせた番号も20だったこと。

もし山本選手がフライブルクで主力へ定着すれば、

「原点の20番」から「ブンデスリーガの20番」へ

という新しいストーリーが生まれます。

山本選手は現在24歳。

Transfermarktでは本職を守備的MF、サブポジションをセントラルMFとしています。

ベルギーで75試合に出場して実績を積み、2025-26シーズンにはリーグ戦だけで5得点6アシスト。

ここからブンデスリーガで20番をどんな番号にしていくのか、注目です。




まとめ

今回は山本理仁選手の歴代背番号について紹介しました。

クラブでの背番号をまとめると、

クラブ 背番号
東京ヴェルディ 20→21→6
ガンバ大阪 6
シント=トロイデンVV 6
SCフライブルク 20

となっています。

一方、年代別日本代表では、

代表 主な背番号
U-16日本代表 7
U-18日本代表 7
U-21日本代表 7
U-22日本代表 7
U-23日本代表 7
パリ五輪日本代表 7

と、7番でほぼ一貫しています

山本理仁選手の背番号キャリアを一言でまとめるなら、

「クラブの6、日本代表の7、そして原点からブンデスリーガへつながった20」

でしょう。

東京ヴェルディで20番を背負ってプロキャリアをスタート。

21番を経て6番へ変更すると、その後はガンバ大阪、シント=トロイデンでも6番を着用しました。

日本代表では育成年代から7番を背負い続け、パリ五輪ではその7番でゴール。

そして2026年夏、ドイツのSCフライブルクへ移籍すると、再び20番を背負うことになりました。

20→21→6→20。

単なる番号の変化ですが、そこにはJ2からJ1、ベルギー、そしてブンデスリーガへとステップアップしてきた山本理仁選手のキャリアがそのまま表れています。

次の注目は、フライブルクの20番を背負ってブンデスリーガでどこまで活躍できるのか。

さらに次のワールドカップを目指す中で、A代表に選出された場合に「7」や「6」を背負うことがあるのかにも注目です。



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